インタビュー:香川京子

国際フィルム・アーカイヴ連盟賞、名映画女優が残したもうひとつの偉大な功績

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インタビュー:香川京子

映画を後世に伝えるために保存するという主旨のもと作られた「国際フィルム・アーカイヴ連盟」(FIAF)。大小合わせて世界およそ80カ国 から150の団体が集まっており、2001年からは、映画保存に貢献した人々に賞が贈られている。マーティン・スコセッシ監督にはじまり、マノエル・ド・オリベイラ監督、イングマール・ベルイマン監督、マイク・リー監督やホウ・シャオシェン監督、そして女優のジェラルディン・チャップリンなど、世界中の巨匠たちがこの賞を受賞してきた。そして今年、2011年、日本を代表する女優、香川京子の受賞が決定した。日本人として、アジア人女性として、またアジアの映画俳優として初の受賞となる。

『近松物語』や『東京物語』をはじめとした数々の名作に出演、溝口健二や小津安二郎、黒澤明など、日本を代表する数々の巨匠監督たちに愛された"映画女優"香川京子が、実は偉大なフィルムアーキビストであったことは、これまであまり公 になることはなかった。彼女のヒストリーは日本の映画史そのものであり、それが後世の為に保存されたことは、これからの映画業界にとても大きな足跡を残し たことは間違いない。

変わりゆく東京の街と映画の未来に対する思いをしっとりと語ってくれた大女優の横顔に見とれながら、10月24日(月)の東京国際映画祭会場で行われる授賞式の前に、彼女の言葉を聞くことができた。


東京国立近代美術館フィルムセンターでの展覧会/上映のチラシ。 イベント情報はこちら


香川京子(以下K): 正直に申しまして、私はこのFIAFというものに対して、ほとんど知識がございませんでした。フィルムアーキビストというお仕事があって、その方々が大変なご苦労をなさって、フィルムの保存や修理されていることを知りまして、自分の知識のなさを多いに反省致しました。

ただ、手元にあったスチール写真だとか、スナップ写真だとか、作品についての記事や資料を、自分では保存しきれなかったのでフィルムセンターに預かってもらおうとしてきただけなんです。ですから、今回のような立派な賞をいただけることは、とても光栄であり、ありがたいと思っておりますけども、同時に申し訳ない気持ちでおります。

私は4年前に、東京国際映画祭の審査員をさせて頂いたことがありました。その時に、インドの若い監督やイタリアの審査員の方から、「『東京物語』を観ました」とか、「学校で映画の勉強をしている時に、あなたの出演していた映画を観ました」という言葉を頂いて、とても感動した思い出がございます。これも、素晴らしい監督の方々とお仕事をさせて頂いたおかげだと、本当に感謝の気持ちでいっぱいになりました。

それも全てアーキビスト達のご苦労で、古い優れた作品が立派に保存されてきたということだと思います。改めて私もこれからも少しでもお手伝いが出来ればと思っているところであります。どうもありがとうございました。


FIAFのウェブサイトはこちらからどうぞ。


--保存するという行為は、誰かが生きてきた時間の中で自然と生まれること、そしてそれが一番いい保存なのではないかと思います。そういったものがフィルムセンターに収められているということは、素晴らしいことです。
K: 私ではきちんと整理できないから、預かって頂こうと思ってお預けしただけなんです(笑)。私個人の歴史ではなく、私の資料を通して日本の映画の歴史のひとつを皆さんに観ていただければ良いなという気持ちがありました。

--一番最初にフィルムセンターに預けようと思ったきっかけは?
K: 私はラジオが好きなんです。ある時ラジオから高野悦子さん(現・岩波ホール総支配人)の声が聞こえてきました。「フィルムセンターが新しくなったので、映画 の人たちが集まる場所になると良いと思います」とお話されていたのを聞いて、ああ、これは素敵なことだなあと思いました。また、亡くなられた水野晴郎さんが御本を書きたいからインタビューをしたいとおっしゃったので、フィルムセンターの小ホールの観客席に座ってお話したんです。そんなことがきっかけで、自分の出演した昔の映画を上映して頂いたら観に行ったりするようになりました。それ以降、フィルムセンターの方々とも次第に仲良くなって、私の資料を預かって頂くことになりました。もうあれから10年近くになるんですね。

