精神のバランスシートに問う舞台

“おかしさ”の処方箋『チェーホフ?!~哀しいテーマに関する滑稽な論考~』

精神のバランスシートに問う舞台

田中亜紀

前職は精神科医という、まさに“異色”のキャリアを持つ劇作家・演出家、タニノクロウの新作『チェーホフ?!~哀しいテーマに関する滑稽な論考~』が池袋の東京芸術劇場で上演されている。チェーホフは言わずと知れたロシアを代表する文豪・劇作家だが、2010年はその生誕150年という記念の年にあたり、東京芸術劇場を中心に多種多様のチェーホフ関連イベントが催されてきた。タニノクロウの『チェーホフ?!』はその締めくくりにあたる作品だ。だが、『三人姉妹』や『かもめ』、『ワーニャ伯父さん』など、チェーホフと聞いて誰もが思い浮かべる作品を扱うわけではない。チェーホフが実際に執筆した戯曲でもない。だからこそ、あえて“?!”が“チェーホフ”のあとに付けられたタイトルなのである。だが、人間の内面をどこまでも掘り下げてゆこうとするその探究心と、その探求自体をどこか冷ややかに眺める客観的視点が共存するタニノクロウの世界は、まさに“チェーホフ”だと感じさせる。


田中亜紀


『チェーホフ?!』には、セリフらしいセリフはほとんどない。その代わり、細部までつくりこまれたインスタレーション・アートのような舞台装置と生の演奏が、チェーホフという人をモデルにした心象世界を妙なリアリティを持って提示する。これといった“物語”は無い。なぜなら、そもそもこの作品はチェーホフの演劇よりも、彼が取り組みながらもついに完成させることのなかった医学論文をモチーフに作られているからだ。ここに、精神科医であったタニノクロウと、医学部出身で医師として診察をしていたこともあるチェーホフの共通点がある。 ステージは、本を手に持った少年が、冷たい風がふきすさぶロシアの荒野を一人歩いているところから始まる。少年は、魔女なのか魔術師なのかよくわからない、アンドロギュノス的な篠井英介演じる謎の人物によって、想像の世界へといざなわれてゆく。そこで繰り返し問われるのは「人間とは何であるか」という根本的な命題だ。弁証法的な観点からどこまでもロジカルかつ科学的に“人間”が記述されてゆくセリフとは対照的に、ビジュアルでは度肝を抜くほどのマジカルな場面が展開される。一生懸命に、語られる“言葉”の意味を追おうとすると、目の前で繰り広げられてゆく摩訶不思議な世界に目を奪われ、“妙”としか言いようの無い感覚におおわれ、つかみかけたような気がした“意味”が指のすきまからするすると抜け落ちてゆく。

舞台前には様々な楽器が用意され、クラシック、ジャズ、ラテン、歌謡曲から現代音楽まで、次から次へとまったく異なるジャンルの音楽がライブで演奏され、緻密に計算された生音の効果音が俳優の動きに加えられてゆく。錬金術と現代科学と奇術が混沌と入り乱れるこの公演は、誰かの夢の中を“舞台芸術”を通して疑似体験しているようだ。いわば“生”のバーチャルリアリティなのである。子供たちには、怪物が跳梁跋扈し、魔女が夜空を駆け抜ける、怖そうで、不思議であればあるほど興味をそそられる“夜”の世界がある。大人になるにつれて、そんな世界は少しづつすり減っていって、いつしか何の疑いもなく“現実”の世界にどっぷりと安住してしまうようになる。だが、皮肉なことに、“現実”の尺度だけで生きるようになると、今度は逆に“心”のバランスを失ってしまうというトラップにはまることがあるのは、現代人なら多くの人が身を持って知っていることだ。つまり、「ちょっとおかしな部分」を持ち合わせているのは、大人になっても大事なことなのである。


田中亜紀


本作品の副題には「哀しいテーマに関する滑稽な論考」とある。生きていくことには、“哀しさ”がつきものだ。時には“哀しさ”が大きくなりすぎて、おかしくなってしまうことだってある。だが、人間という存在の持つ“哀しみ”の中にある“美しさ”や“儚さ”、あるいは“楽しさ”を見出してゆくことができれば、精神のバランスシートは意外と健全に保つことができる。タニノクロウの『チェーホフ?!哀しいテーマに関する滑稽な論考』は、現代科学と常識で塗り固められてしまっているかもしれないあなたの日常に欠けていた、クリエイティブで美しい“おかしさ”の適度な処方箋だ。


『チェーホフ?!~哀しいテーマに関する滑稽な論考~』の詳しい情報はこちら

テキスト 七尾藍佳
※掲載されている情報は公開当時のものです。

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