映画『スプリング・ブレイカーズ』レビュー

第25回東京国際映画祭でも好評を博したハーモニー・コリンの待望の新作

映画『スプリング・ブレイカーズ』レビュー

『スプリング・ブレイカーズ』レビュー


ハーモニー・コリン待望の新作は、ぴちぴちの10代の露出した肌以上に期待できることがある作品だ。わんぱくなアメリカ人監督は、20歳そこそこで『キッズ』(1995年)の脚本を書き、『ガンモ』や『ミスター・ロンリー』で、実験的な「乱れた性」といった、むき出しの描写、とがったトーンが主流の作品を撮ってきた。だが新作は、予想を裏切り、魅力的かつどこか夢のような、ソフトで優しい作品に仕上がっている。主演のヴァネッサ・ハジェンズ、アシュリー・ベンソン、レイチェル・コリン演じる3人の少女は、4人目の友達(セレナ・ゴメズ)と共に、フロリダで酒とセックスまみれの休日を過ごすために、レストラン強盗を思いつく。

往来の銃や麻薬、汚れた金と性欲にまみれた作品であるにもかかわらず、どこか不思議な気分だ。ビキニ4人組はフロリダに到着するやいなや、度を越したパーティがもとで収監される。そこに登場するのが、コーンロウと金歯、派手なTシャツに身を包みスポーツカーに乗ったギャングスターのエリアン(ジェームズ・フランコ)で、彼らの保釈金を支払う。まるでチンピラのような出で立ちだが、彼は本物のギャングスターだった。銃を振り回し、大金を数える傍ら、プールサイドの白いピアノでブリトニー・スピアーズの曲を弾く姿までを、全力で演じきるフランコはおぞましくて派手だ。

ラリー・クラークのような、暴力と性と薬物まみれの享楽でもなく、はたまた危険に晒される若者のスリラーでもない。これは、アメリカの10代の快楽主義と犯罪の、歪んだおとぎ話なのだ。ただのくだらない消費映画ではない。作品のスタイルや、音楽、役者たちはいわゆるメインストリームだが、作品の真意は曖昧だ。軽くて笑えるシーンもあるが、繰り返されるナレーションや台詞やイメージと、まるで幻想的な音楽とカメラワークと編集による、ダウンビートでメラコニックな描写もある。

こうした要素が、『スプリング・ブレイカーズ』をただの娯楽作品として終わらせずに、超現実的シューレアリズムの世界に傾倒させる。映画は善悪をつけるわけでもなく、コリンは若者を堕落させるエリアンを持ち上げることもしない。人物描写の浅さや不明確なテーマを不満に感じるかもしれないが、作品はおかまいなしにひたすらベースをかきならし、画面に肌を露出させ、ただただ、快楽をスクリーンいっぱいに描くのだ。

原文へ(Time Out London)

『スプリング・ブレイカーズ』(Spring Breakers)

監督:ハーモニー・コリン
出演:ジェームズ・フランコ、セレーナ・ゴメス、ヴァネッサ・ハジェンズ、アシュリー・ベンソン、レイチェル・コリン
2013年6月15日(土)シネマライズ、TOHOシネマズ六本木ヒルズ、新宿バルト9、他、全国ロードショー

テキスト デイヴ・カルホン
翻訳 佐藤環
※掲載されている情報は公開当時のものです。

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