2012年12月19日 (水) 掲載
クリスマス映画といえば、雪、サンタクロース、センチメンタルな甘ったるさだけと誤解してはいけない。こじんまりとした田舎から宇宙の片隅、ギャングスターからグリンチ、チャールズ・ディケンズからチャーリー・ブラウンまで。ホリデーシーズンこそ、娯楽の世界にどっぷりと浸かってほしい。タイムアウトが選んだ100本のベスト(そしてワースト)映画をアルファベット順にAからZまで一挙に、オンラインの煙突からあなたのお宅へお届けする。
聖夜とアニメは相性がいい。そのせいか、クリスマスシーズンになると店頭のDVD棚には、魔法使いのトナカイやハッピーな小人たちといった、子ども騙しの作品がずらりと並ぶ。だが、そうした子ども騙しの棚の中でも別格なのが、Dr. スースのオリジナルアニメ作品『 グリンチ』(1966)や、子ども向け映画として色あせることない、最高に愛らしい『スヌーピーのメリークリスマス』
(1965)といったクラシック作品だ。『わんわん物語』(1955)から『トイ・ストーリー』(1995)など、ディズニー映画にもクリスマスは登場する。もし家族揃ってダークなセレクションがお好みならば『ナイトメア・ビフォア・クリスマス』(1993)も必見だ。
特別にクリスマス映画というわけではないが、モンティ・パイソンによる、すべての始まりとなった男の話は取り上げなければならないだろう。ジーザス・クライストではなく、彼のナザレ人の隣人、ブライアン・コーヘンのことである。錯乱した無礼者で騒々しく、キリスト教信者たちの理想通りの『ライフ・オブ・ブライアン』(1979)は、このシーズンにぴったりのツイストコメディだ。『パラダイスの逃亡者』(1994)では、ニコラス・ケイジ、ジョン・ロヴィッツ・ダナ・カービーらが扮する銀行強盗が、脂肪分だらけのクリスマス料理に溢れる小さな町に閉じ込められ、怒りと諦めと苛立ちで右往左往する。クリスマスを舞台にした同様のセンチメントがお好きなら、まったく違う理由でだが、ウディ・ハレルソンとウェズリー・スナイプスが言い争う『マネー・トレイン』(1995)もおすすめだ。
好き嫌いは分かれるが、フランク・キャプラの『素晴らしき哉、人生!』(1946)はクリスマス映画として避けては通れない王道。人類愛、寛大さ、忍耐力といったテーマは、世界中の人々の心の琴線に触れた。以降、ハリウッドのクリスマス描写に多大なる影響を与えたといっても過言ではない。そのせいだろうか、『三十四丁目の奇蹟』(1947)や、『未来は今』(1994)といったまったく違う種の映画からもその影響は垣間見られ、キャプラのキラキラとした古き良きアメリカ愛を、皮肉にしろ歓迎にしろ取り上げている。だが最も強烈な模倣は、ジョー・ダンテによる、愛すべき小さな町を、鋭く小さな牙がズタズタにする『グレムリン』(1984)だろう。
チャールズ・ディケンズは、生涯にわたり20作以上のクリスマス物語を発表したが、『クリスマス・キャロル』を書き上げた時に、果たして世界制覇する怪物を作ってしまったことを悟っていただろうか。インターネット上だけでも、ディケンズの物語の改作は21作以上を見つけることができる。だが、ビル・マーレイのコメディ『3人のゴースト』(1988)は出てこなかったので、実際に改編された数字が遥かに多いことがわかる。中でも可愛らしいアラステア・シムが出演する1951年版は未だに人気が高い。ジム・キャリーが出演したロバート・ゼメキスの2009年3D版も、格好良すぎる仕上げだが存在感が際立っている。だが一番ぶっとんだバージョンは『マペットのクリスマス・キャロル』(1992)で間違いないだろう。この作品ついては、後ほど詳しく説明するとしよう。
ブラック企業と同じ状況の中、氷点下の中で暮らさなければならないなんて、小人たちがいかに無気力で手に負えないやつらになるかもわかるだろう。大柄なウィル・ファレル演じるジョン・ファヴロー監督の『エルフ~サンタの国からやってきた~』
