インタビュー:AO INOUE

国内屈指のレゲエMCが初ソロ作で見せたトラックメイカーとしての顔

インタビュー:AO INOUE

国内屈指のレゲエ・ユニット、DRY&HEAVYに参加して国外へもその名を轟かさせてきたMC、AO INOUE。彼のファースト・ソロ・アルバム『Arrow』は意外にもオール・インスト・アルバムとなった。DJとしても勢力的な活動を展開するAOのトラックメイカーとしての側面を前面に押し出した本作には、各国のアンダーグラウンド・クラブでさまざまなDJ/クリエイターたちと交流を重ねてきた彼の好奇心とクリエイティビティが詰まった内容となった。

― DJを本格的にやり始めたのはいつごろからだったんですか。

AO INOUE:2001年か2002年あたりからですね。最初からいろいろ混ぜてましたね。レゲエだけじゃなく、ドラムンベースとか。ラガ・ハウスやラガ・ヒップホップのような古いもの、バイリ(・ファンキ)やグライムみたいにレゲエ的なものも好きになってきて。レゲエ以外のイベントでもDJをやるようになったし、DJで全国を回るようにもなって。

― トラックメイキングを始めたのは?

AO INOUE:2004年ぐらいから趣味でやってました。いろいろな音楽を聴いていくなかで自分でも曲を作りたくなってきて。で、作ってみると人に聴かせたくなるもんなんですよね。でも、発表するつもりは全然なくて、最初は自分のセットに混ぜるぐらいでした。

― 2004年に作ってたトラックはどういうものだったんですか。

AO INOUE:今回のアルバムに入ってます。半分ぐらいはそのころ作ったもので、それをミックスし直して形にしました。

― 機材はどういうものを使ってたんですか。

AO INOUE:MPCを買い、シンセとハードディスク・レコーダーを貸してもらったのが2004年ですね。もともと機械に弱いほうではないので、独学でやってました。ま、最初は完全に趣味で作ってましたからね。当時作ったものを去年ぐらいに聴き直してみたら“これをまとめ直して自主で出そうかな?”と思うようになって。本格的な制作期間となるとそこからになりますかね。

― 趣味で作っていたということは、遊びなんかもガンガン入れていったわけですよね。

AO INOUE:そうですね。リリースを前提にしていたものではないので、

― その遊びの部分が今回のキモのような気がするんですよ。例えば、ダブステップ風のトラックでも、あんまりダブステップでは入ってこないような遊びのパーツがキモになってる。

AO INOUE:ああ、なるほど。確かに遊びの部分を楽しんでくれると嬉しいですね。あのころ、とにかく遊んでたんですよ(笑)。クラブでいろんなやつと遊んでた。ジャンル関係なく友人に恵まれてたんでしょうね。彼らの演奏とかDJに触発された部分はあります。僕のルーツはやっぱりレゲエなので、レゲエのフィーリングがあるものには反応しがちだし、他の国の音楽にもレゲエと邂逅した跡が見えると驚かされたり。

― 2000年代半ばにAOさんが体験していたクラブのムードが残り香としてここに込められているのかもしれませんね。

AO INOUE:そうですね。自分で聞き返しみても、当時聴いていたものがすごく反映されてますから。ディプロであるとか、ワード(21)やレンキーといったジャマイカのプロデューサーであるとか、そういうもの聴いたときに感じたものを自分なりに再現してみようと。もしくはダブ・ピストルズやローテック・ハイファイを聴いてガツンときた感覚であるとか……衝撃を受けたのはチーム・シェイドテックっていうワープからも作品を出してたユニット。彼らのミックステープには衝撃を受けましたね。あとはアシュレイ・ビードルだったり。

― ワードやダブ・ピストルズをかけてるだけでは飽き足らなくてトラックを作り始めたということなんですか?

AO INOUE:なんだろうな、“これイイな”と思ったらすぐに作りたくなっちゃうんですよ。性格的なところもあると思うんですけど。単純に“この人はレゲエのこういうところをピックアップしてこういうものを作るんだ”と思うと、ムラッときちゃうんです。

― そこにレゲエの可能性を感じていたということでもあるんでしょうか。“レゲエもここまで拡大解釈してもいいんだ”みたいな。

AO INOUE:うん、いまだにダンスホールを聴いてワクワクするのは、ジャマイカ人が持ち続けている快楽原理みたいなものに触れられるからだと思うんですよね。あと、ダンスホールなりレゲエなり、ジャマイカから生まれてきた音楽のなかにテクノやハウス、トランスの要素があるじゃないですか。だからこそ可能性を感じるし、そういうものがいろんな場所から出てきている。DRY&HEAVYでは90年代から海外でライブをやってましたけど、当時からそういう雰囲気を感じ取ってましたね。

― 『Arrow』の制作に関して、リリースが決まってからイジったのはどのような部分だったんでしょうか。

AO INOUE:まずはミックスですよね。あと、リリースが決まってから作った曲もあります。世に出るとなると自分でもいろいろ詰め込みたくなりまして。曲によってアレンジや曲の骨組みの作り替えをやってみたり、ホームリスニングにも耐えられるように曲の長さをイジったり。ループの気持ちよさを残しつつ、遊びを入れて飽きずに聴けるように作ってみたつもりです。

― 震災後に作った曲もあるんですか。

AO INOUE:はい、2曲ありますね。個人的なイヤな感じであるとか怖さといったものを含みつつ、希望的観測を交えつながら、“それでも生きていかないといけない”というメッセージを込めたつもりです。DRY&HEAVY時代もリリックにはそういう意識を反映させてたし、親が70年代安保の世代なんで、原発の問題に関しても物心ついたときから身近なものだったんですよ。自分がそこにどう関わっていくか、子供のころから考えてきて。それは今の自分の考えにも繋がってると思いますね。

― 『Arrow』というアルバム・タイトルはどこから?

AO INOUE:“Arrow=矢”という言葉にポジティブな意味を込めてて。今の日本は矢が折れてる状態だと思うんですけど、矢に青い鳥をつけて、真っすぐ突き進んでいければと。

― 攻撃的なイメージではないわけですね。

AO INOUE:そうですね。武器の象徴というよりも、切り裂いていくという意志の表示として。

― 今回のアルバムほど自分を曝け出したのは始めてだったんじゃないかと思うのですが、できあがってみていかがですか。

AO INOUE:初めて参加したバンドだったINTERCEPTORからずっとバンドマンだったわけですし、いつかソロを出したいという意識があったわけでもなかったので、こういう形で作品をリリースするとは自分でも思わなかった。リリースが決まってからのプロセスも勉強になったし、今まで体験したことがないものでしたね。今後も作品リリースは続けていきたい。もう20曲ぐらいできてますし、常にトラックは作ってるので。ライブの形態も考えているところです。デッキとエフェクター、機材を増やしていきたいですね。


AO INOUE 30min Sampler "ARROW" and more by Ao Inoue

インタビュー 大石始
※掲載されている情報は公開当時のものです。

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