異文化を越えるダンサー、中村恩恵

多種多様な人間がともに生き、“ぴたっ”と共感できる瞬間を作り出す

異文化を越えるダンサー、中村恩恵

「廣田あつ子×中村恩恵」Photo/ ヒロ・オオタケ

中村恩恵(めぐみ)の踊りを観ていると、自分もあんな風に動けたら、と感じる。伸び行く若木のようにしなやかで、人間の身体とは本来こうあるべきなのではないかと思えるほどだ。そして、自分の体の中に意識を向かわされる。出会ってゆく観客やダンサーの、無意識の奥底に眠っていた感覚を呼び覚ましてくれる振付家・ダンサーである中村恩恵が、いま新しいプロジェクトを始動させようとしている。

1988年のローザンヌ国際バレエコンクールにてプロフェッショナル賞を受賞して以降、中村恩恵はプロのダンサーとして活動を続けてきた。『プロフェッショナル賞』とはつまり、若くして“観客の前に立つ”パフォーマーとしての才能を評価されたということだ。以来、彼女は輝かしくも着実にキャリアを積み上げてきた。アヴィニオンオペラ座、モンテカルロバレエ団を経て、オランダのネザーランドダンスシアター(NDT)に所属し、モダンバレエに新風を吹き込み続けてきたイリ・キリアンの下でダンサーとしての感性を磨く。退団後はオランダを拠点にダンサーと振付家の活動を展開し、発表した作品は世界的に高い評価を得てきた。同時に“教育者”としての活動も活発だ。キリアン作品のコーチとして、パリオペラ座など世界各地のバレエ団の指導にあたってきた。2007年に活動の拠点を日本に移し、“Dance Sanga(ダンス・サンガ)”を設立。少人数のメンバーと“Session(セッション)というグループを結成し、キリアン作品、中村恩恵振付作品を中心に研究を重ね、公演を行ってきた。

その中村恩恵が、2010年1月22日にオーディションを実施し、“Camarado(カマラード)”という新しいプロジェクトカンパニーを立ち上げ、2011年7月に東京・青山のスパイラルホールで公演を予定している。ヨーロッパのトップカンパニーで活躍し、現在も現役のダンサーとして活躍している“表現者”である一方、“踊り”に振付の面から深く関わってきた“創る者”、そして“教える者”としての中村恩恵。これまでの2つの流れが、ゆるやかに交わり合い、より大きな流れを生み出そうとしている今、彼女が“ダンス・サンガ”を通してめざすものについて聞いた。

「普通、“ダンスカンパニー”というのは定義がかっちりしているもので、ディレクターがいて、振付家がいるといったインフラストラクチャーがあって、そしてダンサーがいるという、構造がしっかりしているものだと思います。でも、私の活動拠点は、そういったストラクチャーから造るのではなく、もっと自分自身の中にある何かを探し求める“求心力”というか、真ん中に向かう力のようなものに引かれて近寄ってきて、集まった人たちにふさわしいストラクチャーが徐々に自ずから生まれていくという形でやっていきたいと思っているんです。辛抱強さがいるやり方ではありますが……。もともとダンス・サンガの“サンガ”というのは、仏教における一番初めの“寺院”のことです。仏陀が入滅されて、弟子たちが集まってきて、一緒に生活し祈りを捧げる中で初代の寺院が生まれ、それが“サンガ”と呼ばれた、という話を以前聞いたんです。そんな風に自然発生的に起こってくる形にできればいいなと思い、自分の活動拠点を“サンガ”と名づけました。