(2003)に出てくる小人は、まっすぐな性格のヒーローだが、ほかの作品に登場する小人たちの評判は悪い。2003年に公開された成人向けクリスマス映画のクラシックとも呼べる『バッドサンタ』には、酔っぱらいでだらしない、裏切り者のマーカスのようなイメージが往来の小人たちが描かれている。乱暴で拝金主義で欲張りだが、小人たちも稼ぎ時はこのシーズンだけ。あとはコカインとネットで会ったフィリピン人花嫁のためのお金をやりくりしなければならないのだから。だが、サンタの小さなサポーターたちに同情するのはまだ早い。なぜか無意味にナチスをテーマにした、安物ホラー映画『悪魔のバイオ親衛隊』(1989)に登場する彼らを思い出してみて欲しい。彼らはこの作品で『ホワイトクリスマス』という言葉に別の意味をもたらしたのだ。
まるでクリスマスが、凍った窓から覗く暖炉の灯りのように煌びやかなものだと解釈する映画もあれば、クリスマスこそ、我々の人生のうまくいかない原因をはかるバロメーターとして捉える映画もある。家族間の恨みをふつふつと煮えたぎらせる『クレイマー、クレイマー』(1979)や、アイスランドの宝石『101 レイキャヴィーク』(2000) や、メインストリームのスタジオが大衆向けとして作ったにも関わらず、ギスギスしたダークコメディになった『ローズ家の戦争』(1989)などがある。 だが、泥棒のデニス・リアリーが、クリスマスイヴに銃を持って、ジュディ・デイヴィスとケヴィン・スペイシーのもとに転がり込む 『サイレントナイト/こんな人質もうこりごり』(1994)が、このカテゴリーではトップだろう。
酔っぱらいの全員合唱、やりすぎなくらい大袈裟な会食、涙の承認、取り返しのつかない家族内暴力の予兆。郊外の一般家庭のクリスマスデーは、マフィア映画の要素が充分にある。クリスマスを舞台にしたギャングスター映画が多いのも納得だ。『ゴッドファーザー』(1972)では、マーロン・ブランド演じるヴィトー・コルレオーネが、小さな親戚たちへのクリスマス用のリンゴとオレンジの買い出し中に殺されるし、アイルランド人の逃亡者、コリン・ファレルとブレンダン・グレッソンは、『ヒットマンズ・レクイエム』(2008) では片田舎でのクリスマス騒ぎを繰り広げるし、アメリカ人ヒップホップMC、アイス-Tはアベル・フェラーラ の『クライム・クリスマス 〜ニューヨークの白い粉〜』(2001)でクリスマスの誘拐強盗に走る。映画的には低評価作品かもしれないが、ベン・アフレックのスリラー『レインディア・ゲーム』(2000) にはサンタに扮したカジノ強盗精鋭チームが登場する。まさしくアメリカンドリームの最終的なゴールだ。もし、実際にそんなものが存在していたとしたらの話だが!
なぜホリデーシーズンになると、人は凶暴になり殺人を犯したがるのだろうか? クリスマス映画には、サイコや暴力事件を取り扱ったものが少ないことに驚くべきだろうか。クリスマスホラーの先駆けといえば、『夢の中の恐怖』(1945)のイーリング社製の大きな旅行鞄からだろう。上流階級の家庭が、殺された子どもの幽霊に悩まされるという話だ。映画はヒットし、サブジャンルともいえる流れを生み出した。中でも『ブラック・クリスマス』などがヒットし、ホリデーシーズンにおきる惨劇というジャンルを確立した。80年代のサンタをベースにした安っぽい作品『悪魔のサンタクロース 惨殺の斧』(1984) だけではなく、2006年の役立たずのリメイクも。クリスマスホラー映画の最高作といえば『グレムリン』(C欄参照)だが、サンタが存在しないと気づいた瞬間に大量殺人に変貌する連続殺人魔の『サンタが殺しにやってくる』(1980)も忘れてはいけない。
