フラメンコの至宝、マリア・パヘス

太陽を中心に惑星が回る動きにはリズムがあり、踊りは宇宙の中にある

フラメンコの至宝、マリア・パヘス

フラメンコダンサー、振付家のマリア・パヘス率いるマリア・パヘス舞踊団が、結成20周年を記念して作られた新作『ミラーダ』の世界プレミア公演をBunkamuraオーチャードホールで行う。マリア・パヘスは、フラメンコの本場であるスペイン、アンダルシア地方の中心都市、セビージャに生まれ、4歳の時からフラメンコとスペイン舞踊を学び、アントニオ・ガデス舞踊団など数々の名門舞踊団で活躍、1994年にはアイリッシュミュージカル『リバーダンス』の主演ダンサーとして世界的に注目を集めた。故郷スペインでは、1990年より自身の舞踊団を結成し、公演を重ねてきている。アンダルシア州立舞踊団の監督もつとめ、伝統的なフラメンコ曲のみならず、アルゼンチンタンゴからロックなどの異なるジャンルの楽曲をフラメンコで踊りこなした『アンダルシアの犬 ブルレリアス』などを上演し、フラメンコの世界に革新をもたらしてきた。自身のカンパニーでも、センセーショナルな作品を数多く発表、2006年には『セビージャ』で日本初公演を行っている。近年は、ミハイル・バリシニコフ、シディ・ラルヴィ・シェルカウイなど、ジャンルを超えたコラボレーション作を発表し、ダンサー、ならびに振付家としてその活動の幅を広げている。

舞踊におけるスペイン国家賞をはじめ、多くの賞も授与されており、インタビュー当日にはマリア・パヘスの芸術文化における功績を称え、アンダルシア賞が授与されたというニュースが入った。本国スペインからの取材の電話が殺到していたマリア・パヘスに、まずは受賞の感想を聞いた。

「公演と受賞が全部一緒に来た感じです!自分が生まれ育った土地が、自分のことを認めてくれるというのは、とっても特別なことですし、アンダルシアの人々から最高の栄誉をいただけたのは本当にハッピーです。まるで宝くじに当たったみたい!特に、私の家族が喜んでくれています。以前はよく、“賞なんて、別にもらわなくってもいいよの”なんて言っていましたけど(笑)、でもそれは本心じゃなくて、正直なところ、認めてもらえるのは本当に嬉しいことですね」

ここ日本にもマリア・パヘスのファンは多い。世界のどこへ行っても、たとえ『リバーダンス』のようにアイリッシュダンスがメインの舞台であろうと、マリア・パヘスは一瞬にして観客を虜にする強烈な存在感と魅力を持っている。一体マリア・パヘスのどこが人々の心を捉えて放さないのか、その魅力の秘密はどこにあるのか、彼女自身はどう見ているのだろうか。

「2つあると思います。ひとつには、私が踊るフラメンコというものは、とてもダイレクトに人々の感情に語りかけ、伝える踊りで、誰もが何かを感じずにはいられない種類の踊りだということです。とても直接的に感情を伝える踊りなのです。もうひとつ言えることは、私のやり方というのが、とても真摯、正直で、ある意味“普通”の伝え方をしているからだと思います。人工的なことはやりません。更に言えば、現代におけるフラメンコの発展の仕方も重要です。フラメンコは今の時代の芸術であり、現代に生きる人々に語りかけることができる踊りなのです。もちろん、アンダルシアの伝統、大衆文化から発生した踊りではありますが、現在もさらに進化を続け、今の人々の、心の琴線に触れるものなのです」

ただ“伝統”に依拠するだけでなく、“今の時代”に呼応する踊りとしてフラメンコをとらえているマリア・パヘスは、バレエやコンテンポラリーダンスなど、他ジャンルとのコラボレーションも多い。

