世界で活躍する日本随一のインド舞踊家

「世界が尊敬する日本人100人」に選ばれた日本人ダンサー、小野雅子

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世界で活躍する日本随一のインド舞踊家

インド南東部のオリッサ州に伝わる“動く彫刻”とよばれるオディッシーダンスをマスターし、世界を舞台に公演活動を行っている日本人ダンサー、小野雅子。マイケルジャクソンのPVにさえ登場するというこのダンス、決して簡単にマスターできるものではない。

今や日本人が入ることはほぼ不可能だと言われているインド舞踊の名門『ヌリッティアグラム』で過酷な修業時代を過ごした小野雅子が、東京外国語大学を卒業した後、どのようにインドを代表する舞踏家になれたのか。ちょうどワークショップで帰国中の彼女に渋谷のセンター街まで来てもらい、インタビューを行った。

ダンスを始めたきっかけは?

小野:私の両親がモダンダンス教室で出会ったということもあって、小さい頃からダンス教室に連れられていました。そこには、横井雅子先生という方がいまして、モダンダンスの開拓者の一人マーサ・グラハム(グレアム)テクニックをがっつり学んでいました。厳しかったから嫌だったんですが…(笑)。

ご両親はどういったダンサーでしたか?

小野:父は東大出身で、その時代は学生運動が盛んな時期だったんです。思いっきり活動をして退学させられたり…。その時期に、舞踏だとかモダンダンスだとか、そういう表現に興味があったみたいですね。

最初は色々なダンスを踊られていたんですよね。

小野:週何回か教室に連れて行かれて、まだダンスに慣れていない身体だったので痛かったりしたのを覚えています。でも色々なダンサーを見ているうちに、ヒップホップが一番格好良いなぁと思ったんです。大学生になった時ですね。それでヒップホップダンスの教室に毎週何回か通っていたんですが、なぜか自分が踊っても格好良くなくて…。 自分のダンスのスタイルは育ちが良すぎて(笑)といいますか、ヒップホップにハマらなかったんです。大学生だったしバイトもしなくちゃいけないし、忙しくて練習もあまりできなかったし。その当時、私の通っていた東京外国語大学では色々な国の色々な文化を学ぶというクラスが多いのですが、体育の授業にバリ舞踊というものがあったんです。今思うと、インド舞踊と凄く似ているんですね。目とか指先とか使って踊るのがとても面白いんです。その時自分はインド・パキスタン語学科だったんで、だったらインドに行きながらインド舞踊を見てみようと思ったんです。タージ・マハルも好きだったので。


インドでないと学べないダンススタイルだったのでしょうか?

小野:はい。今から15年前の話ですが、その時色々と探してはみましたが、日本では私がやりたいと思ったダンスは習えなかったんです。今では日本で習おうと思えば習えます。

最初からオリッサ州のダンスをやりたかったのでしょうか?

小野:インドの古典舞踊には7種類あるんですけど、当時はよくわからなかったんです。とりあえず教えてくれる先生のいる、南インドのタミル地方を中心に発展したインド最古の舞踊『バラタナティアム』を学ぶことにしたんです。実際にインドで教室に通い始めたんですけど、バラタナティアムってすごくアップテンポだったので、これもちょっと違うなぁと思っていました。そうしたら同じクラスに、インドの洋服などを扱っている『西域諸国民芸品処 はるばる屋』(本店は吉祥寺)の社長さんも習いにきていたんです。「雅子ちゃんのやりたい踊りは、たぶんオディッシーダンスの方なんじゃない?」ってビデオを貸してくれたんです。その瞬間、これをやりたい!って思ったんです。

インドのダンスの初心者に説明すると、どういうダンスになるのでしょうか?

小野:できない。いきなりはできないダンスです。基本は間接を柔らかくして、腰を落とし、まっすぐに立てないといけないんですね。太ももの筋肉が発達していないと難しいです。結構アカデミックなダンスで、複雑な角度があって難しいんですが、それだけわかれば出来るようにはなります。

雅子さんと同じようなレベルで踊れていた日本人は、他にはいたのでしょうか?

