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2011年05月24日 (火) 掲載
テレンス・マリック監督の新作、『ツリー・オブ・ライフ』は見事な傑作だ。野心的、かつ意欲的に観る側の自由な憶測や見解に作品全体をゆだねたのが成功している。米映画界で、次々に超大作を手掛ける類いではなく、人間や自然を詩的に描いているマリック監督による待望の新作は、「大きな疑問」への問いを我々の日常生活に落とし込み、描き出しているのだ。
瞳を奪う映像美、ビッグバンから恐竜時代、そして流星群まで、太古からの全てを巡る叙述詩が繰り広げられる。我々が持つこの世における全てのアイデアと疑問を一挙に放出させる野心的な作品だからこそ、まるでばか騒ぎのように見えるかもしれない。だがそれは、心温まり、刺激的なものでもある。それは人生、宇宙、森羅万象のカオスそのものであり、むしろ、このような企画が生み出すものとしてはふさわしいなのかもしれない。
『地獄の逃避行』『天国の日々』『シン・レッドライン』を世に送り出したマリック監督は、前作で追求した興味を、より万人に共通する次元まで持ってきた。作品は1950年代を舞台にし、とある家族の人生を詩的に、断片的でありながら詳細に描く。母親(ジェシカ・チャステイン)、父親(ブラット・ピット)、3人の若い息子たち。息子の一人は10代でこの世を去る。冒頭部分、母親の声が疑問を投げかける。人間は自己中心的な自然界の掟に従うべきか、それとも従わずに気品と共にあるべきか。どちらのアプローチも母親と父親により体現されている。母の存在は愛に溢れて描かれており、樹木や鳥、蝶と共に写し撮られている。一方、父親は怒りを抱えた実業家で、息子達に「成功したいのであれば善意は捨てろ」と教える。
このセクションでは時間は流動的に描かれ、現実的ではなく、より詩的だ。ここから映画は一気に跳躍する。時代を数百万年過去に遡り、舞台は世界の始まりの長いセクションに移動する。合唱曲が、創造の賛美歌を圧倒的に力強く描き出す。旋回する気体、やがて地球に生命が吹き込まれ、植物や魚介類、恐竜が誕生する。ふと、作品内の家族とは、聖書に登場する、時代を超えた単位の原型だと気づかせる。
家族の定義を先史まで遡ると、現世との共通点が発見できる。この家族のあり方が、近代米国の基となっているのではないだろうか。この疑問は、ショーン・ペン演じる息子により描かれていく。時間は現代に戻り、ペンはたいてい一人で、近代社会のまばゆいビジネスシーンにいる。どこか夢のようで、砂漠を彷徨うシーンもある。映画の見事なラストシーンでは、1950年代の家族たちもあわせてビーチに登場人物が勢揃いする。この場面は居心地が悪くなる観客もいるかもしれない。宗教的な、キリスト教の(精神的な範囲を超えた)世界感が描かれ、バックには「アーメン」と叫ぶ音楽が流れる。
『ツリー・オブ・ライフ』は、映像とアイデアと提案と組み合わせの見事な融合だ。映像ひとつとっても、マリックのファンでもそうでない人にも、十分に楽しめる。魔法がもたらすような先史シーンの新しさを差し置いても、1950年代のエピソードは非常に豪華に描かれている。郊外のありふれた生活でさえに、壮大な大自然のように映し出され、素晴らしく魅力的に魅せる。
見事なアイデアと歴史の流れを軸に、この作品は繰り返しとシンプルさを兼ね備えている。ブラット・ピット演じる父親を悪魔的または邪悪なものとして片付けることも、チャステイン演じる母親を地上の天使として見るのも、短絡的な見解だ。息子たちが成長するにつれ、純粋さを失っていくさまには多少のもたつき感もある。作品は心を魅了するが、同時に時々苛つかせもする。『ツリー・オブ・ライフ』の救いは、その真摯さと素直さにある。観客が共感でき、監督にとってとても大切なものだということが感じられる。作品のメッセージが届いたとき、それはありふれたものに感じられるかもしれないが、それでもこの作品は非常に美しく、あらゆる見解をオープンに受け入れてくれる。
『ツリー・オブ・ライフ』
監督・脚本:テレンス・マリック
出演:ブラッド・ピット、ショーン・ペン、ジェシカ・チャステイン
ウェブ:Tree-life.jp
2011年8月12日(金曜日)丸の内ルーブル他、全国公開
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