見方を自由に決められる展覧会

『HIROSHIMA-HAPCHEON:二つの都市をめぐる展覧会』が開催

見方を自由に決められる展覧会

12人の俳優が“展示物”となり、1人の学芸員がいて、“展覧会”を装っている『HIROSHIMA-HAPCHEON:二つの都市をめぐる展覧会』。これは1993年に岸田國士戯曲賞を受賞した松田正隆が結成したシアターカンパニー、『マレビトの会』による新しい形の“演劇”である。上演時間、というよりは展覧会の“開館時間”は3時間ないし5時間。だが目安とされる鑑賞時間は1時間。あくまで目安なので、観客=来館者は、5分で出て行ってもよいし、はじめから終わりまでいてもよいし、どの役者=展示物を鑑賞するのかも自由に決めてよい。テーマは、日本の広島と韓国のハプチョンという2つの都市で体験された“原爆”。出演者が、広島やハプチョンに行って取材し、体験し、感じたことを報告するという“身体の展示”と同時に、取材の中で集められた音声、映像、テキストも展示物として並ぶ。松田正隆の『マレビトの会』は都市をテーマに作品を発表しているが、本作は松田の故郷である長崎を取材した『声紋都市—父への手紙』からつづく『ヒロシマ-ナガサキ』シリーズの第3作にあたる。人が人を演じるだけではなく、“展示場を演じる”という、きわめて斬新な構想を持つ『HIROSHIMA-HAPCHEON』について、松田正隆に聞いた。

「昨年、広島をテーマにした『PARK CITY』という作品を創りました。広島の平和公園の写真をずっと撮っている笹岡啓子さんと一緒に創ったものです。公園の中には平和記念資料館があって、今回はその資料館をテーマにしました。ここの原爆の実相を伝える展示では、私たちが使っている“日常品”が光(原爆の)を浴びて、どれほどの被害を受けたかを表す展示物になっている。たとえばアウシュヴィッツの展示物に関しても同じですが、私たちの日常の品々が展示されているのです。その展示物の、露わになっている感じで、自分の中の何かが逆撫でされる感じがある。こういったものは“美しさ”を表すために展示されているわけではなく、たとえば黒焦げになった弁当箱がおいてあったりすると、そこにキャプションがあって“この少年はどこで被爆した”といったことが書いてある。それは一般の市民で、もともとはその弁当箱はその少年が食べようと思って持っていたものなわけですから、最初の目的とは違う目的をまとって展示されているわけです。そういうことが、よくよく考えると奇妙だなと感じるところがありました。資料館の衣服などの展示物は、当時の広島の市民が実際に着ていたものが、“原爆が落ちた後”に展示されたものです。今回の作品で私たちがやろうとしているのは、“原爆が落ちる前”なんです。その人たちは、いつもの朝を迎え、学校に行ったり、勤労動員に行ったりする中で、その朝、原爆が落ちるとは思わずに生きていた。あとから考えると、それが8月6日の8時15分という時間になるわけです。でも、私たちだって、落ちる可能性が無いといえば、無いと思って今の時代を生きていますよね。だから“原爆が落ちる前”の私たちの都市の姿を展示できないかな、と考えたのです」

『HIROSHIMA-HAPCHEON』では、出演者が実際に取材を行い、それを元に会場で行われる“報告”が創られた。取材に行ったのは、広島だけでなく、韓国人被爆者が多く住むハプチョンも含まれる。広島という都市をハプチョンにまで広げることによって、何が見えてくるのだろうか。

「まずやりたかったのは、出演者が広島の街に身をおき、資料館に行ったり、被爆者の話を聞いたりして、広島という都市に行って、戻ってきて、報告してもらい、その“報告”自体を展示する、という試みです。そしてもうひとつ今回、導入したかった視点は、ハプチョン。広島・長崎というと、その2つの都市が日本の中にあるから、唯一の被爆国としての日本の中の広島にどうしてもなってしまいます。でも今の大阪でも東京でも、日本のあらゆる都市に移民がいるのと同じように、当時の広島も軍都で、旧植民地である朝鮮半島の出身者がたくさんいて、そのほとんどがハプチョンという都市の人々でした。広島という都市にハプチョンというもうひとつの都市の固有名を導入することで、いわゆる“国民”の受難、被害、悲劇の歴史、という語り口をもう少し“加害”の方に持ってゆくことができるでしょうし、あるいは国民が一枚岩ではなく、多様な人々がそこにいるのだということ、特に台湾や朝鮮半島からの人々が広島という都市には数で言えば約5万人、これは厳密に実数はわからないのですが、それだけの人々が被爆しているという視点も含めることができる。広島の原爆の資料館は、“国民の歴史”として展示されているわけですが、そこに私たちの作品では展示という方法を採りながら、アジアの視点、韓国への視点、ハプチョンという都市へのまなざし、をおきたいと考えたのです」