小野:日本には全くいませんでしたが、オディッシーダンスに興味のある女性が2人いました。その人たちもインドに来て3ヶ月ほど学校に通い始めていた、という段階でしたね。インドで私の通っていた学校『ヌリッティアグラム』はハードルが高くて、普通には入れないんです。私が入学した時は、たまたま元学長プロティマ・ガウリ・べディが在籍していた時代で「日本人なら外国人だし、すぐ来て」って感じだったんですけど、私が入った後、ベディさんがお亡くなりになったりして、いきなり書類選考などとても厳しくなったんです。ちなみに「ヌリッティア」は「踊り」の意味で、「グラム」は「村」という意味です。


今から入学しようとしたら、入れますか?

小野:その学校には入ることは不可能なんです。“卒業”のないダンスのコミュニティなので家族も捨てて、そこで骨を埋めるぐらいの気持ちで来ないと、まず難しいんです。この学校はとても関係が厳しくて、学校に認められたレベルに達していないと個人では公演も行ってはいけないし、ワークショップだけしか開催してはいけない。

この学校の人達の日本公演をコーディネートするよう言われて、母にも手伝ってもらい、実現しようとしましたが、なんせ未経験の仕事でしたし、経済的にも現実的でない条件だったので、断念しました。私としては就職も蹴ってまでインドに渡って、死に物狂いだったし、ダンスに専念したくて。

『ヌリッティアグラム』を退席したあとは、何か予定があったのでしょうか?

小野:全くなかったんです。インドでどうなっちゃうの?という状態だったんですね。日本に帰国してから、ちょうどパルコのカルチャーセンターで踊りを教えて欲しいというオファーもありました。でも、カルチャーセンターが始まる1ヶ月ほど前にウェスティンホテルに泊まっていた黒人女性ジャズシンガーの方が、偶然ワークショップに来てくれたんです。その時、彼女が私に対して「アンタいいじゃん!」みたいなことを言ってくれたんですね。そして、その人のプライベートレッスンを頼まれて教えているうちに、日本でニガーで格好良い女性を見ていたら「だったら私もインドに渡ってパフォーマーとして一人でやってみるのもいいのかもしれない」と思えるようになったんです。それでもう一度インドで活動を始めることにしました。

インドではまた『ヌリッティアグラム』のある街バンガロールに戻ったんでしょうか?

小野:いいえ、今度はオディッシーダンスの中心であるオリッサ州に住むことにしたんです。インドに行く前って、まだ身体もカチンカチンでダンサーの身体というわけではなかったんです。でも『ヌリッティアグラム』でヨガをやったりしながら、インド舞踊の基本をほとんどそこで学びました。『ヌリッティアグラム』では住み込みなので一般人と話す機会なんて全然なかったんです。朝から晩まで掃除やら草むしりやら…。でもオリッサに移動したとき、「あ、私もそういえば女だったんだ」と思い返す余裕が生まれてきたんです。オリッサでは、ちょっと怠け者になってしまったかもしれないですけど、そこで心が自由になれたんです。

『ヌリッティアグラム』とオディッシーダンスとの違いはなんでしょうか?

小野: 確かに「ヌリッティアグラム」の踊りはアカデミックで、身体能力もずば抜けています。一方オリッサ出身のダンサーたちの踊りは、感覚的で、ローカルな感じで、暖かい。特に群舞のコレオグラフィーの中には、土地の神の魂が現れるようなものもあり、面白い。私は「ヌリティアグラム」とオリッサの両方の地で踊りを習えてとてもラッキーだったと感じています。色々な演目があって、ほとんどがシヴァの神様とか、神様にまつわる話です。100個以上の演目があって、先生によって演目も変わってきます。

これから若いインド舞踊を学びたい人たちは、どこで学べるんでしょうか?

小野:私が表参道で毎月開催しているオディッシーダンスのワークショップに遊びにきてください。初歩から丁寧に教えています。それから本格的に始めようと思ったら、高田馬場にある『シチズンプラザ』で、毎週木曜日」19時からの教室がオススメです。そこでは私の指導している生徒さん達がインストラクターとして基本的なステップなどを教えています。ヒップホップやモダンダンス、ジャズダンス、なんでもいいですが、ダンスの経験があったり、ダンスをする身体が出来ている子は上達が早いですね。また、クラスも全部マスターして本場のインドで学びたいと思う人は、インドに私のスタジオを作ったので、是非おいで下さい。

最後に、8月14日(日)に代々木公園のインドフェスティヴァルにて生徒さんたちとダンスの披露をする機会があります。(時間未定)よかったら遊びに来てくださいね。インドの食べ物や服などの販売もあるみたいです。



インタビュー 西村大助
※掲載されている情報は公開当時のものです。

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