インタビュー:灰野敬二

「“無から何もできない”っていうことに対して挑戦してるから」

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インタビュー:灰野敬二

伝説であり、真の独創性を備えた男、灰野敬二。彼は、日本のアンダーグラウンド・ミュージックシーンをこの40年間、牽引してきた。サイケデリック・ロック、ノイズ、ドローン、ソロ パーカッション、そして彼が生み出す枠にとらわれない表現手段は、時に賞賛、そして愚弄され、人々を困惑させてきた。ヴィーガンであり、酒、タバコ、ドラッグを嗜まず、意外にも甘味に目がないという灰野。黒い服に身を包み、一直線に整えた前髪とサングラスという独特な外見は、彼のストイックなライフスタイルとリンクしてると言えるだろう。

たとえば、電気料金の値上げについて熱弁をふるっていたことなど、今回、彼と対峙したことで驚かされることは少なくなかった。そしてまた、我々は音楽家・灰野敬二の知られざる姿を目にすることとなる。2012年7月7日、映画『ドキュメント灰野敬二』が都内で公開になるにあたり、彼はこうして、人生で初めて終日かけてのインタビュー取材を受けている。そして自身もその経験を楽しんでいるかのようだ。

灰野の歴史は、“神話”や“誇張”で覆われている。はじめて組んだバンド『ロストアラーフ』のメンバーと参加した、1971年に行われた音楽祭『三里塚・幻野祭』において暴動を扇動した後、身を隠していたというスキャンダラスな話題から、スコットランドのフェスティバル『Le Weekend Festival』への出演を、ケーキの食べ過ぎによりキャンセルせざるを得なくなってしまったという、なんともおどけた話まで。動物園の園長になることを夢見たり、教育制度の拘束に焦燥感を募らせていたという、埼玉県川越市での子ども時代にまで迫った本作品の監督、白尾一博の描写は、灰野を包む謎のベールをはいでいく。その一糸乱れぬヘアスタイルの内側で、一体何がうごめいているのか。これまで誰も見当がつかなかった、灰野敬二の姿がそこにある。


― 15年ほど前に行われたインタビューで、「60歳、70歳になった自分はどのようになっていると思うか?」という質問に対し「髪が真っ白になって、まだハードロックをやってるだろう」と答えられていましたが、まさにその通りになりましたね。

灰野:(笑)そうなっていて自分でも嬉しいです。70になるまでは続けていたいとしか言えない。でも、一応60はクリアしたから。

― 人は年を重ねるにつれ大人しくなりがちですが、最近の灰野さんの演奏を拝見してもそれは一切ないですね。

灰野: 僕の場合は好きなものをどんどん増やしていく。みんな、好きなものがあっても、次ができると、その前に好きだったものはいらなくなるじゃない。僕は自分でもよく分からなくなるくらい、自分の好きな物を好きになるんだ。音楽は相変わらず何でも聴くよ。でもそれ以上に許せないことがいっぱいあって。それを静かに「やっちゃダメですよって」って、例えば「原発やっちゃいけませんよ」って言って、歴史上で状況が変わったことってないから。だったら自分は一番前で「やめろー!」って言う人間だと思ってる。

― たとえば、今許せないこととはなんでしょう。

灰野: 大変なこと言うよ(笑)。面白い話をしようか? みんな電気の領収書ってちゃんと見たことある?日本の場合、基本料金があって段階をへて高くなる。使わない人はあまり高くない。自分が知らないだけかもしれないけど、いま僕がムッときてるのは、1と2と3をすべて足すこと。それが合計の(請求)金額になってる。だって、電気って水と同じでどれくらい使ったか、でしょう? 使い切らなかった分の金額、超過した分の金額、なんでそれを全部足さなきゃいけないんだか理解できない。このシステムに頭にきて、真面目に(東電に)電話して、いろいろと聞いて怒っていたら担当の人間が認めた。「このシステムおかしいんです」って(笑)。だから本当に、みんな家に帰って領収書を見て、考えた方がいいよ。(使用量の)少ない人は、第1段階と基本料金だけだから低い。でも第2段階になると、第1段階の分と第2段階の両方を支払っているんだよ。そうやって東電のお金がどんどん増えていってる。それでちょっとミスしたヤツはクビにして、退職金をポーンとやって、また新しい人間を入れる。そんなの許せないじゃん、子供が考えてもおかしいじゃん。足し算にも何にもなってないもん。最近、ネットを見るようになったんだけど、カナダのある大学で授業料が上がったからデモをやってるでしょ。日本人はそういうことを全然やらない。今は違うとは言われてるけど、ある時代から天皇制の名残があって、自分より上の権威に対して何も言わない方がいいって洗脳されてる。そりゃ怒るよ、ロックだよ(笑)。

