2010年04月22日 (木) 掲載
近年、日本人の若い世代で伝統芸能がブームとなっている。また能の公演に行くと、意外なほど外国人客の姿が多いことにも気付く。彼らは自分たちのカルチャーとは異なる文化で育まれた『パフォーマティブ・アーツ』を、どのように楽しんでいるのだろうか。何を感じているのだろうか。
まずは、『能』のごく基本的な情報を紹介しよう。能は、14世紀ごろにほぼその形が完成された、謡と舞を中心とした日本の舞台芸術で、ユネスコ無形文化遺産に認定されている。オペラの基礎になったとされるイタリアの仮面劇『コメディア・デラルテ』などは、そのイメージが近いかもしれない。コメディア・デラルテは15世紀半ばに始まった演劇なので、日本とイタリアの仮面劇は、100年ほど前後する形で生まれたことになる。
古くから伝わる能面を付けて演じられる役柄が多いことから、能は“無表情”な演劇のように思われがちだが、実はむしろ“表情”の表現は豊かなのである。このことに関しては、観世流能楽師の片山伸吾が次のように説明している。「能面は演者の力量も大きな要素ですが、能面自体に大きな工夫があります。それはシンメトリーでないように作られていること。人間の顔同様、左右の眼の角度を変えたり、ほほの面積を変えたりすることで、顔の中での陰陽を作ります。中間表情が故に喜怒哀楽全てに対応できるようになっています。“能面のような無表情”は“無表情”の代名詞のように使われますが、実は様々な表情を持っているのです」。そのため、能面が生身の人間の感情を露わにして、怒ったり、涙を流しているかのように感じられるのだ。
能は室町時代の将軍・足利義満に認められたことから、武士という特権階級のたしなみとなった。そのため現代の日本人も、町人文化の印象が強い歌舞伎や文楽よりも敷居が高いイメージを持っている。だが実際、能はもともと庶民の芸だったという。前述の片山伸吾は「当時の人たちは頭でモノを観るのではなく、肌でモノを観ることに長けていたのかもしれません」と言っている。
生、死、自然という、人間をとりまく根源的なテーマを扱っている点も、ひとつの大きな魅力だ。それらは“言語”では説明できない部分が多いため、観る人それぞれに、感じ方が異なる“異文化”である。メキシコから、観光で日本を訪れ、能を観に来ていた医師アンナ・カメーロに話を聞いたところ、「船旅の道中、滅亡した一族が怨霊となって顕れる『船弁慶』が気に入った」という。「とってもスピリチュアルだと思った。でもその“スピリチュアル”は、メキシコや西洋文化とは全然違うの。宗教的、というのでもない。洗練されて、とても芸術的な精神性を感じた。詩的とも言えるわね。それが日本的だということだと感じたわ。日本人にとって、海がとても大事なものであることや、自然や死に対してどういう感性を持っているのかがよくわかるし、とっても素敵な体験だった。本当に心が洗われる、気持ちのよい体験だった」。
アンナは、その日の朝に成田空港に到着、ガイドブックを開いて『国立能楽堂』の情報を知り、“Noh”には以前から興味があったため、ホテルに荷物をおくなり劇場に足を運んだそうだ。直接劇場を訪れた場合、運良くちょうどよい公演があれば当日券を手に入れることができる。だが公演がなくても、時間に余裕があるなら週末の公演のチケットを購入できる。国立能楽堂では4月25日、12時30分より観世流の公演があるので、足を運んでみてほしい。
『先代観世喜之追善公演』
日程:2010年4月25日(日)
時間:12時30分から
場所:国立能楽堂(ヴェニューはこちら)
『定例公演』
狂言 太子手鉾(たいしのてぼこ)野村万蔵(和泉流)
能 釆女(うねめ)渡邊荀之助(宝生流)
日程:2010年5月14日(金)
時間:13時00分から
場所:国立能楽堂(ヴェニューはこちら)
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