藤舎貴生、“型破り”な長唄

踊れる“口語体の長唄”を仕掛ける伝統芸能のプロデューサー

藤舎貴生、“型破り”な長唄

歌舞伎と日本舞踊という日本の伝統芸能を、音楽の面から考える機会はあまり無い。歌舞伎は“芝居”というイメージが現代では強いかもしれないが、“歌舞伎踊り”と言うように、歌舞伎において“舞踊”の要素は必要不可欠だ。“踊り”は音楽があればこそ生まれる。今、日本舞踊会で新しい踊りの流れが生まれつつあるが、その“仕掛け人”が“囃子方(はやしかた)”という音の担い手である横笛奏者、藤舎貴生だ。彼は“音”から日本の伝統芸能を変えようとしている。踊り手が自然に踊れる曲作りを目指し、なおかつ日本の若者にも興味を持ってもらえるよう“口語体の長唄”、つまり聞いて分かる曲作りを目指している。一方でDJ Kentaroとライブを行い、フジ・ロック・フェスティバルにも出演するなど、とにかく新しい、クロスジャンルな活動をつづけている。その根幹にあるのは、伝統芸能の音楽をもっとたくさんの人に聞いてもらいたいという想いだ。そんな藤舎貴生に、音楽への姿勢、伝統芸能に対する考え方について聞いた。まず、彼が名前を継いでいる“藤舎流”とはどのような流儀なのだろうか。

「歌舞伎、日本舞踊の音楽をやる、大きく言うと“長唄囃子(ながうたばやし)”、“邦楽囃子”と呼ばれるものの流儀のひとつで、主に打楽器パート(小鼓、太鼓、大鼓、笛)を受け持つ。勿論、能囃子の手法を取り入れていますが、歌舞伎では三味線があるので、三味線音楽と共に発展し、それに見合った演奏手法を取り入れたのが邦楽囃子。十強ほどある流儀のひとつが藤舎流。比較的新しくて、私の祖父、故二世中村流家元寿鶴の弟、故四世藤舎呂船が起こしました。藤舎呂船は昭和の囃子界では大名人として知られ、当時の一流の歌舞伎役者や舞踊家と仕事をした。芸にとても厳しく、その時代に合った感覚を持ち、またその感覚を古典音楽の中に取り入れ融合させた革新的な人でした。藤舎呂船のもとにはその芸、人柄に憧れた私の親世代の弟子が集まり、世間から支持を頂き、流儀問わず囃子界に影響を与えた人です。私はその孫の代に当たりますがそうした祖父、親の代が蓄積した恩恵だけでやっていくのも時代的にそろそろ限界では?と思っています。四世藤舎呂船の“芸魂、芸風”というのが特性として失われていくのであれば流儀の存在価値は無くなると思うので、それらを大切にし、その魂を失せることなく流儀の一員として受け継ぎ、“現代に生きる音、音楽”を模索しなくてはと思っています」

様々な新しい試みを続けている藤舎貴生だが、その“新しさ”は彼が受け継いだ“将来の伝統”だとも言える。ダンスミュージックのDJや、ポップスの作詞家などともコラボレーションを行う藤舎貴生は、生まれ育った京都から離れて東京藝術大学に進学するが、この進路選択にも“異なる分野の人と交流したい”という考えがあった。それは、伝統芸能をもっと“面白く”したいという想いにもつながる。

「東京芸術大学の音楽学部邦楽科に打楽器専攻で入学しました。ただ、お囃子は4歳で初舞台を踏み、三味線、唄、笛も稽古をはじめ、洋楽器ではマリンバも習っていました。打楽器では中学の時に吾妻流家元、吾妻徳彌氏の舞台で始めてギャランティという物を頂きました。当時、週末となると幾度となく実践として東京、関西での舞台に修行の身でありながら、プロというかセミプロとして舞台に立たせて頂いていました。恵まれていたんですね。そういった状況でしたから実技の面では大学に行く必要は無いのではと周囲から言われていたんです。でも、洋楽の人となどとも親交を持ち、色々な人との出会いがあって、吸収できるだろうというのが進学を決めた大きな理由です。(DJ Kentaroなど、全く異なるジャンルの人とコラボレーションを行うのは)やはりDNAだと思います。父の藤舎呂悦も邦楽に限らず、武満徹さん、N響、日野皓正さんなどの現代音楽家やジャズの音楽家とコラボレーションしてきました。そういう環境で育っていましたので、若いときから色々なジャンルの方から“一緒にやりましょう”とお誘い頂く事が多く、そういった父を見ていましたので異種な方と共演させて頂くのは古典をやるのと特別違った意識はなかったです。もうひとつは、邦楽に対して自分が思っていることがあって。長唄は大好きなんですが、大方がつまらないんです。面白い部分もたくさんあるのですが、書いて字のごとく“長唄”は“長い唄”で、大体20分から30分、長いと1時間あって、その中の盛り上がる部分は数分しかない。今の邦楽だと全曲をやるのが演奏会では普通ですが、長唄だと言葉があって、やっている私にだって、お恥ずかしいですが8割はわからないんです。そうなると退屈だと印象を与えてしまい、特に今の若い人には受け入れられない。だから、必ず全曲やらなければいけないという前提自体ナンセンスだと思います」

