Johan Persson
2010年07月01日 (木) 掲載
「日本を代表するアーティスト」という表現はよくあるが、「世界を代表するアーティスト」と言われる日本人はそうそういるものではない。だが、2010年6月29日(火)の英国ロイヤル・バレエ団東京公演をもって、15年に亘り在籍した同バレエ団を退団した吉田都は、まさに世界を代表する超一流のバレリーナだ。
吉田都は今後もバレリーナとして踊り続けるが、クラシック・バレエの頂点として世界に君臨する『ロイヤル』の、伝統と歴史の粋を集めた“これぞクラシック・バレエ”という舞台を全幕に渡って踊ることは、この東京公演が最後だった。しかも彼女は、そのキャリアの頂点で退団することを自ら決めた。テクニックと身体能力を維持しながら、年齢とともに芸術性と表現力を深めていった吉田都が、まだプリンシパルとして主役を張れることは誰もが知っている。にもかかわらず、彼女はロイヤルを去る。おそらくそれは、世界の最高峰『英国ロイヤル・バレエ団』初の日本人プリンシパルとしての、そして時代をリードし続けてきたバレリーナ、吉田都としての美学を貫徹した結果だろう。
最後の演目は、彼女のレパートリーの中でも、ドラマチックな感情表現が際立つ『ロミオとジュリエット』だ。英国バレエの父、フレデリック・アシュトンと、クラシック・バレエという伝統的な様式を用いて人間の深層心理を鮮烈に描き出し、バレエという舞台芸術に新たな命を吹き込んだ振り付け家、ケネス・マクミランによって創られた作品。ウィリアム・シェイクスピア生誕400年を記念し、イギリスの威信をかけて創作され、初演時のキャストは、バレエ界の伝説となったマーゴ・フォンティンとルドルフ・ヌレエフの2人だった。吉田都がロイヤルの一員として最後に踊る作品が、ロイヤルを代表する『ロミオとジュリエット』であったことには、確かな理由がある。その理由を、ロイヤル・バレエ学校に入学した当時から吉田を知り、現在は英国ロイヤル・バレエ団の事務局長を務めるケヴィン・オヘアに聞いた。
「吉田都は、日本人でありながら、英国バレエを象徴する存在となりました。英国ロイヤル・バレエ団の芸術監督のモニカ・メイスンが、吉田のことを“日本の宝に留まらず、世界の宝となった”と評したのはまさにこのためです。私たちは誰もが、都はロイヤルが育て、ロイヤルの全てを体言するバレリーナだと思っています。それは彼女の、他の追随を許さない舞台におけるテクニックや身体表現はもちろんとして、舞台裏の彼女の人間的なあたたかみ、ユーモアのセンス、そしてプロフェッショナルとしての矜持、それら全てが含まれます。若い団員は、憧れの存在として吉田都を目指し、彼女を尊敬しています。カンパニーとしても、そんな吉田都を見送らなくてはいけないのは、とても悲しいことです」
9歳よりバレエをはじめ、17歳の時に世界のバレエ界への登竜門であるローザンヌ国際バレエコンクールで入賞、そして英国ロイヤル・バレエ学校に入学し、以来25年以上に渡り国際的に活躍してきた吉田都というバレリーナは、バレエの本場ではどのような存在として捉えられているのだろうか。
「彼女は、英国ロイヤル・バレエ団の最高峰であるプリンシパルになった初の日本人女性です。都は、他の人に決して真似のできない特別なものをバレエにもたらしてくれました。それはステージでの唯一無二の存在感です。控えめでありつつも、最高の実力を有する、という彼女のダンサーとしてのあり方は、日本人と同じく遠慮がちな国民性のイギリス人にとても愛されました。ロンドンのみならず、彼女はイギリス中をツアーで周り、各地の観客にとても愛されてきたのです」
カンパニーと観客に愛されたバレリーナ、吉田都。彼女には、その人柄や他の追随を許さない技術力だけではなく、まさに神が吉田都に与えたと言っても過言ではない“音楽性”という天賦の才があったという。
