江戸時代のゴシップメディア

17世紀日本の民衆が手にしたマスメディア『人形浄瑠璃文楽』

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室町時代に花開いた日本の芸能『能』と同様、『人形浄瑠璃』、一般的には『文楽』として知られている伝統的な舞台芸能も、そのオリジンは同じく14世紀までさかのぼる。時の幕府の権力が次第に弱まる中、各地の有力者が頭角を現し、旧勢力と新勢力がせめぎあった時代。その中で、農業や商業の担い手である民衆はたくましく生き、自分たちの手で文化を発展させていった。

現在の伝統芸能としての『人形浄瑠璃文楽』は、三味線の伴奏、それに合わせて太夫が語る浄瑠璃、そして人形、この3つの要素により成立している。中でも最も歴史が古いのが人形で、12世紀の人形操り集団である『傀儡師』までたどることができる。

三味線伴奏に合わせて物語が語られる浄瑠璃という芸能は、室町末期にはじまり、庶民の間で人気を博した。この浄瑠璃が人形劇と出会い、『人形浄瑠璃』が生まれたのが17世紀のこと。国際的評価も高い五社英雄監督の作品『女殺油地獄(おんなごろしあぶらのじごく)』も、もとをたどれば17世紀末、江戸時代初期に大阪に作られた竹本座という人形浄瑠璃一座のため、近松門左衛門が著したものである。

数多く存在した人形浄瑠璃の操座、現代的に言えばカンパニーの中のひとつが『文楽座』で、1984年の国立文楽劇場発足、すなわち『人形浄瑠璃の国立化』まで存続した。このため、もともとたくさんあった“カンパニーのひとつ”であった文楽座という固有名詞が、現代では『人形浄瑠璃』というジャンル自体とほぼ同義となり、正式には『人形浄瑠璃文楽』と呼ばれている。

『浄瑠璃』という物語形式の起源が、日本の芸能のルネサンスとも言える室町時代にある様に、『人形浄瑠璃=文楽』が隆盛を極めたのも、庶民が活躍した江戸時代である。興味深いことに、当時の売れっ子脚本家である近松門左衛門がターゲットとして想定した客層は、『髪結い』の若い女性たちだったという。彼女たちは、いわば江戸時代版のキャリアウーマンであり、自分で自由にできるお小遣いを持っていた。なおかつ、流行の先端を行く若者たちである。彼女たちのハートをつかむことができれば、ヒットは間違いなかった。

『文楽』の人形たちが着ている着物は、現代でも江戸時代とまったく同じ柄のものが用いられているが、それは当時もっとも流行った柄なのである。また、当時実際にあった殺人事件など、社会的出来事がモチーフとなっている作品が多いのも特徴的だ。つまり、『人形浄瑠璃=文楽』は高い同時代性を持ち、ひとつのメディアとして機能していたのである。今で言えば、ゴシップ誌と新聞とテレビのニュース番組とファッション誌の役割をかねていたのだから、庶民が我先にと新作を観につめかけたのも理解できるだろう。

一方で『時代物』と呼ばれる武士の世界を描いた物語も注目だ。日本では年末になると必ずテレビドラマ化され、国民的物語と言ってよい『仮名手本忠臣蔵』も、もとは大阪の人形浄瑠璃として上演されたもの。当時の幕府がとった行動に対する、民衆の中にあった批判的な視点がちりばめられている。庶民の姿を描く『世話物』、武士を描く『時代物』、そのどちらにも、商業が発展し、町人の力が強くなって行く中で、それまで支配される側であった庶民が獲得していった自主性、自らの手で時代を感じ、表現し、共有したいという表現への欲求を感じ取ることができる。

ここで重要なのは、それまでの日本では“情報”はお上が一手に握るものであり、幕府の批判となるようなものはご法度だった、という点だ。ところが『人形浄瑠璃』では、お上に対する気遣いは見せながらも、実にたくましく生きる当時の人々のリアルな姿が描かれている。

初めて観る際には、人形と三味線と太夫の3つの動きがバラバラに感じられるかもしれない。だがストーリーの概略を事前に読んでおけば、あとは人形がまるで“本当に生きている人間”のように見えてくる3人の人形遣いの芸によって、すぐに物語の中に引き込まれるだろうから心配はいらない。

文楽の本拠地は基本的には大阪の文楽劇場なので、東京で観るチャンスは限られている。当日券も発売されるが、2010年5月8日から24日までの東京公演のチケットはまだ手に入るので、事前に購入した方が安心だ。一日二部制だが、初めて文楽を観る方には、歌舞伎で有名な『連獅子』で人形の動きを堪能することができ、江戸庶民の物語も、そして武士を描いた物語も組み込まれた、バラエティに富む第一部がお勧めである。

公演情報

人形浄瑠璃 文楽

期間:2010年5月8日(土)から24日(月)まで
場所:国立劇場
【第一部】11時00分開演
祇園祭礼信仰記(金閣寺の段、爪先鼠の段)/碁太平記白石噺(浅草雷門の段、新吉原揚屋の段)/連獅子
【第二部】16時00分開演
新版歌祭文(野崎村の段、油屋の段、蔵場の段)/団子売
料金:1等6500円(学生4600円)、2等5200円(学生2600円)、3等1500円(学生1100円)
電話:0750-07-9900 / 03-3230-3000(PHS、IP電話) 国立劇場チケットセンター
※公演によっては売り切れの場合もあるので、チケットセンターで要確認

テキスト 七尾藍佳
※掲載されている情報は公開当時のものです。

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