被爆体験を語るときには、どうしてもナショナルな体験という形になってしまう。だがそこには、“日本”という枠組みではくくりきれない多様性と広がりが現実としてある。原爆が落とされたもうひとつの都市である長崎出身の松田正隆は、どのようにしてアジアへの視点を取り込んでいこうという姿勢を持つにいたったのだろうか。

「何よりも大きかったのは、『声紋都市』で自分の出身地である長崎を作品のテーマとして扱ったときに、自分の父親への手紙を書くという形で個的なところからシリーズを立ち上げ、題材になった父親が第2次世界大戦の時に従軍していた兵士だったということです。父親に加害責任があるかどうかというのは、当時の国民は徴兵されたり、学徒出陣だったので、“責任はあるのかどうなのかな”というのはずっと考えてきたんですが、無いともあるとも僕には言えないところがありました。父親にカメラを向ける私的なドキュメンタリーと演劇を並走させて創っていました。その中で、父親が従軍していた兵士だったことと戦後、教育者として生きてきたことの功績を評価されて、天皇から叙勲されたんです。天皇に会う前に、自分の父親はものすごくお酒が好きなのに、お酒を断って、緊張しているんです。それを見て、彼の体にしみついた臣民としての身体があるんだな、ということに驚きました。自分の父親がそういう身体を持っているということは、自分にもそういうものがまったく無いとも言えないわけです。自分が愛する父親なんだけど、その父親の戦争責任の問題を考えたときに、戦争に従軍した、“天皇の赤子、臣民”としての、日本兵としての“からだ”が未だにあるということ、天皇に会いに行くときに現れる“からだ”にしみついたそういうものって何なんだろう、という問題意識と、原爆の問題を絡めながら最初の作品を創りました。“加害”の問題を考え始めたのはそのことがきっかけでした。また、“加害”“被害”という二項対立だけでやっていくと、大変なことになって行くので、そこを乗り越えられるのはやはり演劇という芸術だと思います」

松田正隆は、劇作家としてテキストを書くことに専念していた時期がある。だが“テキストの世界観”を劇場に持っていって発表するという表現方法に限界を感じたことから“作家”に頼るワンマンな劇団ではなく、劇団員が1人もいない、映像作家や音響デザイナーなどがゆるやかに参加する合議制のカンパニーである『マレビトの会』を立ち上げた。それは、広島やハプチョンといった、ある出来事に関して多くの人がそれぞれの記憶を持っている場所をテーマにした作業をしてゆく中で、1人の世界観では対応しきれないことを痛感したからだと言う。実際に当事者にインタビューをしてゆく過程では、自分が「聞きたいこと」以外の「ノイズ」も耳に入ってくる。それは現実と向き合い、他者の声を受けいれるということでもある。松田は、都市とは「自分には関係ないような様々な情報が入ってくる場所だが、関係ある・ないという自分の尺度を壊してくれる場所」と捉えている。そのような場所に身をおいてこそ、自分の脳内だけで終始してしまっただけでは排除されてしまうような「無駄と思えるようなことも含めて」作品を創っていきたいと考えるようになった。“テキスト”を反映させる“劇作家”の時は、松田は自分の作品をある程度「管理できた」。だが、他者と密接に関わりあう創作過程で、作品は彼の手を離れ、様々な視点と視線が交錯する、多層的な世界を生み出し始める。『HIROSHIMA-HAPCHEON』では“観る側”にも相当の“自由”が与えられている。はじまりと終わりも観客が自由に設定することができる。決められた座席はなく、どの角度から観てもよい。結果として、どうしても“見逃す”部分が出てくる。作者の管理下から開放されることによって、作品は“自由”を獲得するが、それは同時に、見せるものをすべてコントロールできないというリスク背負うことでもある。なぜ松田正隆はあえてそのようなリスクを取るのだろうか。