「ダンサーとしての彼女は、とても“音楽的”です。都の身体と音楽の間には一切のズレがなく、完璧に一致します。それは言葉にはしづらい才能ですが、観客には一瞬で分かるもの。もちろん、音楽的なダンサーは他にもいます。でも、ただ音楽に体が反応しやすい、というレベルとは違う領域に、都は到達しています。ただ音楽的であることと、“音楽そのものを生きる”ことには大きな違いがあります。それが、彼女が特別である所以です。彼女は、常に音楽と共にある。音楽にそって踊るのではなく、音楽と完全にひとつになれる。それはバレエ・ダンサーとしてとても特別なことで、天賦の才としかいいようがありません。私はバレエ学校時代から彼女を知っていますから、当時から、他の誰にもできない驚異的な水準のテクニックを持ってたことはよくわかっています。でも、ずば抜けた技術力も、彼女の“音楽性”の次にくるものです。どれだけ早く回転することができたとしても、それはそれですばらしいことではありますが、真のバレリーナにはそれ以上のものが要求されます。テクニカルに優れたダンサーはいくらだっています。でも技術を超え、都のように、音楽を通じて“芸術”の域に達することができるのは、本当にまれなことなのです」
人間を人間たらしめているのは“言語”だと言われているが、バレエにはその言語が存在しない。音楽と身体と演出だけで全てを伝える。そして言語が無いからこそ、バレエは人間の魂の深いところに訴えかける感性の舞台芸術だといえよう。だからこそ、音楽が身体と共鳴する稀有な才能を持ったダンサーは、バレエをバレエとして成立させるためには欠くことができない。日本という国から飛び立ったバレリーナ、吉田都の真価を改めてオヘアにたずねた。
「彼女は、一世代に一人しか出ないような才能の持ち主です。彼女の踊りのスタイルは、それほど特別なもの。アンナ・パヴロワやマーゴ・フォンティンなど、バレエ史に名刻むバレリーナの一人だと断言します。英語も話せず、とてもシャイだった日本の少女は、コミカルな役からジュリエットのようにドラマチックな役柄までをレパートリーとする、幅広い表現力を持ったアーティストへと成長しました。ロンドン最後となった都の公演のレビューに、彼女をこう評したものがありました。“吉田都は、ロイヤルから去ったとしても、彼女は決して忘れられない”彼女は、最高のバレリーナとして、ロイヤルの歴史の大事な一部として、忘れられることはありません。長年の友人として、もう共にステージを作ることができないのは寂しいですが、それ以上に、ステージにおける彼女の才能とオーラを心から惜しみます。でも同時に、これからも踊り続ける彼女に対して思うことは、どこで何を踊ったとしても、吉田都は誰よりも正確にプロフェッショナルに踊り、誰よりも優れた舞台を見せるだろうということです」
日本人でありながらも、イギリスの人々にこれほどまでに惜しまれる舞姫、吉田都。“ロイヤルの吉田都”の幕は閉じられたが、それは同時に、彼女の踊りをもっと身近に、ここ日本でも観る機会が増えることを意味する。その証拠に、今後日本での吉田都の公演は目白押しだ。2010年7月8日(木)からは、ロシア・バレエのトップダンサーなどと競演する『バレエの真髄』において『ライモンダ』を踊り、7月31日(土)、8月1日(日)にはスター・ダンサーズ・バレエ団と共に『パキータ』を踊る。
“SAYONARA”というメッセージが掲げられたステージ、いつまでもカーテンコールが続けばいいのにという祈りにも似た鳴り止まない拍手には、彼女に向けられた観客と共演者の愛が込められていた。吉田都はこれからも、たくさんの愛をステージから届けてくれるはずだ。
日程:2010年7月8日(木)
場所:文京シビックホール
時間:18時30分から
日程2010年7月10日(土)、11日(日)
場所:文京シビックホール
時間:15時00分
日程:2010年7月15日(木)
場所:新宿文化センター
時間:18時30分から
料金:S席1万4000円、A席1万1000円、B席8000円、C席5000円
チケット問い合わせ:03-3943-9999(光藍社)、eplus.jp(イープラス)ほか
日程:2010年7月31日(土)、8月1日(日)
場所:ゆうぽうとホール
時間:31日 17時00分から、1日 14時00分から
出演:吉田都、スティーヴン・マクレー(英国ロイヤル・バレエ団プリンシパル)、小林ひかる(英国ロイヤル・バレエ団ファースト・ソリスト)、セルゲイ・ボルーニン(英国ロイヤル・バレエ団ファースト・ソリスト)、菅野英男(ウクライナ国立キエフ・バレエ団ソリスト)ほか予定
料金:SS席1万2000円、S席1万円、A席8000円、B席5000円、C席3000円
チケット問い合わせ:03-3401-2293 (スターダンサーズ・バレエ団)
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