『カッコーの巣の上で』(1975) の忘れられないシーンや、『フック』(1989)での ロビン・ウィリアムスの蓄積された企業への怒りは、インナーチャイルドを開放するというよりは、かなりお手上げの狂気だ(『素晴らしき哉、人生!』を参照)。クリスマスの狂気が一番よく描かれているのが、ノラ・エフロンの1994年の悲痛な『ミックス・ナッツ イブに逢えたら』 (1982年フランス映画『Santa Claus is a Bastard』が元になっている)。聖ミカエル祭の失敗と言えよう。スティーブ・マーティン、マデリン・カーン、ジュリエット・ルイス、ゲリー・シャンデリング、パーカー・ポージィ、リーヴ・シュレイバーをはじめとする蒼々たるメンツが出演しているにもかかわらず、コメディチックなエッグノッグは、エネルギッシュな茶番劇で、映画の自殺とも思える。
クリスマスがチャールズ・ディケンズが自分の特権を守るためだけに創造され、英語圏のみで祝われていると思ったら大間違いだ。我々もそう思っていたのだが、少なくとも映画の世界は違うらしい。他の大陸でもクリスマスシーズンは存分に、ともすると我々トイザラスのプリペイカードを持つ英国人と米国人以上に祝うようだ。イングマール・ベルイマンの『ファニーとアレクサンデル」(1982) では、スウェーデンの1900年代初頭のおしゃべり階級層が、甘い肉をがつがつと食べ、家の中で飛び跳ねて互いの顔におならをし合うし、イタリア人映画監督のエルマンノ・オルミは1961年の『定職』で、あのむちゃくちゃなオフィスパーティを再現した。大島渚の『戦場のクリスマス』では、日本人戦争捕虜キャンプの残忍さにさえ、クリスマスの輝きが訪れる。北野武の扮する厳格な看守は、映画内の唯一の彼の英語のセリフで「メリー・クリスマス、ミスターローレンス」と叫ぶのだ。 アルノー・デプレシャンの 『クリスマス・ストーリー』(2008)はどうだろうか。子どものキリスト生誕劇の後に、フランス人一族の募る恨みが放出し、水鉄砲でワインとレモンを互いに掛け合っている。
古いタイプのアニメよりも、人形劇やストップモーションアニメはなぜか祝祭の色が濃い。子供時代遊んだおもちゃのせいかもしれないし、ふわふわのブランケットのような外見のせいかもしれない。騒々しくて神聖さに欠ける、時間を超えた1992年のTVスペシャル『マペットのクリスマス・キャロル』をみれば明らかだ。他に比べられる作品はそう多くはない。『ナイトメアー・ビフォア・クリスマス』では心は暖まらないし、『ウォレスとグルミット』シリーズの『ペンギンに気をつけろ!』(1993) は英国のホリデーシーズンのクラシック映画だが、クリスマスについては触れていない。ランキン・バス・プロダクションのオールドスクール作品『サンタのいないクリスマス』(1974)は、サンタクロースの声をミッキー・ルーニーが演じているので必見。
このリストで紹介している数々の最高傑作を差し置いても、偉大なる『ナショナル・ランプーン/クリスマス・バケーション』(1989) にはセクションひとつ分を与えなければならないだろう『ナショナル・ランプーン/ホリデー・ロード4000キロ』(1983)でアメリカンドリームを爆発させ、『ナショナル・ランプーン・ヨーロピアン・ヴァケーション』で( 1985)旧世界に打撃を与えたように、チェビー・チェイスのクラーク・グリスウォルドにとって、クリスマスの日帰り旅行は、不平不満をわめく反抗的な家族の唯一の役割が、物事を台無しにするかのように思えた。迷惑な親戚たち、自己満足なデコレーション、燃え上がる木、批判演説、爆発するサンタ、内破した七面鳥、塩が入りすぎたノッグ、勢いがつきすぎたソリ、満杯の汚水処理タンク。「いかれた奴らはこちらの精神病院へ!」これらの要素がすべてが集まってこその独創的、かつ現代的なクリスマス映画だ。
