映画『ゼロの未来』レビュー

「すべては無である」という定理に挑むハッカーの物語

© 2013 ASIA & EUROPE PRODUCTIONS S.A. ALL RIGHTS RESERVED.
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『ゼロの未来』タイムアウトレビュー

テリー・ギリアム監督の『ゼロの未来』は、ハイエンドなサイバー社会のおとぎ話のような空気感を纏った、ローファイな未来技術社会の道化芝居である。映画『未来世紀ブラジル』を手がけたギリアム監督の新作には、人気俳優たちが出演している。スキンヘッドのクリストフ・ヴァルツ(映画『ジャンゴ 繋がれざる者』)は、マンコム社という企業に勤務する、魂を(そしておそらく精神も)喪失した天才プログラマーのコーエン・レスを演じている。舞台となっている場所や時代設定は不明だが、近未来のヨーロッパの都市だと思われ、その街は色褪せながらも派手なネオンに溢れている。

ある日、コーエンは「ゼロの定理」(「すべては無」であるという定理)を解明するという悪名高いプロジェクトに招集される。自身が住む荒廃した教会に籠って仕事をしているため、さらに現実世界との接点を喪失していき、ますます孤立を深めていく。接触する人物は、オンラインで面談するセラピスト(ティルダ・スウィントンがウィッグを被って出っ歯のスコットランド人を演じている)と、バーチャルセックス産業で働くおどけたフランス人女性(メラニー・ティエリー)、そしてアシスタントとして活躍する上司の息子(ルーカス・ヘッジズ)のみ。そのほかにも、コーエンの上司としてデヴィッド・シューリスや、マンコム社の上司としてマット・デイモンが明るい白髪に染めたヘアスタイルでゼブラ柄のようなスーツを着用して数回登場する。

本作は、デジタルがもたらす疎外や、頻繁に無愛想さや疲労を感じさせるテクノロジーの腐敗というアイデアを描いているが、無秩序で、時に愉快で、所々退屈である。人生を文字通りに捉える観客や、ギリアム監督が描く散漫なガラクタ市のようなSFの美学に対して耐性を持たない観客にとっては、『ゼロの未来』は厄介な作品かもしれない。映画『未来世紀ブラジル』、『12モンキーズ』とジャンルは通じるが、両作に比べると便宜が図られていなかった。つまり、前者で見られるウィットや、終始惹き付けられるような魅力、そして後者で見られるスケール感や、複雑に絡み合うアイデアが欠如しているのだ。最も欠如している要素はユーモアであり、劇中に「Occupy Mall Street」というショッピングセンターが登場するが物足りない(Occupy Mall Streetとは、2011年にウォール街で実施された経済や政治に対する抗議活動、「Occupy Wall Street(ウォール街を占拠せよ)」をイメージした洒落だと思われる)。しかし、ギリアム監督から溢れ出る無差別な想像力は評価に値するだろう。また、コーエンを演じるクリストフ・ヴァルツは、情緒不安定でありながら凶暴になりすぎずに素晴らしい演技を披露していて、そこに確かな狂気を表現している。


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『ゼロの未来』

2015年5月16日(土)YEBISU GARDEN CINEMA新宿武蔵野館ほか全国順次公開

監督:テリー・ギリアム
出演:クリストフ・ヴァルツ、デヴィッド・シューリス、メラニー・ティエリー
配給:ショウゲート
©2013 ASIA & EUROPE PRODUCTIONS S.A. ALL RIGHTS RESERVED

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翻訳 小山瑠美
テキスト デイヴ・カルホン
※掲載されている情報は公開当時のものです。

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