最初に考えたのは、“創造的”と“教育的”の2つを大事にしたいということ。どういう“教育”なのかというと、『カラマーゾフの兄弟』の中に“若者よ、祈りを忘れてはいけない”といった言葉がありますが、真心を持って祈れば、そこには常に新しい思想、ひらめきが生まれ、あなた方を教育し続けてくれるだろう、ということが書いてあったんです。“祈り”というか、広い意味で真実に向き合おうと思ったときに、インスピレーションや、新しい物の見方が生まれてくることが、私たちにとって一番大切な“教育”だと思うんです。ですから、“教育”と“新しい発想・創造”は常にひとつのものになっている。だからスタジオの中ではみんなが自分自身と向き合ったり、自分自身を超えたもっと大きなもの、たとえば私たちに与えられている“体”や絶対的な“地球の引力”といったものと向き合い、そこから新しい発想や新しいものの理解を見出して、積み上げてゆくことができたらいいな、という想いで活動を進めています。具体的には、身体トレーニングであったり、過去の作品でダンサーの力になると思ったものを実際に踊ってみたり、すごく実験的なワークなどをタペスリーのように織り上げていって、その中から本番にやってみたらいいものを見つけいっています。そういう研究の作業は過去3年くらい続けてきました。来年からは、もっと本格的にパフォーマンスを打ち出していきたいなと考えています」

そこで、中村恩恵は2010年1月22日にオーディションを開催。これまでは小規模のグループで作品を発表したり、ダンサーとしての中村恩恵が個人で他のカンパニーのプロジェクトに参加するなどしてきたが、“ダンス・サンガ・カマラード”として新しいプロジェクトを立ち上げた。中村恩恵のトータルなプロデュースによる、より質の高い本格的な公演となる予定だ。これからは継続的に活動を共にしている“セッション”と“カマラード”が有機的に絡み合ってゆく形を模索してゆく。

「“ダンス・サンガ”には“セッション”という部門があります。来年から“ダンス・サンガ・カマラード”というプロジェクトカンパニーを立ち上げます。“カマラード”は作品ごとに、その作品づくりのために必要な人材を集めようと考えています。逆に“セッション”は固定のメンバーと共有する長いスパンの時間によって結実するものを受け入れて行く形で公演活動をしています。なので、“カマラード”と“セッション”は創り方が違うので、その2本立てでやっていこうと思っています」

横浜にある“ダンス・サンガ”にて“セッション”メンバーによるリハーサルを見学した。過去のイリ・キリアン作品を中村恩恵がメンバーに丁寧に指導してゆく。ひとつひとつの動きに長い時間がかけられる。イリ・キリアンの動きは、クラシック・バレエを基礎としているものの、どこかで見た事があるような動きに思えて、それを解体し、まったく違う世界へと進んでゆく独特のものだ。それを自らの体になじませ“自然に”踊ることは、最初はとても難しい。だが、はじめの内はぎこちなかったダンサーの動きも、細かい感情の流れに関する中村恩恵のアドバイスを受けるうちに、軽やかに流れるようになる。それはまさに、肉体を通してダンサーが自己と向き合う過程だ。“ダンス・サンガ”では、中村恩恵が言うように、まさに“教育”と“インスピレーション”ないし“気づき”が一体化している。一人一人のダンサーと向き合い、その人の体が反応するのを待つのは、手間がかかり、根気のいる作業だが、中村恩恵はそのプロセスこそ重要だと考えている。“身体”と“内面”への彼女のこだわりについて聞いた。

「世界にある多くのことは“相対的”だと思うんです。踊りも、ある表現をしたいなら、特定の筋肉を強化しなくてはいけない。でもそこが強化されると他の部分が弱くなったりしますし、すべては相対的なんです。今までの踊りと違う表現をしたい時は、それまでの体では通用しなくなって、変えなくてはいけなくなる。たとえば宗教でも、ある宗派で正しいと言われている絶対的な教義は、他の宗派や宗教では通用しなかったりする。絶対的な価値基準というのは、なかなか無くって、ものごとは相対的に常に動き続けるものだと思うんです。でも、たとえば“引力”の方向性は、今の時点ではひとつの絶対的なものだと言える。もちろん引力でさえ環境が変われば相対的になっていきますが。それでも頭の中で“これが絶対価値基準”という形で体を縛っていくのではなく、“ここはすごく絶対的な感覚なんだ”というものを体の内側から感知することができれば、すとんと錨が落ちているブレない地点を体の中で絶対的に捉えることができるようになり、色々なものが相対的に揺れ動いたとしても、今度は逆に相対的なものの中に自分を自由に“ぽんっ”と投げ出すことができるのではないかなと思うんです。