--香川さんが今までに最も刺激を受けた方はどなたですか?
K: 沢山いらっしゃいます(笑)。女優さんでは、やはり大先輩の田中絹代さんでしょうか。映画『おかあさん』でご一緒しました。普段はとても親しくして下さるんですが、田中さんがいざカメラの前に立たれると、声をかけることもできないぐらい鬼気迫るものを感じました。いつか田中さんみたいな女優にな れたらいいなあと思っていました。田中さんに限らず、高峰秀子さん、原節子さんなど、素晴らしい先輩方からは、お仕事のなされ方、人生の生き方…色々なことを学ばせて頂きました。


映画『おかあさん』より


--監督との思い出や印象に残ったお話をお聞かせください
K: 何が一番と言われると、やはり私にとっては『近松物語』なんですね。溝口健二監督という方は、セットに入ると「はい、じゃやってみてください」と言うだけで、演技指導に関して何も教えて下さらない。はじめは手も足もでなくて、本当に死ぬほど辛い思いをした作品でした。でも、その時に芝居の基本みたいなものを教えて頂いた気がします。正反対は、小津安二郎監督ですね。セットに入ると、もうあのローアングルのカメラが据えてあって、俳優は言われたところに順序よく座ってお 芝居をする。私の感覚では、黒澤明監督と溝口監督は非常に良く似ていらっしゃると思います。黒澤監督の作品には、女性はあまり登場しません。その分、存在が非常に難しいんです。例えば『天国と地獄』という作品では、応接間にいると、運転手さんの子供が誘拐されたということで刑事さんが来ます。そうすると、 奥さん役の私は黙って座っているのですが、ひとり誰かが話すとそれに反応して、またこっちで夫の三船敏郎さんが話すとまたそれに反応する。子供が出てくると子供に反応する。とにかく「反応していなくてはならない」という緊張感の連続なんです。その「反応」ということを最初教えてくださったのが、溝口監督なんです。 監督さんには「反射してください。反射してますか?」ってしょっちゅう言われてました。だから、黒澤組の現場でも「反射しなきゃ」といつもそれが頭に浮かんでいました。ですから、やっぱり溝口監督が、私の中に一番大きなものを残して下さったんだと思います。

--溝口監督は、ワンカットが長いということで知られている監督だと思いますが、どう演じていましたか?
K: 私は長いのは嫌いじゃないんです(笑)。切れ切れにならず、気持ちが続きます。ちょっとした目の動きのアップなどはかえって難しくて…。 黒澤監督の場合は、カメラが遠くにあるのでどういう風に撮られているか分からないんです。遠いから大丈夫だと思っていると、アップで撮られていたり(笑)。

--今の時代には失われてしまったこと、今の時代の良いところなど、教えてください。
K: 一番大きな違いは、撮影所がなくなった、ということではないでしょうか。私の所属は新東宝でしたが、大映、東宝、日活、松竹などそれぞれ大きな撮影所がありました。監督さん方も沢山のお金と時間を使って、立派な作品をお作りになることができたけれど、今はそうではありません。私は早くフリーランスになったものですから、製作費が少なくても良い作品を生み出されている独立プロ(=個人のプロダクション)のお仕事もさせて頂きました。

