“最後の歌舞伎座”を観る

近代日本の“文化的装置”としての歌舞伎座を体感する最後のチャンス

“最後の歌舞伎座”を観る

歌舞伎座さよなら公演『御名残四月大歌舞伎』が開催中だ。巷では、まったくチケットが手に入らない、という噂がまことしやかに囁かれているが、実はまだ、興行が続く2010年4月28日までの間に“最後の歌舞伎座”を観る手だてがある。

これを見逃す手は無い。というのも、歌舞伎座という“場所”自体を味わうことは今後もう無いからである。歌舞伎を観るということは、“観劇”というよりむしろ、東京人が連綿と築き上げてきた「東銀座にある歌舞伎座に歌舞伎を観に行く」という行為そのものさす、ひとつの文化イベントであるからだ。

例えば、東京で育った女性にとって、歌舞伎座とは小さい頃から母親に連れて行ってもらう“お出かけ”、“ハレの日”の場所である。銀座の老舗の靴屋で買ってもらったエナメルの革靴と、百貨店で選んだよそ行きのドレスを身に付けて行く特別な場所だ。歌舞伎座に行くと、着物を着こなした歌舞伎役者の女将さんが贔屓客と挨拶を交わしている。子供たちは、それを見て大人たちの世界を垣間見る。そのようにして、“東京人らしい東京人”が形成されてゆく。つまり歌舞伎座は、東京というメトロポリスの“市民”を生み出すための文化的装置なのである。
公演前に地下食堂の『花道』で昼食を予約する。休憩が来ると、自分の名前が書かれた札の立ったテーブルに向う、という独特のシステムも、歌舞伎座ならではのものだ。そのような歌舞伎座独自のシステム、流儀に精通していることは、東京人であることの一種の“資格”のように機能してきた。それは“奥様”であることの証でもある。

夏目漱石をはじめとした、明治の文豪の作品には歌舞伎座が頻出する。パリのオペラ座がブルジョワジーの社交場として機能したように、歌舞伎座も日本の近代化と共に育った。外国からの多くの客人が、“日本”を演出する祝祭的な雰囲気の中で、日本の政財界人と様々な取引を行ってきたのであろう。

この劇場は、日本人としての魂を保ちながら、いかにして近代化するのか、という難問に対して、東京という街の人々が考え抜いた末にたどり着いた結論の結晶でもある。それは、歌舞伎以外の近代化において日本人が取った手法と同様に、和洋折衷や和魂洋才といった、“形”は西洋を真似るが、中に宿る“魂”は日本であるというアレンジなのだ。

『歌舞伎』という日本の伝統演劇を、西洋の“劇場”という型・器にアレンジし、組み込むことによって生まれたのが今の歌舞伎座だ。つまり、今の歌舞伎座が江戸時代の歌舞伎と同じかというと、それはまったくもって異なるものなのである。かつては芝居小屋と呼んだように、近代以前は小屋に近いものだった。今の歌舞伎座を西洋文化に親しんだ人が見ると、それは多分にオリエンタルに感じられるかもしれないが、良く見れば、明治、昭和の日本人が考えた“西洋的なるもの”への憧憬と、西洋へすり寄ろうとするある種、政治的な意志を発見することができるかもしれない。例えば、赤じゅうたんがそれである。

それが2年後には高層ビルになるというのだから、まさに歌舞伎は“日本的”なものの象徴だと言えよう。つまり、日本人は変化に対して、一見頑なに見えるようでいて、その実オープンである、ということだ。文化は変遷してゆく。街も人々も変わってゆく。形あるものは、滅びる。文化は生きもので、呼吸をする。その寿命が尽きる時が、やがて来る。だからこそ、形をかえて生まれ変わり、また息を吹き返すことを、日本人は本来、知っている民なのである。

それは何故か。日本には“言霊”という言葉がある。言葉に力が宿ると、ケルトの民が、自然のものには“本当の名前”が存在し、それを知ったものは、その“もの”を自在に操る呪術を手にすることができる、と考えたのと似ている。歌舞伎という精神、ギリシャ哲学で言う形而上的なイデアがたゆみなく師匠から弟子へと受け継がれてゆく限り、歌舞伎座は永遠に存在し続けるとも言える。それは、ベテラン歌舞伎役者の円熟した技と、テレビや映画で活躍する若手のフレッシュな魅力の両方を堪能させてくれる舞台からも、しっかりと感じることができた。

だが、先人たちが培ってきた魂が、実際に今の歌舞伎座で生きているその姿を目にすることができる時間は残り少ない。そこには日本の魂がある。幕見席は毎公演ごとに150枚発券されるし、運が良ければ当日券を手にして歌舞伎座の中をくまなく見て回ることができる。生きている“近代の文化的装置”としての歌舞伎座を体感しに行く最後のチャンスだ。

歌舞伎座さよなら公演『御名残四月大歌舞伎』
期間:2010年4月28日(水)まで
場所:歌舞伎座
時間:第1部11時00分から、第2部15時00分から、第3部18時20分から
当日券:一幕見席は毎公演30分前より発売開始
    (※一幕見席は出入り口が異なるので歌舞伎座内部を見学することはできない)

テキスト 七尾藍佳
※掲載されている情報は公開当時のものです。

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