青木淳が世界に伝えたい日本の名画

「東京という都市の風景を知るのに、とっておきの映画を5つ選びました」

青木淳が世界に伝えたい日本の名画

東京オリンピック 監督:市川崑(1965年)

戦後日本の大きな節目にあたる1964年の東京オリンピック。単なる競技記録映画ではない。競技施設建設のために既存ビルを破壊するシーンから始まるこの映画は、それ以上に、当時の東京という都市の変化を生々しく伝えてくれる。丹下健三の代表作「代々木体育館」。


アカルイミライ 監督:黒沢清(2003年)

表参道を表参道たらしめていた「同潤会青山アパート」が、2003年取り壊され、その場所に、今は「表参道ヒルズ」が建っている。映画に映るこのアパートは、たぶんこの映画が最後。全編、当時の東京の「感じ」がよく映っている。


東京暗黒街・竹の家 監督:サミュエル・フラー(1955年)

当時の東京の本当の姿ではなく、当時のアメリカ人が抱いていた東京のステレオタイプ。とは言え、今はなきフランク・ロイド・ライト設計の「帝国ホテル」や浅草のシンボルだった「松屋浅草デパート」など、サービスいっぱい、「観光地」が次々に出て来て、楽しいことこの上ない。(サミュエル・フラーの「東京暗黒街 草の家」は、正確には「20世紀フォックス」の映画ですが、日本の外務省など、国の支援があってつくられた映画だし、日本が舞台になっているし、ま、よろしいのでは?)


野獣死すべし 監督:村川透(1980年)

1929年に完成した「日比谷公会堂」は、今も現役のホールではあるけれど、少なくとも1961年の「東京文化会館」竣工までは、名実ともに東京随一のコンサートホールだった。その往年の姿と、当時の「銀座ヤマハ」のレコード売り場など、戦後日本のクラシック音楽の環境が(も)垣間見ることができる。


機動警察パトレーバー2 監督:押井守(1993年)

1964年の東京オリンピック開催にあわせて、首都高速道路が建設された。こうして、今の東京の、町の真ん中の頭上を高速道路が走り回る風景、また、(河川の上に建設する方が楽だったので)高速道路高架下の川という特異な風景が生まれた。その風景がうまく使われている。




青木淳
建築家。東京大学大学院修士課程 (建築学) を修了後、磯崎新アトリエに勤務。1991年に青木淳建築計画事務所を設立。作品は住宅、公共建築、ルイ・ヴィトンの店舗に代表される商業施設など多岐に渡る。代表作に「馬見原橋」「潟博物館」「青森県立美術館」がある。


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