本能を刺激フード・パフォーマンス

諏訪綾子展 ゲリラレストラン『Lost Tongues』

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本能を刺激フード・パフォーマンス

諏訪綾子による、食を扱うエキシビションとパフォーマンス『ゲリラレストラン』が、2010年10月9日(土)から3日間、原宿のラフォーレミュージアムで開催される。通常ならば“アーティスト”あるいは“シェフ”という肩書きがつくものだが、諏訪綾子はアーティストでもなく、シェフでもない。だが“食べる”ものをつくり、提供する。それは、空腹を満たすために食べる、味わうために食べる、というものではなく、人が忘れかけていた欲望や好奇心を引き出す食べ物として作られているので、“料理”とは呼ばれない。彼女は自身の表現、提供する“食の場”と“食のかたち”を『フード・クリエーション』と呼んでいる。

『諏訪綾子展 ゲリラレストラン』で提供されるのは、“食べ物”というよりは“食べられる作品”、あるいは“装置”というべきかもしれない。そしてフードには、いつも何がしかのコンセプトがある。「胃までコンセプトを届ける」というキャッチコピーで企業とコラボレーションし、ケータリングを行う。だが、そこにはいつも“何がしかのたくらみ”のようなメッセージが込められていて、ケータリングではあるものの、パフォーマンスでもあり、体験型インスタレーションでもある。場所も様々だ。美術館をはじめとするアートの場、福岡の地下街といった街角、伊勢丹の地下の食堂街、ブランドのオープニングセレモニーを行う店内など。国境を越えてシンガポールやフランスでも、他にはない形で“フード”を提供してきている。

諏訪綾子のゲリラレストランでフードを運ぶスタッフは、“ウェイター”ではなく、“キャスト”と呼ばれ、毎回のテーマにあわせて諏訪綾子がキャスティングする。彼らのバックグラウンドは舞踏家やストリッパーと様々だ。キャストは、何も話さなかったり、目の周りが真っ黒に塗られていたりと、その時々のコンセプトに合わせて演出され、ショーアップされる。たとえば、“感情”がテーマのゲリラレストランでは、運ばれたものを客が食すと、キャストは無言で“怒り”や“空しさ”といったカードだけをすっと差し出す。そういったパフォーマティブな提供の仕方にこだわるのも、「同じ食べ物でもシチュエーションで感じ方が違う。誰が運んでくるか、どんな状況なのかに影響される」からだという。

今回ラフォーレミュージアムで開催される『ゲリラレストラン』は、諏訪綾子にとって、東京では初の大規模な展覧会となる。多くの表現活動を東京で行ってきてはいるものの、写真作品も含めて、トータルに諏訪綾子の世界を目で見て、味わい、触れ、感じることができるのは今回が初めてだ。タイトルは『Lost Tongues』、『失われた舌』。おそらく牛タンと思われる肉片、その舌先に宝石のようなフルーツの種などがそっとのせられている、ちょっとドキリとする作品がポスターに使用されている。諏訪綾子は、どのような思いからこのタイトルをつけたのだろうか。

「今回の『Lost Tongues』は、失われた感覚を呼び覚ます挑発のディナー、というコンセプトです。太古の昔に狩猟や採集をしていた時代の人は、目の前にあるものを食べてみて意外に美味しかったり、思いがけず死んでしまったりしたということがもっと日常的にあったと思います。死と隣りあわせで、いろいろな感覚を研ぎ澄ませて、見たり、匂いをかいだりしてきて、触ったりして、口にいれてきた歴史があって、今のような食文化が生まれて、人は進化してきたと思うんです。それを考えると、東京のような都市に住んでいると、お金を払えばいつでも安心で美味しいものを食べられる。そういう状況にあると、昔の人が持っていた、食べ物に対する感覚は逆に退化しているのではないかと思います。これを食べたら死ぬかもしれない、でも、“食べたい”という好奇心や欲望があるから、勘を働かせたり、感覚を研ぎ澄ませたりする、そういうことを忘れてしまっているところがあると思うんです。私が東京という都市で“フード・クリエーション”という表現や活動を行うことの意義として、人間に本来あった感覚や本能を思い出させる、ということがあると考えるようになりました」

“食べる”という行為には、様々な身体器官が総動員され、触感から匂い、味など、5感を刺激するものだ。だからこそ、食べ物にまつわる記憶は、ずっと長く人の中に残り続けるのかもしれない。母の味、旅行先の味、ふるさとの味。異国の味。それらは、“味”というよりは“想念”のようになり記憶として残り続ける。諏訪綾子は、“食べ物”の持つ時間を越えてゆく力にも注目している。

「食べ物って、食べてしまうと消えてなくなる。私が作っているものは、そういう消えてしまうものではなく、むしろ最後に人の中に残る記憶や、印象なのだと思います。作っているものは“食べ物”だし、“食べる”シチュエーションですが、食べている時間に感じて経験したことはもちろんのこと、食べ終わって、それがなくなって家に帰ってからの時間、あるいは5年後か3年後なのかもしれないずっと先に、どうやってその人の記憶に印象として残っているか、私が作っているのはそういうものなのだと思います」

失われた“舌”が味わったであろう“感覚”。常に安定して食卓に食品が届けられる都市生活の中で、私たちが失ってしまったものは何なのだろう。取り戻せるものなら、取り戻してみたい、味わってみたい、そう思えたのなら、あなたの“記憶”までもがメニューに含まれる『ゲリラレストラン』の予約=チケットを取ってみてはいかがだろうか。


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テキスト 七尾藍佳
※掲載されている情報は公開当時のものです。

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