TVシリーズ『イーストエンダーズ』以外では、もう”歌うクリスマス”はなくなったかのようだが、ジョナ・ルウィの『Stop the Cavalry』から数曲を選曲すれば、皆があの恐ろしい『The X Factor』のカラオケを歌いだすことは間違いない。だがいつもこうだったわけじゃない。ヴィンセント・ミネリの『若草の頃』(1944) には、素晴らしいクリスマス合唱が入っているし、ジュディ・ガーランドが後悔しながら住み慣れたホームタウンを去るシーンには「メリー・リトル・クリスマス」が流れる。アルバート・フィニーのミュージカルを象ったアンチヒーロー、ロナルド・ニームの『クリスマス・キャロル』(1970)もいいだろう。そして、忘れてはいけないのが『スイング・ホテル』(1942) と『ホワイト・クリスマス』(1954)のビング・クロスビーだ。クリスマスを盛大に祝う映画といえばこの2本だろう。たしかに、砂糖を入れすぎたエッグノッグの嵐のような映画だが、12月の寒い朝にはこれが必要なのかもしれない。
聖ニコラウスを描写した映画は山ほどある。頑固で反社会的な酔っぱらいには『バッドサンタ』 (2003)、古い怪物風であれば『レア・エクスポーツ 囚われのサンタクロース』(2010)、漂白したハゲ頭の忘れっぽいプロレスラーが孤児を助ける話であれば、ハルク・ホーガンの『Santa With Muscles』(1996) あたりがいいだろう。精神病の銀行強盗は、クリストファー・プラマーのソフトなカナダの犯罪映画『サイレント・パートナー』(1978)。がさつなユダヤ人サンタは、ポール・ジアマッティの『ブラザーサンタ』(2007)。ジーン・ハックマン扮する危険な乱暴者の悪徳警官が登場する『フレンチ・コネクション』(1971) の冒頭の路上のサンタのシーン。悪魔を苦しめるメキシコ産の赤塩は、1959年のテキサス・メキシカンのキャンプ映画『サンタクロース』。オクラホマ人たちによる人類初の聖夜を赤い惑星で祝うのが観たければ、 ザ・フレーミング・リップスの『クリスマス・オン・マーズ』(2008)。あとは、ご想像におまかせする。
クリスマス映画はだいたいがおとぎ話だという説もあるが、子ども向けのちょうどよい作品も数本ある。『スヌーピーのメリークリスマス』(C欄参照)はもちろんベストだが、『三十四丁目の奇蹟』のような愛らしい古い作品もある。サンタはサンタであるが故に疲れきってしまうのだが、現実社会には空想キャラの居場所はないということだろう。1994年に星のようなリチャード・アッテンボロー主演でリメイクされ、米国で長年愛されてきた『A Christmas Story』(1982)はあまりヨーロッパでは観られていないが、ロバート・ゼメキスのやや気味が悪いCG作品『ポーラー・エクスプレス』(2004)は人気がある。さらに年長の子ども向けには、『ホーム・アローン』(1990) や、乱暴者には『グレムリン』がいいだろう。
プロテストシンガーとして世間を騒がせたフィル・オクスはこう歌った、「貧乏人にはジングルベルは鳴らない」。それが正しいことを映画が証明してくれる。ディケンズの『クリスマス・キャロル』のボブ・クラチットを筆頭に、このシーズンの映画は貧しさが目白押しだ。『孤独の報酬』(1955) の体格のいいラグビー選手から、『ロッキー』(1976)のはっきりしないボクサー、マイケル・ムーアの『ロジャー&ミー』(1989)の自動車工場の労働者たち、米国インディー映画のマスターピース、『フローズン・リバー』(2008)の雪に閉ざされた極貧層のヒロインたちまで。だが貧しさの究極をきわめているのは『大逆転』(1983)だ。ダン・エイクロイド演じるかつてウォール街のエグゼクティブだった男が、銃を持ち、自滅的になりながらマンハッタンの夜道をサンタスーツで歩く姿だろう。
