燐光群『パワー・オブ・イエス』

東京のオフ・ブロードウェイ“小劇場”を楽しむ

燐光群『パワー・オブ・イエス』

日本の演劇シーンは、『ブロードウェイ』と『オフ・ブロードウェイ』のように、特定の地域で、特定のジャンルが上演されるというものではない。だが、あえて言うのであれば、『オフ・ブロードウェイ』に相当するのが“小劇場”だ。今回取り上げる『ザ・パワー・オブ・イエス』も、いわゆる小劇場で上演されるもの。

小劇場と言っても、ひとつの“演劇シーン”を表す言葉なので、『ザ・パワー・オブ・イエス』が上演される下北沢の『ザ・スズナリ』のように、物理的にサイズが小さいハコもあれば、大きなハコが使われる場合もある。端的に言えば、世界的に著名な劇作家も、20代を中心に結成された誕生したばかりの若い劇団も、お手ごろなチケット価格で自由に足を運ぶことができる、受け手にとっては願ったり叶ったりの“才能の宝庫”、それが小劇場だ。

1980年代の“小劇場シーン”は、野田秀樹や平田オリザなど、今の日本の演劇界を支える多くの劇作家を輩出したが、その中の一人に坂手洋二がいる。坂手は、沖縄をめぐる米軍基地や戦争の記憶などを舞台化し、常にジャーナリスティックな視点から“現実”と向き合ってきたという点で異彩を放っている。“ノン・ポリ”や“シラケ世代”という言葉に象徴されるような、“わたし・ぼく”という一人称の語りで孤立した“個”の内面に入り込んでゆく「80年代以降の日本アート界の心象風景」の中にあって、常に“外”との“関わり”に情熱を燃やし続ける熱い作家なのだ。

坂手は、日本ではあまり上演される機会のない海外の骨太な戯曲を国内に持ち込むことにも熱心だ。今回の『ザ・パワー・オブ・イエス』は、取材を通じて集めた人間の証言を中心に構成する“ドキュメンタリー戯曲”で知られるデイビッド・ヘアーが、イギリスのナショナル・シアターより“世界金融危機はなぜ起こったか、現在何が起きているのか”の舞台化を依頼されて制作したもの。坂手はヘアーのドキュメンタリー戯曲の2作品を日本で上演しており、今回はその3作目となる。

ヘアーは、ジャーナリストが取材をするように、金融危機に関わった投資家、銀行家、政治家、経済学者や新聞記者に話を聞いてゆく。劇は、劇作家と“危機”の中心部にいた、そして現在もい続ける人々との会話を中心に展開されてる。誰もが、なぜこれほどの大惨事が起きてしまったのか、そして、2年の時を経た今も、第2、第3のギリシャ・ショックが懸念され、よちよち歩きを始めたばかりの実体経済が脅かされ、我々の生活はたえず不安にさいなまれ続けなければいけないのか、という大きな疑問を抱いている。その答えは、まさに『パワー・オブ・イエス』というタイトルにある。大きな渦の中に吞み込まれ、どこかで踊るのをやめなければいけないことは分かっていても、自分だけが踊るのをやめるわけにはいかないという、「Yes」と言わせてしまう高度資本主義経済の圧倒的な“力“”が、小さな舞台の上で露わになる。

これは、ただの劇ではない。劇作家という一人の人間が、金融危機というカオスの真っ只中に飛び込み、悩み、苦しみ、変化してゆく過程を描く“生の現実”が展開される、とてつもなく恐ろしい側面を持ったひとつの現象だ。日本で上演するにあたって、金融用語が羅列される難解な(だが一方で誰もがこれを観ただけで“金融危機”を理解できるという明解な)脚本に取り組むことによって、坂手洋二は何を感じたのかを聞いた。

「誰もが自分自身の足元しか見ていなくて、自分とそっくりな立場に他の人もあるのだ、ということを考えていないから(金融危機は)起きた、ということです。これはどこにでも当てはまります。自分の国を守るために戦争を始めてしまう、そういう普遍的なことです。それと、すでに“もの”を持っている人が持っていない人よりも強いのが当たり前という世界があって、それに対して疑いを持てないという現実がある、ということ。そうは言っても、マスコミや、僕らのように言葉の文化の中にいる者は、正しいことを言おうとしたり、バランスを求めて表現しようとします。でも現実的にはそんなことを言っているスキはなく、圧倒的な現実がまかり通ってしまっているのです。だから、金本位制から変動相場制に変わって、何かの安定、価値の基準軸が崩れた時に、なし崩し的に壊れてしまう。あとで物差しさえ変えれば済むっていう話になる。円高がいいのか、悪いのか、という議論も、“何が一番、博打として儲かるのか”が重要になってしまい、“何が正しいのか”という原則が無くなってしまっている。常に、このままなし崩し的に進むとどこまで行ってしまうのだろうという怖さと隣り合わせなのです。金融危機では、システムの中で富める者と貧しいものの違い、決定権を持っている人と持っていない人の差の激しさに改めて驚かされた。それは現実だからしょうがないじゃないか、と思ってしまうけれど、それはやはりとんでもないことなんです」。

金融危機という、“とんでもないこと”が起きた。私たちは今もって、その“とんでもない”状況の中にある。その状況を引き起こした人々は、そのことを「悪かった、申し訳なかった」と思っているのかどうか。あなたはそれを知りたいとは思わないか?危機発生時のイギリスの金融当局者も、ジョージ・ソロスも登場する。『パワー・オブ・イエス』で、あなたは彼らの“本当の声”を聞き、そして戦慄を覚えるだろう。当日券も前売り券も手に入る。観ているうちに、傍観者ないし観客ではいられなくなり、いつのまにかあなたは“危機の当事者”となる瞬間を経験する。

燐光群『パワー・オブ・イエス』
日程:2010年5月10日(月)から23日(日)
会場:下北沢ザ・スズナリ
住所:東京都世田谷区北沢1-45-15
電話:03-3469-0511
料金:当日一般 4000円 、大学・専門学校生 3000円、高校生以下 2000円
ウェブ:www.alles.or.jp/~rinkogun/

テキスト 七尾藍佳
※掲載されている情報は公開当時のものです。

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