恋をつらぬく、アンナ・カレーニナ

元宝塚歌劇団の男役トップスターのWキャストで“悲劇のヒロイン”

恋をつらぬく、アンナ・カレーニナ

文豪トルストイの代表的作品を原作としたミュージカル『アンナ・カレーニナ』が、現在、日比谷のシアタークリエで上演中だ。2011年2月6日(日)までのロングラン公演になる。ピーター・ケロッグとダン・レヴィーンによってブロードウェーミュージカルとして作られた本作品を、東宝がミュージカルとして手がけて好評を博し、今回はその再演となる。

原作の『アンナ・カレーニナ』は、1870年代のロシアを舞台にした小説だ。当時ロシアでは、農奴が解放され、蒸気機関車やヨーロッパの新しい思想が社会に大きな変化をもたらしつつあった。原作には、当時のロシア社会を取り巻く政治、経済、宗教、文化など、多くの問題が織り込まれており、複数の視点から読むことができる大作となっている。その文学作品を3時間強のミュージカルに創りかえるにあたり、メインテーマとされたのが“恋”である。ミュージカル『アンナ・カレーニナ』はどこまでも“恋”に貫かれた作品だ。文学史上もっとも有名と言っても過言ではない“悲劇のヒロイン”アンナ・カレーニナは“貞淑”であることが何よりも重んじられた社会に育ち、世間知らずな若い娘のままに“社会的条件”が良かったという理由で年上の役人に嫁がされた女性。しかし彼女は、自分が教え込まれてきた価値観にがんじがらめにされた愛の無い家庭生活に対し、ひそかに苦しみ続けていた。そこに魅力的な若い将校が颯爽と登場し、2人の心は強く惹かれ始める。だが2人の情熱的でまっすぐな“恋”は、当時の社会状況においては、多大な犠牲をともなうものとなってしまう。

今回のアンナ・カレーニナ役は、一路真輝と瀬奈じゅんのWキャストとなっている。宝塚歌劇団の男役トップスターという共通のキャリアを持ち、宝塚時代の配役も重なるものが多い一路真輝と瀬奈じゅん。そんな2人の共通点から、一路真輝は当初、2人の演じるアンナ・カレーニナが「似てしまうかな」と心配したという。だが蓋を開けてみると、異なる魅力をそれぞれに放つ2人のアンナが誕生した。

瀬奈じゅんは『風と共に去りぬ』のスカーレット・オハラ役など、娘役のできる男役として注目を集め、2004年に月組男役トップスターに就任、2009年に退団した。ハンサムな佇まいの中にも可憐さとコケティッシュな魅力を兼ねそえた瀬奈は、退団後も女優としての地歩を着実に固めている。2010年には東宝版『エリザベート』で女優としてタイトルロールに挑戦し、複雑なキャラクターであるエリザベートを見事に表現した。瀬奈は『アンナ・カレーニナ』を「ミュージカルと銘打ってはいても、ストレートプレイにも似た重厚さが感じられる作品」(プログラムより)と評している。正にその通りで、恋に走るべきか、あるいは息子を取るべきかの間で魂が引き裂かれんばかりに苦しむアンナと、彼女を取り巻く人々の間に複雑に絡み合ってゆく細かい感情の糸が、丁寧に、重層的に描かれている。

アンナ・カレーニナというヒロインの魅力は、その“アンバランス”さにあると瀬奈じゅんは語る。
「貞淑と言われながらも情熱的な恋に走る妻がいて、すべてにおいて厳格で、執着などしそうもないのに、嫉妬に狂う夫がいる、と、登場人物にもそれぞれアンバランスな危うさがあり、“アンバランス”がこの作品のキーワードかな、と思ったんです」

人生において、人は多くの決断を下し進んでゆく。それは、積極的な決断の時もあるが、どこかで後ろ髪を引かれながらの消極的な妥協の産物であることも多い。いや、人生において選択される道は、英断よりも妥協の方が多いのではないだろうか。そうして選んできた道のりを歩んで行くため、いつしか人は妥協の産物に過ぎないかもしれない自らの生き方を「絶対にこれでいいのだ、この生き方で間違っていないのだ」と全面的に肯定するようになる。それはおそらく、絶対的な価値観を信じ、それをよすがとして生きていく方が安全だと感じられるからだ。『アンナ・カレーニナ』ではしかし、誰よりも絶対的な価値観によって導かれている人々の“絶対”がもろくも崩れ去ってゆく。そして、今まで抑圧されてきた感情のさざ波が、濁流となって人々の人生を飲み込んでゆく。濁流の源泉は“恋”だ。だが、“恋”はもしかするとひとつのきっかけに過ぎないのかもしれない、と瀬奈じゅんは考えている。
「年下の素敵な男性に愛を告白され、本気で彼を好きになった……アンナにとってヴロンスキーは、自由に目覚め、窮屈な生活から逃げ出す材料だったのかも、とも思えて」

高い塀に囲まれて籠の中の鳥のように過ごしていた女性たち。その塀をぶち破り、外の新しい時代へと羽ばたくために必要な“自由”の代償の大きさに観客は息を呑み、涙を流す。アンバランスを抱えながら、矛盾する感情と価値観の間に板ばさみとなり右往左往するアンナ・カレーニナの姿に、21世紀の日本に生きる女性たちが共感できる要素は多い。どんな犠牲を払おうとも、自分の胸の中に生まれた自由への希求に正直に生きたアンナの物語を共に生き、劇場を後にする観客の顔には、爽快感のような生き生きとした表情が浮かんでいた。



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テキスト 七尾藍佳
※掲載されている情報は公開当時のものです。

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