私は元々クリスチャンなんですが、今の世の中は宗教や理念の違いによって色々な摩擦が起こったり、理解しあえなかったりすることが多いですよね。たとえば先日のノーベル平和賞で中国の受賞者が授賞式に参加できなかった一件のように、“人権”ひとつをとっても、社会によって考えがすごくズレていたり。地球全体に私たちが、多様な価値観の人が生きているから、ある枠の中では通用しても、よそでは通用しないといった価値があります。でも、何か共通分母になるような部分はあると思うんです。どういう思想の下に育っても、どういう宗教を信じていても、色々な利害関係があったとしても、その点に関してはすべての人間が胸にグサっとくる、同じ何かを感知することができるようなポイントはあるのだと。それは、体の中で感知する絶対性とすごく似ているんです。言葉を介さなくても、深いところで人間をつなぎとめている一点は、ざわざわしていると見えなくても、感覚を研ぎ澄ませてゆくと見つかるような気がします。

芸術作品を創っていく中で、色々複雑なものをそぎ落としてゆくと、生きていることの本当の価値みたいなものや、言葉にならないほどの深い悲しみ、死や無や孤独に対する恐怖心などに共感できる時には、価値観が違う人でも、お互いに通じあえる何かを見つける瞬間が生じうると思います。私は踊りを通してそういうものを探って行きたいのです。ひとつの踊りを観て、全然違うことを信じている人たちの心が、一点でひとつに結ばれることがあったらすごくステキだなって思います。誰でもダンサーを見ながら、自分自身の中心から引力方向に下って行って、自分と地球の真ん中を繋げると、どこに生きている人も地球の真ん中でピタっとひとつに出会うことができる、と考えます。立っている位置も、求めている方向性も違ったとしても、深いところで結びつくことができる、そういうことを提示したい。とてもグローバルな世界で多様な人間が共に生きていかなければいけないのに、どこで結びついていいかわからず、相対的に、利害を考えたりしながらギクシャクしている。そんな人の心が、“こういう可能性があるんだ”って、色々なものを忘れて、ぴたっとひとつになれる瞬間が見えるような舞台を創っていきたいなと思っています」

“自分の体と向き合う”ということの大切さは、多くの人が感じていることだろう。だが、大抵の場合は“自分”の中だけで留まってしまう。そこから地中深くまで碇を下ろしていけば、世界中の人がひとつの地点で繋がる、という視点自体、中村恩恵ならではものだ。人間の体は、自分が育った文化に大きく影響されている。私たちはそれぞれ、無意識の中で様々な制約を身体に課している。ヨーロッパ各国で踊り続けてきた中村恩恵は、日本人の身体についてはどのように考えているのだろうか。

「今は日本に帰ってきて3年くらい経つのであまり感じなくなりましたが、日本に帰ってきたばかりの時は、すごく“狭い”ことを感じました。電車の中など、色々な場所が狭く造られているので、自分の普段の体より一段小っちゃくしていないと居心地が悪いと感じました。ちぢこまっていないと、電車の中で隣の人とぶつかってしまう。一方で、日本人って優しいし、親切で、丁寧。色々なことが心地よく進みます。いちいちギクシャクして自我を張らないと何事も通らないという社会じゃない。日本では、リハーサルなども色々なことが穏やかに、きちんと進行する。でも、もしかすると、スムーズだけれど、別のところで頑なに動かないところもあるのかもしれません。外国だとリハーサル時間ひとつ決めるにしても、頑張って自己主張をやらないといけない。だけどその分、踊り手もパワーがある。日本のものって、ドアなども、なんでもタッチする前に反応するように軽くなっている。腕力をこめて思いっきり開けるドアじゃなくて、すべてが触るか触らないか。人間関係も触るか触らないかの内にスムーズに運ぶ。でも踊りだと、その人のガッツががーっと出てくる力強さ、意志の強さを感じられる事が少なく、おとなしくなってしまって、きれいになってしまう。日本人のダンサーは、きれいにまとめられることがいい点でもあるし、逆に弱さでもあるとは感じます」