けれど、今はほとんどが独立プロの製作だと思うんですね。誰でも映画が撮れるという時代でもあり、そういう自由さがあるけれど、それだけに大変だと思います。

--今まで映画に関わってきて、一番好きだった場所はどこでしょうか?
K: 私がデビューして3年目ぐらいの作品に中川信夫監督の『高原の駅よさようなら』という映画がありました。私は高原の療養所の看護師役で、メロドラマでした(笑)。軽井沢の2つ先には「信濃追分」という鄙びた駅があります。このホームから真っ正面に浅間山が見えます。療養所の看護師である私は、東京から来た水島道太郎さん演じる野村俊雄という人物を好きになってしまう。でも彼には許嫁がいて、悩んだあげく最後は一時帰京する彼に高原の駅でさようならするというエンディングなんです。それ以来その駅がすっかり気に入ってしまったんです。その時私はまだ19歳でした。信濃追分という所は、作家の堀辰雄さんも住まれて、小説にも登場し憧れていましたし、空気も良いし、毎年夏になると行きたくなるので、後で小さな別荘を建てちゃったんです(笑)。


映画『高原の駅よさようなら』より


--東京は本当に変わってしまいましたね。
K: ほんとに変わっちゃいましたね。この間、映画からCMまで扱っているプロダクションのIMAGICAに行ったのですが、みんな高層ビルばかりになってしまって…。以前の姿と違うものだから、東京も分からなくなってしまうわね。今住んでいる近所の目黒川沿いの桜は名所になったので、桜の頃は良く散歩していますよ。

--震災のあと、保存することの大切さなど、みんなの心も変わってきていると思いますか?
K: やっぱり、バブルの頃から、お金が儲かることが一番偉いという風潮がありますよね。それに伴って人の心も変わっちゃったのではないかという気がするんです。また少しでも人の気持ちが温かくなるといいと思っています。

--『東京物語』が海外でも人気になったのはなぜだと思いますか?
K: 家族など、共通するものがこの映画には込められていると思うんです。私は一番若い役を演じさせて頂いたのですが、「大人って、いやね」と言うシーンがあります。大人になるのが嫌だという意味です。当時私は21歳でその言葉の意味がよくわかったんですよ。それから家庭を持つようになって子供が出来ると、今度は長男役の山村聰さんや長女役の杉村春子さんの世代の気持ちがよくわかるようになりました。もっと親を大事にしたいし面倒をみたいと思うけれど、まず毎日の自分の生活がどうしても第一になるから、気持ちはあるけどやってあげられない。今では、私はもう親の世代の気持ちも理解できます。どの世代にも、何か考えさせられるものがある。それから、死についての問題もありますよね。お母さんが死んで、お父さんが一人残されて。ひとつの小説を読む時、若い頃に読んだときの捉え方と、少し年齢を重ねてから読んだときの捉え方とで、年齢によって作品の捉え方は異なりますよね。そういったように、ひとつの小説を読むような映画なのではないかなと感じるんです。どの国の方も、きっとそういう共通のものを感じるのではないでしょうか。

映画『東京物語』より。左が原節子さん、右が香川京子さん


--女優として、これからの若い人たちへのアドバイスはありますか?
K: 若い世代にこうしたらいいとかは、あまり言わないのですが、何か質問を受けた場合はアドバイスしています。お話が戻りますけれど、日本の映画だけに限らず、フィルムセンターには優れた作品が沢山残されています。そういった作品を出来るだけ沢山観てほしいと思います。それが一番、良いことだと思います。

それと色々なことに興味を持つということが重要だと思いますね。私も女優業を続けて60年以上になりますが、優れた方達にお会い出来たということ、そして色々な場に身を置くことが出来たという経験が、自分を豊かにしてくれたと思っています。だから、様々なことを経験し、様々なことを知ることが大事なのではないでしょうか。

その時は無駄だと思ったとしても、無駄なものはないと思うんです。後で考えると、その経験が何かの役に立っているはずなのですから。


香川京子の国際フィルムアーカイブ連盟賞(FIAF賞)の授賞式は、
東京国際映画祭(TIFF)の会場にて、10月24日(月)に行われる予定。
詳しくは、TIFFオフィシャルサイトをチェック。

インタビュー ジェイムズ・ハッドフィールド
インタビュー 西村大助
※掲載されている情報は公開当時のものです。

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