― それは電気代に限ったことではないですよね。

灰野: そうそう、あらゆることに対してね。大人になると、そんなことしてもどうにもなんないって言うけどさ。おかしいと思ったら、それは子供であろうと大人であろうと関係ない。怒るっていうのと、何とかしようと思うってことは、やっぱりちょっと違うと思うけど、僕は自分が納得しないことは絶対認めない。

― 『ドキュメント灰野敬二』の劇中のインタビューでも同じようなお話をされてましたね。

灰野: もっとハードな話がいっぱいあるの。でも、あまりにもヘビーな感じっていうか、ネガティブな感じになってしまうからその部分はやめた。あれでもやめた方。もっと違う材料はあったの。僕はインタビューたくさん受けてきたから「この部分はちょっと観客が引くな」っていう所はソフトにする(笑)。大人の“フリ”はできるからね。でも、許さないことは本気で許さない。

― この映画を拝見して驚いたのは、灰野さんのインタビューのみで構成されているということでした。ほかのミュージシャンなどのコメントを入れようとは思いませんでしたか?

灰野: えっとね、監督がはじめから僕だけのインタビューにしようって決めてた。色々な人たちがコメントをくれたじゃない? ああいう人たちが映画の中でインタビューを受けて作りあげるのかなって思ったけどそうじゃなく、灰野敬二っていう人物に焦点を当てようと、はじめから監督が考えていた。僕以外は出さないって言うくらいの強い感じで監督は言ってた。で、「じゃあ、何を話しましょう」みたいな。

― 自分の音楽を自分よりうまく説明できる人がいると思いますか。

灰野: 無理。それはもう……ちょっとカッコつけるけど、俺の音楽は自分で発明したと思ってるから。パーカッションの場面あったでしょう? あそこで僕は音を発見したと自分で思ってる。音を発見して音楽を発明しようとしてるんだ。すごく日本語的な言い方かもしれないけど、“無から何もできない”っていうことに対して挑戦してるから。無から作っていく。ヨーロッパの人たちって自分で理解できないと、何とか無理矢理でも理解しようと言葉とか定義を作り出すじゃない? そういうものを木っ端微塵にしたいと思ってる。それはそれでいいよ。僕はものすごくたくさん、人の音楽を聴く。4世紀~20世紀くらいの、ヨーロッパのほとんどの音楽を聴いた。ただ僕は音楽が好きだと言うことで、全く違うものを作ろうとしている。そこでベーシックなものは何って言ったら、“1音”っていうすべての始まりからスタートする。だからあえて、どこにもなかったものっていう言い方をする。

WWWで『アクロン/ファミリー』のサポートとして演奏していたのを拝見した時も、どこまでが作曲された部分なのか摑めずにいたのですが、今回、興味深かったのは『不失者』のリハーサルの模様で、灰野さん独自のスタイルで書かれた楽譜とか、それを使ってどのような音を出したいか説明をされているところでした。とても“灰野的”な音楽を作られていますが、それをどのように他者に説明しているのでしょうか?

灰野: じっくりと話をして、実際にスタジオで音を出して、としかいいようがない。プロフェッショナルなミュージシャンは、僕の譜面をパッと見て何もできないと思う。何が書いてあるか分からないから。指が自然に動いちゃうでしょ、練習をしてるがために。次に何でこの音が必要なのかっていうことをメンバーに言って、例えば僕がツェー、ディーって出したらね、空港で捕まらない人間かもしれない(笑)。ツェーの後でエフを出すから捕まるんだと思う。そういう僕の行動を見てくれてるから、何であそこでディーじゃなくて、エフに行くんだろう?ってことがメンバーに伝わる。

― 灰野さんの表現されたいことは普通の楽譜では表せない。

灰野: うん、表せない。僕にとって重要なのは、はじめの音から次の音に行く過程。音ってこうなると聴こえるし(テーブルを叩きながら)、現象がわかるでしょ。でも、このあとこうなってる“ここ”にみんな意識しないで、ピアノだったら弾いてここに行かなきゃいけないっていうプレッシャーで音楽をやってるわけだから、意識とか魂が解放されるわけがない。「何でここに行かないんだ?」とかそういう話し合いをする。ここの方が大変だけどおもしろいってことをメンバーに伝えたい。

― どのようにしてバンドメンバーを集められたのでしょうか?

