2010年11月05日 (金) 掲載
東京、日比谷のシアタークリエでミュージカル『RENT』が上演されている。この『RENT』、じつに面白い。なんと出演者にミュージカル俳優がほとんどいないのだ。ジャズシンガー、本格派R&Bシンガー、今が旬の映画俳優やアイドル、そして米軍基地でゴスペルを歌ってきた青年などもいる。出演者のほとんどがバイリンガルという個性的なキャストだ。『RENT』は言わずと知れた、ニューヨークのイースト・ヴィレッジに集うアーティスト志望の若者たちを中心に繰り広げられる死と愛と夢の物語。作者であるジョナサン・ラーソンがオフ・ブロードウェイ初演前日に亡くなったことからも、ある種の神話性をまとったミュージカルを超えたミュージカルとして、世界中で熱狂的な支持を集めてきた作品だ。
アメリカのミュージカルを日本で、日本のキャストで上演する場合、オリジナルにより忠実なもののほうが日本のミュージカルファンには喜ばれるだろうという制作サイドの見込みからか、ブロードウェイ作品の縮小再生産的なものを目にすることが多い。だがこの『RENT』は舞台装置から全体の演出にいたるまで、オリジナルとは異なる点が多い。だからと言って『RENT』ではないのかというと、そうではない。むしろ、日比谷のカンパニーは、ジョナサン・ラーソンが求めた『RENT』的な世界観を2010年の今、世界のどのカンパニーよりも最大限に表現し得ているのではないかと感じさせる。そんな刺激的な舞台を実現させた東宝のプロデューサー、小嶋麻倫子に話を聞いた。そもそも、どのような『RENT』を目指しているのだろうか。
「残念ながら私たちがオリジナルの『RENT』をそのままやる訳にもいかないので、何か新しい『RENT』を作るにはどうしたらいいのか、と考えたときに、元々の精神に立ち戻って作ってみようということになったんです。そこで演出は、2年前の初演時には32歳だったエリカ・シュミットという、ニューヨークで暮らす『RENT』の精神がとても好きな若手の演出家に頼みました。彼女が、元々の『RENT』の精神に立ち戻って、キャリアが無い人でも出そう、技術よりも才能、個性を持っている人を出そう、といった提案をしてくれました。キャスト以外においても、たとえば舞台装置では、牛乳箱にロジャーが座っているけれど、あれは実際に作者のジョナサン・ラーソンが自分のロフトで使っているものだったりするんです。だから、私たちなりに原作に対して敬意を払って作っているんです。たとえばダブルキャストで同じ役であっても、役者によって衣裳が違うんです。その人の個性を大事にしたいと思っているので、それぞれにあった衣裳を着てもらっています。出演者の普段着の写真を撮って、それを元に衣装を選びました。それは、オリジナルでも出演者の普段着が衣裳になったりしていたからです。ジョアンヌ役のShihoさんはシンガーなのですが、普段のShihoさんの髪型のまま出てもらっています。ジョアンヌとShihoさんが50%ずつでいいんだ、いかにも俳優という感じで役になりきらなくていい、という方針なんです。もともと、出るキャラクターに合わせて作られていった作品ですし、ジョナサンがやりたかったのは、ミュージカルでありつつ、ロックコンサートのような感じもあるものなので、それでいいのではないかと思うんです」
表面的な作りの面においてはオリジナルと違う点が多かったとしても、制作者が『RENT』の根本にある思想を大事にする、立ち返る、という軸をしっかりと持っているからこそ、新しく、かつリアルな『RENT』が生まれているのだろう。また、キャスト一人一人が非常に強い個性をステージで放っていることも、『RENT』的である、と言えるかもしれない。20世紀末のニューヨークのアーティスト志望の若者たちを描いているが、日比谷の舞台に立つキャストの多くは、まだ世間的には知名度もそれほどない、実際にアーティストの卵といった若者も多い。そのようなキャストは、どのような方針で選ばれたのだろうか。
「2年前の初演時に大々的なオーディションをやりました。誰でも応募していいです、という形で。履歴書と、音源は何の曲でもいいからミュージカルではない曲を歌ってください、ということにしました。なぜならば、もともと『RENT』は、ミュージカルだけを観る人だけでなく、MTVなどを観るような人にも観てほしいという思いで創られたものなので、わたしたちもそのオリジナルの発想に立ち返りたいと思ったんです。オリジナルのロジャー役だったアダム・パスカルも、ミュージカルは全然やったことが無い、売れないミュージシャンだったんです。『RENT』の曲は、ミュージカルよりも、ロックやポップスを歌ってきた人のほうが実際にしっくりくるんです。そういうものを元々求めている作品なので、私たちも同じようにキャストを探そうということになりました。経験は問わないのでミュージカルをやったことが無い人もどうぞ、ということにしたら、こういうキャストになりました。
今回のキャストは前回のキャストの3分の2くらいがそのまま残っています。今回は大きなオーディションはやらなかったので、新しくなった人たちに関しては、私たちが「この子こそ!」と思う方にこちらからスカウトに行って「オーディションを受けてみませんか」と声をかけた形です。たとえばマーク役の福士誠治さんは、すごく「マークっぽい雰囲気だ」と思って話を持ちかけてみたら、なんとかつて学生時代にバンド活動をされていたので歌える、ということが分かって、とてもお上手なんです。だから通常、ミュージカルをやっていない、歌をやっていない俳優の方がミュージカルに出演したりすると、苦情があったりするんですが、福士さんに関しては皆無。でも演技は本当にすばらしいので、全体をまとめてもらっています。『RENT』は、いろいろなバックグラウンドや個性がある人が集まって、それぞれの個性を発揮してもうらうという舞台なので、さまざまな人が一緒になって、得意な分野で才能を発揮してもらう作品ですから、今回のカンパニーはまさにそういう感じです」
