2010年08月26日 (木) 掲載
2007年の初演から、ヨーロッパ各国で熱狂的に支持されている話題作『アポクリフ』を、ここ日本でやっと見ることができる。“やっと”というのも、『アポクリフ』には、制作段階から日本を代表するダンサー、首藤康之が関わっているからだ。振り付けは、今もっとも期待されている若手振付家、シディ・ラルビ・シェルカウイ。
アポクリフとは、聖書における“外典”を意味する。聖書から排除されていったもの、ということから、西洋文化では“出典の疑わしいもの”といった、ネガティブな意味合いで使われるようになった。そんな“アポクリフ”にあえてこだわるのは、振付家のシディ・ラルビ・シェルカウイが、ベルギー、アントワープにモロッコ人移民の息子として生まれ、ヨーロッパ内部にありながらムスリム文化の影響を強く受けて育ち、“排除されること・される者”について考えてきた人だからだ。
シェルカウイの別の作品が日本で上演された際、その世界観にほれこんだ首藤康之は、楽屋の外で“出待ち”をして想いを伝えた。これをきっかけに、首藤はベルギーでシェルカウイのワークショップに参加し、「コンテンポラリーダンスの枠組みを超えた」独自の動きを学ぶ。そして、ヨーロッパでもっとも歴史ある劇場のひとつである、ベルギー王立モネ劇場がシェルカウイに作品制作を依頼した際に、ごく自然な形で首藤康之に声がかかった。
この作品には、人形浄瑠璃文楽を連想させる形で人形が使われるなど、“日本文化”がモチーフとして登場している。そして、テーマのひとつとして、“三島由紀夫”が織り込まれているという。三島由紀夫とアポクリフの接点について、首藤康之に聞いた。
「僕らの世代では、三島由紀夫を特に意識することはありませんでした。僕は、フランス人である振付家モーリス・ベジャールさんに、『M』という三島由紀夫をテーマとした作品を振り付けていただいた時に教えていただいたんです。『葉隠入門』などで三島は、“死”というのは美しく、ドラマティックであるべきだと言っています。それが今の日本には失われてしまった美学であると。その話もふくめて、自分が知っている三島由紀夫について、シェルカウイに教えました。すると、彼はとても興味を持ったんです。というのも、“アポクリフ”とは“外典”という意味で、排除されていった言葉を指します。三島由紀夫も、日本の中で、一般とはかなりかけ離れたところに自分の考えを持っていた人。彼の存在、“死”に対する考え方は、この作品と深いところでつながるものがあります。実際に、三島由紀夫が“死”への考えをのべたインタビューのテキストを僕が舞台上で読むところがあったり、イメージのエッセンスとして入っています」
モーリス・ベジャールは1927年生まれ、三島由紀夫は1925年生まれ。まさに同世代である。三島由紀夫の衝撃的な死は当時、国境を越えて、フランスの知識人にも大きな影響を与えたという。ベジャールは、現代の日本のアーティストである首藤に“三島”を伝えた。この伝承の形こそ、アポクリフの根幹にかかわるテーマだと首藤は語る。
「聖書からは排除されていった言葉が、アポクリフとして、イスラムに伝えられたりする。文化や芸術は、そのように受け継がれ、語り継がれてゆくのだと思います。奇しくも、『アポクリフ』を制作したベルギーの王立モネ劇場は、ベジャールの本拠地でした。三島由紀夫について考えるのは、日本人の“死”について考えること。フランス人であろうと、イスラム教徒であろうと、“死”は誰にも絶対的に訪れるものです。だからこそ、国境・文化・宗教を超えたところで考えることができるのです」
“日本”という文化と、独特の死生観について、外国人は非常に興味を持つ。それは、たとえば、キリスト教的な死生観とはまったく異質のものだからこそ、新鮮な驚きを覚えたり、学びの契機になったりするのだろう。だが、“日本的なもの”に、現代日本で出会う機会は実に少ない。“外”との出会いによって首藤康之が発見した日本と西洋、あるいはイスラムの中には、排除されてきたからこそ純粋な形をしているものが多くふくまれているかもしれない。『アポクリフ』に、忘れていた何かを探しに行ってみよう。
場所:Bunkamura オーチャードホール(地図などの詳細はこちら)
日程:2010年9月4日(土)
時間:18時30分開演
日程:2010年9月5日(日)
時間:14時00分開演
出演: シディ・ラルビ・シェルカウイ、首藤康之、ディミトリ・ジュルド、ア・フィレッタ
料金:S席1万1500円、A席9500円、B席7500円
チケット取扱:0570-000-407(ローソンチケット)
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