長唄をはじめ、伝統芸能をもっと今の若い人にも楽しんでもらいたいという想いから、藤舎貴生は現在、非常に興味深いプロジェクトを始動させている。それは“口語”、つまり現代の日本語で歌詞が付けられた長唄の曲を創ることだ。作詞を担当するのは日本のポップス界の大御所、数え切れないヒット作を世に送り出してきた松本隆。“口語体で長唄”のCDアルバムは、現在製作中で、2011年夏にリリースを目指している。これは長唄のみでなく、役者の朗読有り、太鼓の林英哲等も出演するという大変大掛かりなものだ。

「(長唄を若い人でも楽しめるようにしたいという想いは)僕が今回CDを作ろうとしている“口語体”に話が結びついてくるんです。今ある曲は、作られた当時は古典じゃないんです。300年から400年前は当時の口語体だったはず。今“長唄”と呼ばれるものはほとんどが昔から受け継がれた“古典”です。でも、今の口語体で作って“新しいね”と言われても、100年たったら“古典”と呼ばれるかもしれない。だから“古典”と“創作”は並行していないといけないんです。“舞台は常にみずみずしくなくてはいけない、生物ですから”というのが僕の信念です。もちろん古典も大事です。古典を十分に勉強した上で創作をするのが大事なんです。“形無し”と“型破り”には違いがあって、型があった上であえて破る“型破り”でないと。今目指しているのは、どんなに新しいことをやろうとしても、ちゃんと古典の匂いを感じさせる骨格の太い曲を創ること。決して奇をてらった物をつくるという概念はないです。松本さんとご縁があって、私の思いにご賛同いただいてやっています」

“口語体”の“長唄”とは、にわかに想像ができないが、一体どのようなものになるのだろうか?

「すでに1曲、静御前を題材にした『静』という作品を松本さんの作詞、私の作曲で作っていて、国立劇場で上演しています。過去のものを口語体に訳すのではなく、静御前の世界観を題材に松本さんが一から創ったものです。今の人が聞いても、伝統芸能に親しんだ人にとっても違和感が無いように作っています。また、現在ではそれをやる上で、極力自分なりに違和感が無い唄い手と踊り手と思う方を選んでやっています。振付、舞踊は尾上紫さん。歌詞の出だしは“冬吉野 雪の絵の具が あの人の 足跡そっと消すでしょ”15行くらいの歌詞ですが、音楽だけのパート(合方)もあって、全体は20分くらいの曲です。僕は最初にこの歌詞を読んだ瞬間、衝撃を受けました。というのも、松本隆さんは慶応大学文学部のご出身で、日本文学について該博な知識をお持ちな上に、静御前についての詩を作るとなると、さらに関連書物を掘り下げてリサーチをされるので、教わることが非常に多かった。私だったら、静御前と言えば春爛漫の桜のイメージしか無いので“冬”や“雪”というイメージは思いつきませんし、更に普段掘り下げて調べるような習慣も無いんです。でも松本さんが調べたところ、雪の中で恋焦がれて義経の行方を捜そうとするのが出てくるんだそうです。そうやって出来上がった詩を読んだ瞬間に、とても美しくかつリアルで、すぐに絵が浮かび、すらすらと音に変換できました。さすが松本ワールド、日本語の美しさを熟知なさっていて五七調があるんです。どのジャンルを書いてもそこにはご自分の世界がある。勉強になりました。この曲からご縁が始まり、1曲だけではもったいないと思ったので“口語体”での“長唄”あるいは“三味線音楽”をまとめて作って、定着出来ないかな。とライフワークにしたいと決意し、松本さんにお伝えしたところ、“やる気が出るね。その貴生さんの熱い思い良いですね”と仰っていただいて、歩き始めているところです。これが、日本の伝統音楽や日本舞踊の衰退を打破するためのひとつのきっかけになればいいなと思っています。そうすると、日本の20代30代の若い人たちの中に、松本隆の歌詞で踊ってみたいと考える人が出てきて、それが広がってゆくと、新しいジャンルとして確立できるのではという大それた野望なんです(笑)」

