横山裕一 現代アートな“漫画”

初の大規模個展が川崎市市民ミュージアムで開催

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横山裕一 現代アートな“漫画”

右)『トラベル』より ©Yuichi Yokoyama 2006 左)『ニュー土木』より「ブック」(部分) ©Yuichi Yokoyama 2002

謎の土木工事をひたすら続ける『ニュー土木』、どこへ行くのかわからない鉄道旅行の記録『トラベル』、用途不明の箱庭遊戯『NIWA』といった漫画をはじめとした、作品集をフランスなど海外でも刊行している漫画家・イラストレーター、横山裕一の初めての大規模個展が、川崎市市民ミュージアムで行われている。

横山裕一が漫画家になる前に油絵を描いていたことは有名な逸話である。一旦は美術の道を外れ、漫画として成功した後に、『六本木クロッシング2007:未来への脈動』展(2007年 森美術館)や新富町のギャラリー、アラタニウラノでのグループ展、そして海外での展覧会にも参加するようになり、いわば現代アートに逆輸入された。それだけにいまの現代アートにはない魔力が横山裕一にはある。

それは彼の漫画のひとコマひとコマを見れば明らかだ。時間が真空状態で封印されたような空間に、不穏な暴力がまざまざと浮かび上がっては、鋭角的な擬音が放らつに刻まれる。キャラクターはすべて無表情で、時折訪れる群集心理はファシズムのようでもある。台詞は英和翻訳ソフトのような温度のない日本語だ。ただ、真に恐るべきはその連続性で、展示タイトルにある『私は時間を描いている』とはこのことを指している。空間を遠近でとらえず、空間内にある物質の運動性や質量で測ったような世界が連続している。コマ割りはエイゼンシュタインのモンタージュ映画を光速倍化したようなとてつもないスピード感で繋がれる。読者は無目的・無意味な時間と世界に放り出され、戸惑いつつも、その圧倒的な残響の余韻に浸るしかない。読後や本展の鑑賞後に残る、ヴェンダースの荒野よりも寂ばくとした感覚は、先日惜しくも解散を発表したゆらゆら帝国が『空洞です』で示唆した、空洞の暴力性にあるのではないか。

幾重にもなった円を描くように構成された展示方法は、当て所なくうろうろする鑑賞者の動きを楽しむかのような悪戯心に満ちており、客観的に見れば鑑賞者でさえ、あたかも横山裕一作品のあの登場人物たちになったかのようだ。本展では上述した3作の原画をはじめ、初期作品や絵画作品も展示されているが、一番驚いたのは横山が高校生時代から欠かさずつけているという日記である。「5/1 〃(〃)馬車道」「5 パレス仙台・牛タン店2・西公(花火)H」など、暗号めいた一日一行のコメントがぎっしり書きこまれた日記を見て、そして400点にわたるという絵画作品群『わたしたち』を見て、横山裕一が描いているキャラクターたちは自分自身なのではないかと夢想し、YMO『増殖』のジャケットを脳裏に描いた。

『横山裕一 ネオ漫画の全記録:「私は時間を描いている」』
場所:川崎市市民ミュージアム(詳細はこちら
会期:2010年4月24日(土)から2010年6月20日(日)
料金:一般 600円、学生・65歳以上 400円、中学生以下無料
横山裕一展公式ブログ: www.kawasaki-museum.jp/neomanga/
展覧会準備チームによるツイッター : twitter.com/neomanga

テキスト 岡澤浩太郎
※掲載されている情報は公開当時のものです。

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