Kiyonori Hasegawa
2010年12月09日 (木) 掲載
小林十市という、世界に名を知られたバレエダンサーがいる。いや、バレエダンサー“だった”と言うべきだろうか。そしてその小林が、たった一度だけダンサーとして復帰する。小林は、20世紀のバレエ史に深くその名を刻み付けた振付家モーリス・ベジャールのバレエ団『ベジャール・バレエ・ローザンヌ』にて、1989年から14年間、第一線で踊ってきた。ベジャールと言えば、バレエにそれほど詳しくなくても、『春の祭典』や『ジョルジュ・ドンのボレロ』など、現代の芸術・文化に衝撃を与えた作品が思い浮かぶのではないだろうか。ベジャールは、コンテンポラリー・ダンスではなく、バレエの振付家である。つまり、クラシック・バレエのテクニックやメソッドの礎の上に成立する“現代のバレエ”だ。
バレエダンサーは、1日でも稽古を怠ると体が動かなくなると言われるが、肉体を限界まで酷使するため、肉体にかかる負荷が重いダンサーほど、“ケガ”という宿命を背負うことになる。旬は30代半ばぐらいまでといわれるほどで、スポーツ界のようにシビアな世界だ。世界の名門バレエ学校のひとつ、アメリカン・バレエ・スクールに3年間留学した後、ベジャールの下でプロとして踊り続けた小林十市のキャリアは、まさに“バレエ一筋”。幼少時から過酷なトレーニングを重ねてきたダンサーの多くは、どこかしら体に“時限爆弾”を抱えている。自分の体のコンディションと踊る作品のバランスをうまく調整しながら踊り続けるダンサーもいれば、体は壊れてもいいから踊りきりたいというダンサーもいて、それぞれの生き様がある。2002年、長年全力で踊り続けてきた小林十市が抱えていた腰椎椎間板変性症という持病が悪化。“時限爆弾”が火を噴いたのである。歩くのも困難になり、最終的にはベジャールに申し入れ、2003年に退団。身体能力とテクニックが勝負の20代の踊りから、徐々に内面的成熟を魅せてゆく30代の踊りへと移行してゆこうとする、“からだ”と“こころ”の両方がそろった、ダンサーとしてはまさに“踊り盛り”の34歳のことだった。
以来、日本に拠点を移した小林十市は一転して俳優になる、と決意、多くの舞台に立ってきた。振付指導などをすることはあっても、“ダンサー”として踊ることはなくなった。その小林が、7年のブランクを経て、“踊る”というのである。それもベジャールが東京バレエ団のために振付けた三島由紀夫の生涯と世界観を題材にして作られ、小林自身も1993年の初演時に出演している『M(エム)』を踊る。しかも、バレエダンサーとして“復活”するのかと思いきや、2010年12月18日(土)と19日(日)、2日間の公演のためだけに踊り、これで最後。一体、小林十市はどのような想いで“たった一度の復活”に臨んでいるのか。そしてダンサーの身体を持った役者としてのキャリアをどう捉えているのか、東京バレエ団で行われた『M』の通し稽古のあとにインタビューした。まずは、ブランクを経て、小林は自身の今の“踊り”をどう感じているかを聞いた。
「バレエ団を辞めて1年は腰が痛くて普通の生活すらできませんでした。当初は普通の生活ができないほど(腰の状態が)ひどかった。段々安定してきて、お芝居をやるようになってから柔軟などを始め、バーエクササイズもできる時はやっていましたが、運動量としては趣味で体を動かす程度でした。今回“復帰する”と決めた8月から本格的に体作りを始めて、バレエのレッスンを受け、ジムに行って鍛えてというのを4ヶ月やってきました。(踊る)感覚は意外と昔のままなのかなと思います。問題は“筋力”。年齢も重ねていますし、その間にしっかりトレーニングしてなかったので、難しさもあります。あとは“見せ方”ですね。なるべく初演の振りのままにやりたいので。かなり運動量が多く、(小林が演じる狂言回し的な存在の『シ』の役は)出ずっぱりなので。ここ一週間くらいで(踊りに)安定感は出てきました。ただ、ブランクがあったので、表現うんぬんよりも、体を動かすことの重点が大きいので、とりあえず動いてゆくこと。動きができてきて、もっと余裕ができれば表現の幅も広がるんでしょうけど、今は動くことで精一杯なんで。本番まであと2週間ですが、ここからどうなるかってことですね。どう表現しよう、といったことはまだあんまり無い状態です」