「私はいつもオープンで、そういう人柄なんです。やっているのはフラメンコだけど、それは私がセビージャに生まれたため、近くにあったからです。オープンだから、どこでも、誰とでも一緒に仕事をできると感じています。フラメンコに関しては、とても閉鎖的で保守的だという偏見をもたれがちです。でも私の性格はとてもオープンで、他のダンサー、彼らがやっていることに関して好奇心が旺盛なんです。だからシディ・ラルヴィ・シェルカウイや、タマラ・ロホ、バリシニコフや、ダンサーに限らずプラシド・ドミンゴなどと繋がることができるのです。私が“その人がやっていること”を好きで、その人も“私がやっていること”を好きであれば、とっても簡単に繋がることができて、何かプロジェクトが生まれます。特にシェルカウィとはお互いにそうで、よい経験でした」

世界中でパフォーマンスと経験を積み重ねて来たマリア・パヘスと舞踊団が、その歴史的な節目となる20周年を記念して制作し、今回の日本公演が世界的に初演となる『ミラーダ』は、スペイン語で“視線”という意味だ。これまでのカンパニーと自身の歩みを踏まえつつ、未来へと向かう作品になっていると言う。

「まず最初にもちろん舞踊団と共に歩んできた20周年を祝うということがあります。他の人から、これまで20年間の集大成、まとめをやったらどうかと言われたんですが、ちょっと考えてみて、それじゃあつまらないと思ったんです。それよりも、“今私たちができること、今が最高の時で、そしてこれから先に進む”ということをどうやって説明できるかを考えました。なので、『ミラーダ』はまず一篇の詩を書き、そこから始めることにしました。--これまで20年間に起きたことは、とても長い活動で、たくさんのシンボルがあるけど、そのすべてはひとつの“視線”、スペイン語で“ミラーダ”に入れることができるのです、その視線は、私たちの鏡である月に向けられます--つまり『ミラーダ』は、これまでの20年間の経験が込められた、とてもシンボル性の高い作品なのです。これまでの振り返りの要素もありますが、それは10分くらいです。だって“今やれること”をやりたいのですから。

それと、これまでの作品と違うのが、映画的な部分のある作品ということ。自然、ガルシア・ロルカ(スペインを代表する詩人)、神話、などとも繋がっています。抽象的ではなく、本物と向き合い、しっかりとした作品なんです。具体的に言うと、月は作品の一部になっています。 はじまりの詩では“月を見て、月はあなたの鏡、自分自身を見ることができる”と言います。もちろん、月はロルカの詩にもよく出てくるモチーフです。また、月は女性、死、など様々な象徴的な意味合いを持っています。それらがすべてどうして出てくるのかは説明がつきません、今この瞬間に私の中にあるイメージであり、経験からくるものです。また、オリーブの木を表現するダンスもあります。その踊りで、私はオリーブの木になるのです。というのも、ギリシャ神話で女神アテネが大地を踏みしだいた時に、オリーブの木が地面から育ったというのを読んだ時に、アテネはまるでダンサーみたい!と思ったんです。オリーブの木はアンダルシア、地中海の人々にとってはとても親しみのある木ですし、オリーブの木にまつわる踊りを入れようと思ったんです。『ミラーダ』はディテールが豊富で、多くの伝説、象徴、神話、イメージがつまっています」

女神アテネがギリシャの大地を踏んだことからオリーブが生まれたという神話からインスピレーションを受けたダンスが『ミラーダ』に入れられていることからも分かるが、マリア・パヘスは“踊り”とはそもそも人間にとってどのようなものなのかについて深く考えている。改めて、マリア・パヘスに「なぜ人は踊るのか?」という問いを投げかけてみた。

「それはまさに、私が何度も自分自身に問いかけている問いです。人を観察すれば、踊りはとても自然発生的なもので、私たち人間の自然な一部であることがわかります。今の社会でのライフスタイルではなかなか実感できないものかもしれませんが、それでもダンスは私たちの生活の中に常に存在します。ダンスの公演を観にいくのが好きな人、習って、ダンサーになりたいと考えている人はたくさんいますが、でも普通の生活だと、ダンスはそれほど日常的ではなく、強制されるものでもありません。それでもダンスは私たちの一部だと感じます。たとえば、まだ歩くこともできない赤ちゃんが、リズムを耳にすると、動き出しますよね!それは彼らのダンスなんです、身体によるリズムの解釈なんです。私たちの体の組成の中に組み込まれた、人間という存在にとって自然な表現なのです。そもそも宇宙、それ自体が踊っていると言えるのではないかと思っています。太陽を中心に他の惑星が回る動きにはリズムがあって、まるで振付のようです。地球にも、一日で一周するというリズムがあります。つまり、踊りは宇宙の中にあるのです。たとえその時の体制が、人々が踊るのを禁じようとも、みな踊り続けるでしょう。なぜなら踊りは人間の自然な一部だからです」。