「既存の演劇であれば、寸分たがわず自分の作品を観客に観てもらいたいのでしょうが、今回の場合は一箇所の展示を見ていると、他のところでの展示物のレポートは先に進んでいたり、見逃してしまったりします。なぜあえてそういうことをしたかったのかというと、自分が選択するルートによって、展示の体験の仕方がそれぞれに変わってくるということをしたかったからです。同じ展示を同時に体験することによってみんなが同化してゆくよりも、その人の会場にいる時間や、コンディション、その時の気分によって、情報を吸収してゆく体験が一人一人ちょっとずつ違う、個別の経験が生まれるだろうと思うんです。俳優たちがぼそぼそと語ったり、たまに叫んでみたりするものが、同じ空間で同時多発的におかれていて、順序を決めずに、観客それぞれが選択して体験できるものを目指したかったんです」

原爆が“悪”であるのは、言わずと知れた事だ。原爆というものに対して戦い続けるのは、人類が平和を願うからである。今この瞬間も、世界のいたるところで平和が破壊されつづけている。それが“悪”であることは頭で分かってはいるものの、遠く離れた場所にいると、実感が持てないというのが多くの人の正直な感覚ではないだろうか。だが、同じくらい多くの人が、何らかの形で“関わって”いきたいと思っていることもまた、ひとつの真実だ。問題は、歴史的な事柄、あるいはアクチュアルに起きている出来事に対して、現代に生きる私たちがどのように向き合い関わるのかということ。松田正隆が長崎と広島に対してのみならず、すべての出来事に対して関わりを求めてゆく姿勢はこの点に関して示唆に富んでいる。

「語る根拠の無い人が、当事者の街にいって、どのように当事者と関係を切り結ぶのか、関係を“断つ”ことも含めて、どう“関わる”ことができるのかが大事なんです。パレスチナでも、チェルノブイリでも、何にでも言えることなのですが、自分たちと直接の関わりが無いように思えることとどう関わっていくのか。今回の作品でも“わたし”という語り手の主体の問題を問われることになりました。広島に取材に行って、出演者が“どう語るのか、なぜ語るのか”に悩んだし、“かろうじて語る方法は何か”を考えました。被爆の実相は書物やドキュメンタリー映画などで知ることができますが、演劇だからこそ伝えうるのは、媒介者となって語る出演者の身体がどうのようにさらされ、揺れ動き、引き裂かれるのか、だと思います。展示物でもある出演者の振る舞い方に、“来館者”である観客がどう反応してゆくのかを知りたかったんです」

実はこの展覧会で“観られている”のは、媒介者を通じて広島とハプチョンを体験することになる“あなた自身”だとも言えるのだ。日本国内にとどまることのない、国境を越えて広がってゆく“ヒロシマ”と“ナガサキ”と“ハプチョン”の体験。劇場の枠を超えてゆく松田の求める演劇は、観る側と演じる側の間に生じる関係性にあるようだ。

「現実とどれだけリンクしているか、が演劇にはやはり重要です。社会問題を取り上げればいいということではないのですが、今、現実にどういうことがこの世界では起こっているのかを芸術作品として知らしめるということが大事だと思います。演劇では生の身体である俳優が、常に現在時にいますから、その人が亡くなった人や、昔あった歴史上の出来事をどう伝え、今生きている来訪者=観客がそれをどう受け止めるのか、というある種の人間関係が生まれるんだと思います。今の演劇はもう、単純に、舞台をやっている人がいて、出来上がったものを観客が黙って観るというのでは無いと思うんです。観客が上演している人間に対して批評性も含めて関わっていく……それを“参加”と呼んでもいいし、視覚と聴覚だけでなく、触覚を通して、空気を共にして触れ合い、関係を切り結んでゆくというのが演劇の面白さです。今までの劇場にどうしてもあった、演じる側と観る側の間に壁をどう取り払っていって、触覚を観客に喚起させられるようなものを創っていけるのか、を考えています」

2時間ないし時には4時間近く、決められた時間の間中ずっと席でじっとしているのが“演劇”だと思い込みがちだ。演劇というのは、“関係”を求めて人と人が出会う場所なのだとすれば、『HIROSHIMA-HAPCHEON:二つの都市をめぐる展覧会』は通常の演劇とはかけ離れているようでいて実は何よりも“演劇的”な演劇だと言えるのかもしれない。“見方を自由に決められる展覧会”という名の演劇で、あなたの中の“広島”にはどんなさざ波が立つだろうか。


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テキスト 七尾藍佳
※掲載されている情報は公開当時のものです。

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