踊りに関して言えば、リハーサルを見る限り、小林の動きにはキレがあり、テクニックも安定していて、ブランクを感じさせない。これほど踊れるのだから、これで最後とはもったいない、と多くの観客が思うのではないだろうか。これを機にバレエダンサーとして復帰することは本当に無いのか、改めて聞いた。
「この先は難しいですよね。別にどこかバレエ団に所属して続けるというつもりは無いんで。やっぱりバレエは続けていないとだめですね。とりあえず今回は“大イベント”みたいな形で踊れるので、これはこれ、という感じです。日本の方に“小林十市はベジャールのダンサーなんだ”と認識していただけたのがこの『M』。そういう意味では、僕の中で大きい作品でした。だから復帰・引退が『M』というのはある意味完結するのかなという感じはします」
バレエダンサーとしての小林十市を“完結”させるきっかけを、彼はずっと待っていたのかもしれない。最後をしめるのはベジャールでなければいけなかったのだろう。なぜなら小林にとってバレエ=ベジャールと言えるほど、共に過ごした14年間は、大きな意味を持つ日々だった。
「あの時の生活環境、体の感覚というのは、他では得がたいものだったので、ある意味の“執着”みたいのはあったりします。“あの時よかったな”という過去を簡単に切れないというか、どこかで引きずっているんじゃないかな、というのはあります。ツアーカンパニーなんで、世界中を周りながら……ベジャールさんの作品の踊りって、観客に見せるだけではなく、自分と空間、自分が上と繋がる、という“お祈り”みたいな、一種の“ベジャール宗教”みたいな感覚もあったりする。自分が成長するために踊ってきた。人に見せるというよりは、もっと深い何かがありました。自分と向き合うこと、というのはベジャールさんも無くてはいけないものと考え、ダンサーに求めていました。振付師にすべてを任せるのではなく、ダンサーからもアプローチする“共同作業”といつも言っていました。意識をベジャールさんのレベルに持って行こうという努力を、各ダンサーがしていました。今回の『M』は三島由紀夫が題材なので、ダンサー各自がリサーチする。創られたものの中に、自分が何を投影して、どう表現するのかはダンサー次第。ベジャールさんは大きな意味で常に前進する人でした。常に探究心を持って、それを貪欲に作品に取り込む人。舞台をやって、ダンサーと一緒に食事をして、常に“生を楽しんでいた”。そういう意味ではベジャールさんって“太陽”です。大きい人でした」
“太陽”というほどの存在とともに、輝いていた日々を送っていた34才の小林十市のキャリアに“ケガ”によって突然の終止符が打たれた。「ダンサーとして完結しないままの引退」の衝撃はいかほどのものだったのだろうか。そして、どのようにその衝撃を乗り越えて来たのだろうか。
「かなり悩み、絶望的な状態でした。支えになるものはあまりありませんでした。孤独でしたし、不安でした。でも生きていかないといけないし……。ある意味今もその延長線上にいます。バレエ団を出てから一人になって、自分のホームから、出たくはなかったけれど出ちゃった、出ざるを得なかった状況なんで。それで強く生きていかなくてはいけなくなった。だから今も「仕事無くなったらどうしよう」とか、色々考えますよ。ベジャールさんも今はいませんけど、あの時代は自分の人生の中で一番良き時代だと思っている。でも前進しなくてはいけない、状況は違うって、自分の中で無理やりエンジンかけていかないといけない部分はありますよね。でも、僕の中に舞台に立ちたい!っていう想いは強くあるんで、それで続けていられるんだと思います」
世界的なバレエダンサーから役者へ、と言うと華麗な転進のように思えるが、当然ながら簡単なものではない。踊りたい自分の心と、踊れない自分の体の間でもがき、悩み苦しんできた小林十市の姿が彼の言葉から伝わってくる。
