『ブラック・スワン』クロスレビュー

2011年春公開の注目作、ロンドンとニューヨークで4つ星

『ブラック・スワン』クロスレビュー

タイムアウトロンドン

ダーレン・アロノフスキーは、芸術の代表格である優美で洗礼されたクラシックバレエを、岩をわる鋭利な斧のように研ぎ澄まされた、肉体の極限に迫るパフォーマンスで表現した。『ブラック・スワン』は、ニューヨーク・シティ・バレエ団を舞台にした、めまぐるしく狂気にみちた心理劇である。そして完璧を極める人間の行き着く先を描いている。この作品は第67回ヴェネチア国際映画祭のコンペティション部門オープニング作品として上映され、世界の注目を集めている。監督のダーレン・アロノフスキーによると、同作は2008年に金獅子賞を受賞した『レスラー』と同じ前提でつくられているという。そのため、この2作品が構造的に同じであるのは当然であろう。どちらも、追い詰められていき、逃げ場を失った一人の人物をあらゆる角度から映し出している。

マイケル・パウエルとエメリック・プレスバーガーによる『赤い靴』と、ロマン・ポランスキーの『反撥』を合体させようとするラース・フォン・トリアーのファンに出会ったかのように、ダーレン・アロノフスキーはニーナ(ナタリー・ポートマン)を登場させる。彼女は「いつかエトワールを」と明るい将来を夢見る、努力家で能天気なダンサーだ。しかし監督はそんな夢をもつ彼女を、我々を103分も釘付けにしながら、華麗なる演出で打ちのめしていく。ナタリー・ポートマンは、不満のもれる中、“白鳥の湖”のエトワールに抜擢されるが、白鳥と黒鳥という相反する二役を魅せるために、優等生ダンサーから精神に異常をきたしていく主人公の変貌を全身全霊で演じている。ニーナは健全で気品ある白鳥役にぴったりだが、狡猾さと官能性を併せ持つ黒鳥役にはどうしてもなりきれない。ヴァンサン・カッセル演じる卑屈な芸術監督トーマス(よろよろしているが、これがまたいい味を出している)はニーナを精神的に追い詰めることによって、彼女が“狡猾さ”を見出し、“優秀な”ダンサーから“完璧“なダンサーへと進化するよう精神的圧力を加えていく。役を本当に理解するにはその役になりきるしかないという信念のもと、トーマスはこの陰湿ないじめを続け、そしていじめが徐々に性的な刺激へと姿を変えていく。

ダーレン・アロノフスキーは、ニーナが健全性を失い、妄想的な狂乱へと陥っていく様を、彼女の性格的、肉体的変化で表現している。“ブラックスワン”は、肉体と精神の極限を利用し、小さな傷口をゆっくりと広げながら、骨のぶつかり合う音や爪のはじく音、そして筋肉の張り詰めた緊張感を増長させている。これは同監督のデービッド・クローネンバーグへの憧れにもみえる。

人によっては、この芝居がかった映画の空気に入り込めないだろう。娘を溺愛する母親役のバーバラ・ハーシーは、映画に真実味を与えるには少し物足りなかったかもしれない。監督が主人公を追い詰めるのにダークな何かを必要とするときに、あまりにタイミングよく、笑顔やハグ、そして励ましの言葉をかけるやさしい母親から、スポットライトを浴びた娘を不快に思う、気の狂った、過保護な意地悪な母親へと変貌する。

ただ、現実世界との希薄な関係などといった屁理屈は別として、『ブラック・スワン』は見るものをドキドキさせる、いわゆる古典的なハリウッド映画である。そして、賭け好きな人にとっては、ナタリー・ポートマンは主演女優賞の有力候補だろう。

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タイムアウトニューヨーク

ダーレン・アロノフスキーのバレエを舞台にしたサイコ・スリラー映画に喝采。

『ブラック・スワン』は、ニューヨーク・シティ・バレエ団を舞台にした古典的なスリラー映画でありながら、病的に完璧を追求する芸術的探求心を表現している。ダーレン・アロノフスキーは、健全な人間が狂気へと一線を越えていく様を描いた。人間の二面性こそがこの映画の存在価値ともいえよう。前途有望なバレリーナのニーナ(ナタリー・ポートマンは久しぶりに性的に、そして感情的に訴える役柄となっている)はニューヨーク・シティ・バレエ団が公演する『白鳥の湖』のエトワールの座がほしいと願っている。バレエ団の卑屈な芸術監督(ヴァンサン・カッセル)は、ニーナは純真無垢な白鳥役には適役であるが、真逆の性格を持つ黒鳥役には、優等生のニーナでは力不足であると考える。そこへ、自由奔放で不気味なほどニーナに似ている新人リリー(ミラ・クニス)が登場する。そして急遽、ニーナは夢でもあるエトワールの座をつかむ。だが鏡に映る自分が日に日に変化していくのを感じる。このままいくと彼女の背中からは漆黒の羽が生えてくるのではないだろうか。

この映画は、最初からモノクロの生霊が空気を支配している。まるで壊れたオルゴールのようにダーレン・アロノフスキーの精神的追い込みが手荒になっていく中、やたらのんきな少女がロマン・ポランスキーの映画にはまり込んでしまったような雰囲気が、金儲け主義的な映画の一面が暗い空気とあいまって、作品のよさとなっている。監督は、前作の『レスラー』で「お母さん僕を見て」といったメッセージを封じ込め、作り上げられた真実に迫る演出をした。本作品では、両方の要素を組み込むことによって衝撃的な効果をもたらした。そして、シュー・リバティークに劣る映画撮影術が幻覚的精神解放を描いた幕あいに重い影を落としている。これは奇術的リアリズムとも言うべきであろうか。監督のそんな才能を疑う者は、ナタリー・ポートマンがステージ上で白鳥・黒鳥役に変身する、息を呑んでしまうようなそんな瞬間を目撃し、不死鳥の役柄が彼女を滅ぼしていく瞬間を目撃すれば、きっと見方を変えるだろう。ダーレン・アロノフスキーはそんな瞬間を映画に含めることによって、観客に自分とパ・ド・ドゥをするよう誘い込む。彼は見るものを超現実的な闇の奥から芸術的パラダイスへと導くことによって、現代のアメリカの映画監督には珍しくとんでもない才能を見せ付けてくれている。

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(c) 2010 Twentieth Century Fox.


映画『ブラック・スワン』は、5月13日(金)TOHOシネマズ日劇ほか全国ロードショー。

ロンドン原文 デイヴィッド・ジェンキンス
翻訳 タイムアウト東京編集部
ニューヨーク原文 デヴィッド・フィアー
※掲載されている情報は公開当時のものです。

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