座ってインタビューをしている時でさえ、マリア・パヘスの手や、顔の表情、髪の毛に到るすべてが躍動的で、踊っているような印象を受ける。彼女と向き合う人は、きっと自分の奥深くに眠っているリズムを呼び覚まされるような印象を受けるのではないだろうか。最後に、彼女の様にダンサーを志す若い人々、ダンサーに限らず、何かを表現したいという夢に向かっているすべての人々へのアドバイスを聞いた。

「アンダルシア地方に”Cada uno, su mundo”という表現があるのですが、“それぞれに、それぞれの世界がある”という意味なんです。その通りで、一人一人に異なる歴史がありますから、一概にアドバイスをするのは難しいのですが、でも確かなのは、誰かが何かをやろうと決意し、そのことに確信を持ち、それが好きで情熱を持っているならば、その人は永久にその欲求を追求するべきだということです。その気持ちを大切にするべきです。だって情熱を持って生きるというのは素晴らしいことなのですから。 もちろん一生懸命努力しなくてはいけません、でもその努力を重荷と感じてはいけません。なぜなら、あなたがする努力は、“自分のために”しているものなのですから。より上達すれば、より楽しめるようになるのです。頑張れば頑張るほど、時間をかければかけただけ、後からあなたに贈り物として返ってくるのです。夢を追いかけ、大切にするのは大事ですが、それを楽しんでください。夢がストレスになってはいけません。また、競争もよくありません。私たちは競争社会に生きていて、誰もがあなたに一番になりなさい、と言うでしょう。でも一番になる必要なんて無いのです、ただあなたがやっていることをより“良く”やること、そして“正直”であることが大事であって、競争なんて気にしないでください。競争はネガティブなものだと私は思っています。競争をはじめたとたん、それは“あなた”のことでは無くなり“他の人”のことになってしまうでしょう。更にいえば、私は“助けたい”と思っています。何かをするときに、誰かの助けになりたいと考え、観客のために踊ります。ダンサーって自分のためだけに踊ってしまいがちです。もちろん、ダンサーも自分自身で楽しんでいいのです。でも観客のために踊り、観客に与え、観客に対して真摯で正直であるべきです。より多くを観客に与えるためにはどうすればいいのか、常に限界に挑戦し続けるべきです。それに、与えれば与えるほど、より帰ってくるのですから。また、特に若い人たちに私が言いたいのは、若さは人生の一段階に過ぎないのであって、永遠に続くのではないということをもっと意識すべきだということ。若いときにしかできないこと、踊れない踊りがあるのだから、毎日が大切なのです。今この瞬間を精一杯生きるべきです。年をとってから分かるのです。だから私は20歳の息子に対していつもこう言っています。“明日じゃだめよ、今やるのよ”って。それが大事なんです」

“情熱”、しかも“生命への喜びに満ちた情熱”こそが、マリア・パヘスに最も適した表現だと言えるだろう。話を聞いていると、なぜだか自然と体がうずうずしてくる。じっとしてはいられない、自分も頑張らないと、と奮い立たせられる。しかも“競争してはいけない”という言葉は、競争することにどこか疲れた今の日本社会、あるいは先進国の人々にとって、とても深く突き刺さる。『ミラーダ』を観れば、あなたの中に眠っている情熱が踊りだすに違いない。



世界初演となる、マリア・パヘス舞踊団設立20周年記念公演『ミラーダ』の詳しい情報はこちら

テキスト 七尾藍佳
※掲載されている情報は公開当時のものです。

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