ビング・クロスビーが「クリスマスには家に帰るよ」と歌ってから、クリスマス休暇には家族のもとに帰省する(またはできるだけ遠ざかる)イメージが強くなった。クリスマス帰省のベスト映画といえば『大災難P.T.A』(1987) だが、舞台はサンクスギビングだ。他にはレニー・ハーリンの狂乱アクションコメディ『ロング・キス・グッドナイト』(1996)がある。ジーナ・デイビスの帰省旅行のCIAの半分が壊滅状態になる。家族の絆を目の当たりにするのを避けたい人には、ジョン・キューザックがセックスを求めてロサンゼルスを目指す『シュア・シング』(1985)や、ケイト・ウィンスレットとキャメロン・ディアスが外国で恋に落ちる甘いロマンティックコメディ『ホリデイ』(2006)がおすすめだ。
クリスマスはカップルよりも、家族向けのイベントと言える。だが、ホリデーシーズンの失恋における特別な孤独感は、普通のロマンティックコメディに特別な刺激を与える。蜜のように甘い英国コメディ映画『ラブ・アクチュアリー』(2003)では、ビル・ナイの寂しいクリスマスロッカーが口直しになる。クリスマスには素晴らしいラブストーリーが儚く訪れる。『恋人たちの予感』(1989) や『アニー・ホール』(1977) を観てみればいい。一番感傷的な気分に浸れるのは『あなたが寝てる間に…』(1995) だろう。サンドラ・ブロックは、地下鉄事故の被害者ピーター・ギャラガーに恋するが、本当は彼の兄、ビル・プルマンが恋の相手だったと気付く、シカゴを舞台にした恋物語。
ハリウッド的クリスマスといえば、永遠に続く砂糖と脂まみれの不毛地だと誤解している人に観てほしい。『素晴らしき哉、人生!』 (1946)や、 『街角 桃色の店』(1940)や、 『アパートの鍵貸します』(1960) 、『大逆転』 (1983)で描かれているように、クリスマスは、多くの映画に描かれているように、現実社会においては孤独で空虚な行事なのだ。橋にぶら下がって身を投げようとしているジミー・スチュワートや、睡眠薬の過剰摂取で息を引き取ったシャーリー・マクレーンを、クリスマスの夜に発見するジャック・レモンを頭に思い描いてみてほしい。どちらも映画史に残るショッキングなシーンだが、人間の内なる深い痛みを表現している。これを乗り越えるためには、愛、交友、ぬくもりが必要なのだ。これこそがクリスマス精神ではなかろうか。
「マシーンガンを手に入れた、ホー、ホー、ホー」と、最も乱射と爆破アクションが目白押しのクリスマス映画といえば『ダイハード』(1988)だ。ブルース・ウィリス演じるバッドサンタは、煙突を滑り落ち、アラン・リックマン率いる銃武装したヨーロッパ人テロリストに立ち向かう。だが聖夜に犯罪を実行したい武装革命家はまだまだいる。キリストの誕生日に手を出すと、何が起きるかを目の当たりにさせる反ユートピア思想の2本を紹介する。『12モンキーズ』(1995)では、クリスマスシーズンに悪党たちが世界にウィルスをまき散らし、『未来世紀ブラジル』 (1984)で、ジョナサン・プライスは自分に内在する自信の無さ、精神病、キャンペーンを爆破しようとするテロリストだけではなく、会う人すべてが、今年最高のクリスマスギフトで彼を騙そうとしようしていることに、頭を悩ませなければならない。
クリスマスパーティにはいつの時代にも招かれざる客がいる。関係ない会社のクリスマスパーティに無理矢理入ろうとする酔っぱらいや、泣きながら飲み明かしたバーの顔なじみのような人のことだ。だが、ジム・キャリーのツイストたっぷりのビターな『グリンチ』(2000)のように、彼らはどこか人間味に溢れている。『ゴーストバスターズ2』(1989)のヴィーゴ大公の悪霊のように、マンハッタンの町中をスライムまみれにするのはさすがにやりすぎだが。ジョアン・リバースが監督したビリー・クリスタルのデビュー作『Rabbit Test』(1978) は妊娠した男のクリスマスの物語。これこそまさに、究極の招かれざる客だ!