たしかに、日本で生活しているとすべては“触るか触らないか”のやわらかいところでものごとが進む。日常生活におけるインフラストラクチャーによって、現代の日本人の身体は少なからず影響を受けているのだろう。中村の話を聞いていると、何気なく過ごしている日々の中で見過ごしてしまっていることを気づかされる。中村恩恵の踊りにある、どこまでも広がってゆく伸びやかな美しさの秘密は、彼女が常に研ぎ澄ませている感受性にあるのだろう。たとえダンサーでなくとも、中村のような感受性を少しでも持つことができれば、私たちでももっと多くのことに“気づく”のではないだろうか。彼女は自身の感受性のあり方を“雲”にたとえる。

「空に浮かぶ雲って、気圧や地形など、色々な条件から色々な形ができていきますよね。雲がないとわからないけれど、雲があるから、その時の気流や湿度、天候の状況がわかる。それと同じように、踊りも外からの色々な状況や情報のインプットの影響を受けていると思います。自分の内面と外からの情報がどういう風に出会って、化学反応を起こして、何が生まれるかということに敏感になっていると、雲が出来る時のような必然性のある動きが生まれてくると思うんです。空を見ていると、雲にはダイナミックなリズム感があります。そこにあるポエジー(詩)を自分の中で知覚し、ひろってゆく作業をすると、リズム感あふれる音楽的な身体表現が可能になっていくと思います。本当はそこにあるけれど、なかなか人間の目や耳で具体的にはなかなか感じられないものを、言葉は無くても体を通して掴み取ることができるし、人間の本能や直感と近いところに体はある。でも、舞踏家はいつもは視覚的に自分の体を客観視しているわけだから、直感と知的な理性・経験的なことが出会う場所で、振付言語は生まれるてゆくものだと思います」

雲のように自由に……とは太古から人類が憧れ続けてきた“存在の仕方”だと言えるのではないだろうか。その雲は、風の流れや、気圧の流れで翻弄されたり、逆に自由になったりすることで、私たちに自然界の大きなうねりを伝えてくれる。雲は山を駆け上り、雨を降らせ、海に還り、いつしか私たちの体の一部になり、そしてまた出てゆく。つまり、雲とは私たち人間とそう遠い存在なのではなく、”感じよう”という気持ちさえ持つことができれば、色々なしがらみに囚われ、ギクシャクした体も、雲のように自由に流れたゆたうことができるのではないだろうか。中村恩恵の踊りは、あなたが雲になるきっかけを与えてくれるかもしれない。

「The Well-Tempered」首藤康之、中村恩恵 photo/ 塚田洋一


TPAM in Yokohama 国際舞台芸術ミーティングin 横浜 2011

日程:2011年2月20日(日)
TPAM ウェブ:2011.tpam.or.jp/j/contact/

子供たちと芸術家の出あう街

日程:2011年3月20日(日)
場所:東京芸術劇場
振付;中村恩恵
出演;首藤康之、中村恩恵
電話:03-5391-2111(東京芸術劇場)

アンサンブル・ゾネ 新作『Still Moving』

日程:2010年3月30日(水)、31日(木)
時間;19時30分から
場所:両国シアターX(カイ)
電話:078-411-2837

ダンスサンガ・カマラート

日程:2011年7月22日、23日
場所:スパイラルホール(スパイラル3階)
(2010年1月22日にオーディション実施、現在応募受付中)
問い合わせはダンス・サンガまで(artintersection.k@gmail.com 080-5699-3631)。

中村恩恵公式ウェブ:www.meguminakamura.com/

テキスト 七尾藍佳
※掲載されている情報は公開当時のものです。

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