ひとつの新しい“ジャンル”を仕掛ける、それは確かに大それた野望かもしれないが、今の伝統芸能界にもっとも求められている気概と言えるのではないだろうか。藤舎貴生の特徴は彼の“プロデュース”力にもある。幅広い楽器を知り、“踊り”と“舞台”の演出までも考慮した曲作りが可能で、全体の“プロデュース”とも呼べる役割を担っている。たとえば、尾上青楓の新作舞踊としてその新しさが話題となった『梅雨将軍信長』も藤舎貴生の作曲で、『祈願(いのり)』の作曲にも一部携わっているが、それらの“踊り”の新しさの秘密は、藤舎貴生が創る音楽にあった。

「古典でも新作でも、本(詩、言葉)があって、曲が作られ、踊りが付けられます。どれだけ新しい振りを引き出すかは曲と詩にかかっていると信じています。『梅雨将軍信長』もすごく舞踊家が動くんですが、あれは舞踊家を動かなきゃいけにようにしているんです。踊り手の感性、特性を考えながら私なりに考え作曲しましす。それらが合致することによって、音楽も踊りも相乗効果で良い作品になるんです。また通常は、邦楽の曲はパートの専門家にそれぞれ分担して作られます。作曲と言われるのは三味線、唄、主にメロディを作る。それが完成すると囃子方に作調と言われる、打楽器の手付をしてもらいます。私は作曲という部分では三味線であえて古典調に作ったり、打楽器のみで作ったり、後は完全に三味線と打楽器どちらが主導か分からない配分の曲と大きく分けてこの3つのパターンを、依頼して頂く方の要望と本によって分類します。良く人様から楽器全般が演奏出来るので、作れる作品ですねと言われます。作曲も作調も全部一人で作ってしまうということです。これは作曲していて面白いです。基本は三味線が先に出来あがり、打楽器が付随するのですが、私の場合、先に打楽器を作り、あとから三味線を乗せる場合もあります。これは簡単に説明出来ないのですが、恐らく三味線が先行して作られた場合こういった音にはならないだろうな、と自分で感じることがあります。また、飽くまで僕はおこがましくもプロデューサーの気分で創っています。舞台装置、衣装、照明プランを先に伺う事もあれば、まったく聞かず想像で作る場合もあります。この差は舞踊家さんをどこまで私が知っているかの差なのですが……普段古典の舞台で笛を吹いている時でも、この舞踊家さんならこういう曲調がいいだろうなと勝手に想像しながら、舞台上で拝見してます。要するに常に舞踊家さんをリサーチして分析しています(笑)。基本は踊りが好きなんですよ。今でも踊りやりたかったな、と思いますし。小学校6年の時、猿之助さんに憧れ、部屋子にしてほしいと直談判にいったくらいでしたので(笑)。もちろん“貴方にはお父さんの後を継ぐ使命があるじゃないですか”と軽くお断りされましたが(笑)。『祈願(いのり)』も私が頂いた仕事で、1800という大きなホールキャパでした。それに対し音のボリューム、それに見合った楽器を想定していきます。そうすると必然的に舞踊家さんをどなたにお願いするかが決まるんです。曲を創る以前にプロデュース作品として考えています。私はそれらを考えるのが好きなんだと思います。日本舞踊が変わっていけば、歌舞伎も変わる可能性があるんです。実はそれを見越して新しい作品を創っているところもあります。日本の伝統芸能がもっと一般的に認知される音楽でありたい、それに尽きます」

すでに音楽だけの新しさでどれほど日本舞踊が変わるかは、尾上青楓振付の『梅雨将軍信長』や『祈願(いのり)』で証明されているが、そこに美しい口語体の歌詞が加わったらどうなるのだろうか。そう想像すると、夢はふくらむ。日本舞踊に限らず、歌舞伎界においても、新しいファンを獲得し、特殊なものとしてではなく“ふつうの若者”にも受け入れてもらい、楽しんでもらうことが死活問題となっているが、では実際に何をどう変えればいいのかという具体策を持ち、実践している人物は数少ない。パブリシティや興行形体という器の問題よりも、何よりも大事なのは“コンテンツ”だということを藤舎貴生は教えてくれている。そもそも歌舞伎や長唄はなぜ江戸時代に爆発的な人気を獲得し、今にまで伝えられるほど発展したのかと言えば、それはひとえに“当時の人々”のリアルな心情を表現したからだ。だとするならば、今の人が聞いて“言葉がわからない”のであれば、わかるように変えてあげようと考えるのは、パフォーマーがたどり着いた結論としてはある意味自然だ。藤舎貴生の考え方が、広くこれからの伝統芸能界で共有されて行けば、きっと歌舞伎も日舞も長唄も、もっと面白くなる。もしかしたら、携帯の着信メロディーに口語体“弁慶”が鳴り響くの日も夢ではないかもしれない。



真しほ会

毎年1回催される、藤舎流によるお囃子の演奏会。 日程:2010年2月23日(水)
場所:日本橋劇場

テキスト 七尾藍佳
※掲載されている情報は公開当時のものです。

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