「ダンサーの体の消耗って、人それぞれです。踊っているレパートリー、筋肉の質によっても違う。僕はジャンプが多かったので、体の消耗が早かった。椎間板が磨り減って、やめました。ダンサーを続けていくには、いかにうまく自分の体と付き合って、その時自分の体が何を踊れるか、です。クラシックバレエの成熟ってあんまりなく、やっぱり“若さ”だと思うんです。表現の上で経験を重ねて、30代後半になって見せられる舞台もあると思うんですが、落語って50代、70代と成熟していい高座になるっていいますけど(小林の祖父は五代目柳家小さん、弟は柳家花緑と、落語一家の出身である)、踊りでは、クラシックバレエでは特にですが、それはあり得ないですよね。ただコンテンポラリーをやっていく上では、人間として成熟してきたものを動きで表すのは可能だと思います。バリシニコフだって今62歳でまだ踊っていますが、長く続けるには、その時どういう振付家に出会ってどういう作品を踊るかにかかっています。そのあとどうするか、というのは人それぞれですが、難しいものです」
たしかにダンサーの生き方は、非常に難しい。30代までひたすらに踊ってきて、ある日突然踊れなくなったとしても、その先も生きていかないといけない。「運良く芝居の世界に足を踏み入れることができた」と言う小林だが、当初は勝手がわからなかった“役者”としての舞台でも、ここ5年ほどでだいぶセリフも脚本の読み込みもできるようになってきたと言う。『M』のリハーサルを観ていても、本人は「動くので精一杯」と言うが、目の表情から、時々発せられる声、身体が発する存在感に到るまで強烈で、“役者”を続けてきたことによって磨かれた表現力が発揮されているのを感じる。小林はとにかく“舞台”が好きなのだと言う。
「舞台にいると自分が一番いきいきする。観られること、というよりは舞台の空間で生きていることが楽しいんです。稽古場で不安を抱えながら稽古していても、舞台に上がったら“楽しい”という方が先に来る。だから芝居は続けていきたいです。踊りに関しては……ベジャールさんの作品はやっぱりクラシックが基礎にあるんで、本当に大変なんです(笑)。だからバレエダンサーとして踊るのは今回が最後です。お芝居で僕のことを知ってから、ベジャールは知ってたけど観にいけなかった、という人も結構いらっしゃるので、そういう方々にも観ていただきたい。自分の心の持ち方なんですけど、稽古を重ねて、不安なく本番を思いっきり踊れたらいいな、と思っています。何を見せる、というよりは、『M』を文化会館のステージで僕自身が楽しんで踊りきれればいいなと思いますし、その姿を観ていただきたいです」
きっと、小林十市は踊りきってくれるだろう。その姿は見逃せない。また、バレエダンサーとして完全復活することは無いにしても、コンテンポラリーなど、“踊る”ことは続けて行きたいという強い想いがあるので、“演じ、かつ踊れる”表現者としての今後の小林十市の活動に期待を抱かせる。
小林十市は『M』という作品の表現について、「生きていく中で表裏一体の生と死があり、生まれて死んで、輪廻があり、繋がってゆくものや、“美しさ”に関しても、三島由紀夫さんも体を鍛えて、もしかしたら体の“老い”を感じる前に死にたかったのかなと思うんですが、美しいものが滅ぶ前の儚さ、といったもの」と考えている。小林は、ベジャールと彼のカンパニーと共に歩んでいたからこそ到達できる“高み”を知っている。だからこそ、傍目には立派に踊れたとしても、自身の中の“美”の尺度に届かないと判断すれば踊らないのだろう。その姿勢は、美しいものを美しいままに死なせることにこだわった三島由紀夫の生き方と共鳴するところがある。だが一方で、ケガをして踊れなくなった衝撃から、今だ「どう生きていくか」を模索し、もがいている中にあり続けていると正直に告白する小林十市の姿は、良い意味で人間くさく、生々しい。『M』は、耽美的で刹那的な美しさであふれているが、「人間・三島由紀夫」が人生の中でからみとられていった“業”の深さをも伝える作品だ。小林十市が踊る『シ』は、“死”を司る役だが、「生と死は表裏一体」と自身も語っているように、不思議と“生命力”を感じさせる。“踊れなくなった”苦悩の中で苦しみながらも生き抜いてきた今の小林十市こそ、誰よりも『M』の『シ』を踊るに適したダンサーだと言えよう。
東京バレエ団 三島由紀夫生誕85年・没後40年記念
モーリス・ベジャール振付『M』
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