灰野: 難しいねえ、トップシークレットだよ。(突然英語で話し出す)僕のバンドのメンバーは全員ロングヘアー(爆笑)。60年代のハードロックがずっと好きだから。若い世代にはわからないだろうけど、僕の時代の日本においてロングヘアーっていうのは大変なリスクがあった。でも、何かそれが気持ちいいのよ、僕は(笑)。ばかばかしい幼稚な戦いかもしれないけど、そういうリスクがあってこそ。さっき言ったみたいに、どう考えてもおかしいことはおかしいって思ったら、みんなと行動が同じにはならないと思う。そういう意味でやっぱり、僕は若い時からロングヘアーだったわけで。ある日、突然、大きい音を出しちゃいけませんって法律ができたとしたら、ステージ上の僕は捕まるわけじゃない? その時一緒に捕まることを覚悟しているような人をメンバーにしたい。ばかばかしい部分で、あれこれ言われたことはやらないっていう感じのメンバーにしたかった。

― 他の人とのコラボレーションライブの際、たとえばトニー・コンラッドとのライブなどではある程度の妥協はされるのでしょうか?

灰野: いい質問だね。トニーさんに関してはお互いに「何をやってもいいよ」と認め合ってるから、僕がアンプで大きい音を出すと「Haino、アンプの方向をちょっと変えてくれ」って言われるくらいで(笑)。お互いのことが大好きだから、何とでもなる。僕の音が大き過ぎたらパッと小さくして、トニーさんの音が聴こえるようにするし。ギターアンプは大きい音が出せるけど、それを人の音が聴こえなくなるくらいにするんだったら一緒にやる意味がないから、そんなことは絶対しない。

― 劇中、灰野さんが動物園の園長になりたかったというお話をされていましたが、菜食主義になられたのもそういった理由からなのでしょうか?

灰野: 多分ね。時代的なことだから、若い人たちにはわからないかもしれないけど、日本って戦争に負けたじゃない? ある意味、植民地だから、配給で一日にもらえるものが限られてる。僕の時代はギリギリそのあとになるんだけど、でもまだそういう感じが残ってた。そうするとやっぱり、僕が覚えてる限りでは肉は食べさせられてた。おいしいとかそういう理由じゃなくて、何度も言うけど選択肢がなかったから。ある時から「なんか肉食べたくないなぁ」っていう、動物とか何かを殺すってことが何気なく嫌だって感じはあった。だから自然ではないけど、それが動物園の園長になりたかったっていうところに繋がるのかもしれない。動物が好きだから動物は食べたくないっていう。「俺はベジタリアンだ!」って宣言してなったわけじゃない。

今から40年くらい前には、日本のどこにもベジタリアンのお店なんてなかったから、喧嘩しなきゃいけなかった。中華料理屋で焼きそばとかチャーハン頼む時に肉抜きでって言うと、お店の人が「肉抜いたら焼きそばじゃない」とか言う。足すんだったら悪いかもしれないけど、抜けっていってるんだから抜くだけだろ? 大変だったよ。腰を低くして頼んでもダメだから「抜け!」って言うしかなかった。本当に戦い(笑)。40年前は、戦わないとベジタリアンにはなれなかった。100年前の日本はみんながヴィーガン。そういう生活を長い間してたんだから、本当は日本人にはヴィーガンの方が合うはず。この40年間に、若い人の平均身長がこれほど大きくなった国は日本しかないよ、多分。食が変わったから。恐ろしい。みんな、頭の中が日本人じゃないよ。意識の持ち方が、もうアメリカのクローンだよ。

― 私は高円寺在住なのですが、これまで灰野さんのライブはちょっと怖いと思っていたので、行ったことがないんです。灰野さんのライブは(時間が)長いことで知られていますが、ステージに上がる前に何を演奏されるかは決めているのでしょうか?

灰野: うーん、持っていった楽器、たとえばウード(撥弦楽器)を30分、オシレーター(発振器)を20分、ハードギターを15分、ブルースギターを40分、それくらい(笑)。こうしてやっていくと「あっ、5時間だ!」ってなる(爆笑)。みんなにも言ってるんだけど、僕は音楽がすごく好きなんだ。『ShowBoat』(高円寺にあるライブハウス)は僕に時間をくれて「好きなだけやっていいですよ」って言ってくれるから、「明日三味線弾きたいなぁ」と思ったら、プラス三味線を20分っていう(笑)。いままでに一番長くやったのは、20年前の不失者のライブで8時間。今でもできると思う。好きだし、楽しいんだもん。

― 1度だけ、灰野さんのDJセットをLIQUIDROOMで拝見して感動したのですが、その後はあまりやられてないのですか?

灰野: ほかのDJが嫌がるんだよね。ジェラシーなのかな?(笑)企画してよ、企画したらやるよ!(爆笑)


『ドキュメント灰野敬二』は、シアターN渋谷にて公開中

By ジェイムズ・ハッドフィールド
※掲載されている情報は公開当時のものです。

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