プロデューサーの小嶋麻倫子もニューヨークで6年半暮らした演劇人だ。コロンビア大学大学院で、“ドラマタージー”という演劇学の学位を取得し、ニューヨークの劇場で年間数百本の脚本を読み、演劇制作に“中身”から関わってきたキャリアを持っている。その小嶋が2007年に、東宝があたらしく手がける『シアタークリエ』のプロデューサーに抜擢された。以来、彼女が企画・立案し上演した作品は『ニューブレイン』、『グレイガーデンズ』など、個性的なものが多い。そういった作品に惹きつけられる理由を聞いた。
「私がやりたいものは、少し変わっているものが多いんです。私がプレゼンした作品も去年何本かやっていますが、私がいなければシアタークリエでやらなかったような一風変わった作品もやっているんです。たとえば、『ニューブレイン』、『この森で天使はバスを降りた』、『グレイガーデンズ』は少人数のキャストによるミュージカルで、3作品ともオフブロードウェーでやっていたものです。『グレイガーデンズ』は、アメリカの落ちぶれた上流階級家庭を描いた、かなりマニアックな世界なのに、日比谷という街と妙にマッチして、50代、60代の女性が寒空の下、行列を作って下さいました。『グレイガーデンズ』の登場人物も、『RENT』も共通していますが、私が惹かれる作品というのは、ちょっと変わった人、少数派の人が出てくるものが多いんです。それは私が、世の中の“常識”って何なんだろうといつも考えているからだと思います。人数が多いから常識になっているけれど、人数が多いから正しいわけではない、というのが私のモットーなんです。少数派の人だって生きていていいし、『RENT』はそういう作品です。そういう風に考えるようになったのは、私が育った家が料亭をやっていて、芸者さんがたくさん出入りするというちょっと変った家だったからだと思います。大人の社会の縮図を小さいころから見ているところがあった。いつも学校でも変なヤツだと思われていたし。自分自身が個性的なので、今のような視点を持つようになったのだと思います。
『RENT』は、ニューヨークに住んでいたときに、遠い世界の話ではまったく無く、私のまわりにいた友達の話だと思ったんです。いつ舞台にかかるかわからないけれど10年もずっと脚本を書いている人や、バイトをしながら作曲家を目指している人が周りに普通にいた。一方で、ニューヨークって超エリートのビジネスマンのお金持ちもたくさんいる。でも、私のアーティストの友達の生き方が間違っているわけじゃない。それが一緒に存在している場所なんです。そういうことって、ここ世界中のどこにでも同じようにあることだと思います、ここ日本でも。だから、できるだけ若い人に観てもらいたいと同時に、自分が何らかの理由で社会になじめないなと思っている人がいれば、そういう人に観てもらいたいですね」
東宝は、日本の商業演劇の歴史を担ってきた由緒ある企業だ。そのエンターテインメント企業が、ニューヨークでドラマターグとして活躍していた30代の女性をプロデューサーに招きいれたことの背景にあるのは、やはり新しい時代の、新しい観客に向けた芝居を求めなければいけない、という想いだ。その想いは、段々と観客に伝わりつつあるのではないだろうか。『シアタークリエ』は、東宝というよりはむしろ、新しい舞台をやっている新しい劇場というイメージを放ち始めている。小嶋は、シアタークリエをどのようなシアターにして行きたいと考えているのだろうか。
「今の劇場に来ている観客は30代から60代が多いので、10代、20代の、もう少し若い世代にも来てもらえるような劇場にしていきたいという想いがまずあります。そして、観たことによって、人生に希望が持てるような作品をやりたいです。大きなプロジェクトというよりは、良い物語、生きていてよかったな、と思えるような作品をやりたい。シアタークリエは、支配人も女性で30代で、日本の演劇界ではすごく若い劇場になりました。日本の演劇界は古い体質が大分残っていて、特に大規模なミュージカルでは若い人たちが表に立っていく場面は少ないんですね。うちの会社、東宝はもともと商業演劇から始まっていて、“古い”という先入観を外の人に強くもたれているんです。そういう古い体質をあらためて、新しく変わろうとしているんです、と説得することが、結構大変だったりします。でも逆に、東宝はミュージカルを作るということにかけてはノウハウを持っている。『レ・ミゼラブル』や『ミス・サイゴン』など、当時の最先端のものをやっているので、どうやってミュージカルを作っていくかに関しては、培ったノウハウがきちんとあるので、その財産を新しい作品を創るときに活かすことを目指しています」
歴史と伝統ある日本のエンターテインメント企業である東宝で、なおかつ日本のエンターテインメントの“聖地”とも言える日比谷に、ニューヨークのオフ・ブロードウェーから飛びこんだ、“物語”をステージに送り出すプロであるドラマターグ、小嶋麻倫子。彼女がこれから私たちに届けてくれる舞台への期待はふくらむ。『RENT』は、シアタークリエと小嶋麻倫子が、この3年の間に着実に新しい劇場と、新しい演劇を作り出してきたことを証明している。
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