博愛精神の季節だが、人類の本性が良くなるということでは決してない。『ダイハード』や『ロング・キス・グットナイト』、『'R Xmas』のような銃撃戦と暴力の映画はこれまでに紹介してきたが、リストはまだまだある。素晴らしい『キスキス、バンバン』(2005)では、ロバート・ダウニー・Jr演じる売れない役者が、命を狙われながらも、蒸し暑いクリスマスのロサンゼルスで殺人事件を解決する。『ゾディアック』(2007)ではクリスマスの前日に最初の殺人が起こるし、『イースタン・プロミス』(2007)ではロシア正教の華やかな祝宴が冒頭に登場し、『ランボー』(1982)ではシルヴェスター・スタローンがホリデーシーズンにふさわしい跛行ぶりを見せてくれる。もちろん『ホーム・アローン』では強盗2人組をこてんぱにやっつける砂糖を過剰摂取した子どもが登場する。
戦争は地獄だと言われている。クリスマスも地獄だと言われている。故に、クリスマスは戦争だ!少なくともこの隠喩からは。スピルバーグの『1941』(1979)には、12月の真珠湾攻撃後の米国軍隊の錯乱が描かれている。ウォルフガング・ペーターセンの1981年のドイツの潜水艦を舞台にした戦争映画『U・ボート』にも、クリスマスに関連した忘れられないシーンがいくつかある。ビリー・ワイルダーの『第十七捕虜収容所』(1953)もそうだ。『バルジ大作戦』の休戦、ピーター・バーグ、ケヴィン・ディロン、ゲイリー・シニーズらが出演の『真夜中の戦場〜クリスマスを贈ります〜』(1992)が緊張を和らげるものの、東西冷戦フィーバーの最中に作られた『ロッキー4』(1985)では、シルヴェスター・スタローンがクリスマスをさらにスパイスアップするために、ロシアの殺人マシーン、イヴァン・ドラゴと対戦する。
商業か、キリスト教聖夜か。礼拝からんちき騒ぎか。『ライフ・オブ・ブライアン』または
『十戒』(1956)か。『ジングル・オール・ザ・ウェイ』(1996) または『素晴らしき哉、人生!』にすべきか。長年にわたるクリスマスの議論だが、まだ映画では答えが出せていない。映画はどちらかというとチャールズ・ディケンズの成功例に従って両方に応えようとするからだ。90分尺のいざこざ、はびこる消費主義、家族間の対立、包容、理解、成長、エッグノッグのドリンク、そしてベイビー・ジーザスを祝う。ディケンズのテンプレートは失敗なしだ。
若い上に、親の監視がないクリスマスは自分次第でどうにでもなる。マコーレー・カルキンが演じた恐ろしく順応性の高い『ホーム・アローン』の子役は、両親の不在という、いたずらとどんちゃん騒ぎへの黄金の切符と取ったが、『バッド・サンタ』に登場する子ども、サーマン・マーマンは残念ながらそこまで活発ではなく、彼のホリデーシーズンは、アメリカンドッグと鼻水だけのわびしい味気ないものになってしまった。ダグ・ライマンの『go』(1999)では、子どもっぽさをそいだ、ラスベガスの一晩限りのスピーディな荒淫を描いた、10代向けのタランティーノ作品だ。年老いた若者が登場する『ダイナー』(1982)はクリスマスに、もう少年時代は終わったと気付き、大人の道へのどんよりともやがかかったクリスマスを過ごすのだ。なんて悲しい!
これまでに登場した映画たちは、『大逆転』や『スヌーピーのメリークリスマス』や『ナショナル・ランプーン/クリスマス・バケーション』ら、変わった宝石のようなセレクションもあるが、多くが紹介に値する作品だ。だが、クリスマス映画のほとんどは、最悪だということを認めざるをえない。テレビのせいもある。多くのクリスマス映画は、シネコン上映のために作られていない。雪のシーンや赤いサンタクロース、アニメ風のトナカイが登場しない限り、誰もがプレゼントのラッピングや七面鳥の準備や酒棚を空けるのに忙しいのだ。マイケル・キートンの過ちである、雪だるまとして生まれ変わった『ジャックフロスト パパは雪だるま』(1998)や、マーティン・フリーマンの小学校を舞台にした甘い『Nativity!』(2009)や、『肉喰怪獣キラーツリー』(2004)など。ハヌカをぶち壊すサンタ役のアンディ・ディックが登場するユダヤ教の奇抜な『The Hebrew Hammer』(2004)は、特別なカテゴリーにしても、やはり名誉ある最低枠の座を得るのは『Christmas in Wonderland』(2007)だ。まるでショッピングモールの宣伝映画のようで、ホリデーシーズンをサンドバッグのようにずたずたにしている。
クリスマスならではの映画三昧をぜひ楽しんで!
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