インタビュー:菊地成孔 後編

エッジな活動を通して建設する、21世紀型の「大人像」

インタビュー:菊地成孔 後編

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次にラッパーがディスるべきはスティーブ・ジョブズだと思うんですけど


『VERSE1』~『VERSE3』は、パーカッションソロにシェイクスピアの『ソネット』のダークレディ篇の朗読が乗っていますが、その意図は?

シェイクスピアはパブリックドメインですし、音楽はラテンミュージックなのにシェイクスピアが乗るという、ちょっとグロテスクなぐらいの混血的なものが欲しかったんですね。

前作のように外的なエッセンスによる混血性ではなく、ということですね。

今回は曲がすっきりとしてますから、コンセプトに混血性を持たせようと。これでラテンの詩人を乗せてしまってはただのワールドミュージックになってしまいますから。あとは映画『バードマン』にいたく感動していたので、その影響もありますね。あれは音楽がドラムなんです。朗読には来日中のジョン・ビーズリーを呼んで読ませて。

『VERSE2』だけ菊地さんの日本語も被さっているのはなぜですか。

JAZZ DOMMUNISTERS(菊地成孔と大谷能生によるHIP HOPクルー)でもトライしたのですが、要するに声のフーガなんですね。まあ同時通訳なんですが(笑)。これはヒップホップに問われていることなんですが。これは聴けるだろうところまで行っていたので。

響きの上での効果を狙ったのですね。

そう。まあ箸置きみたいな。

菊地さんがヒップホップに非常に接近しているなかで、1曲目のタイトルが『RONARD REAGAN』となっているのは、近年のUSヒップホップでひとつピックアップされている、ラッパーたちがロナルド・レーガンをディスる風潮、主に「レーガノミクス」による悪影響を訴えていることとなにか呼応しているのかなと。日本に置き換えてのメッセージなのでしょうか。

いや、それほどはないんですが、僕は今アメリカのラッパーたちがレーガノミクスをディスることに関しては100%イエスです。あの時代はバブルで、僕も青春期で思い出としては甘いんですが(笑)、あれがアメリカを駄目にしたのは間違いないわけで。で、僕はレーガンの次にラッパーがディスるべきはスティーブ・ジョブズだと思うんですけど。レーガンで物質文明と保守的な再支配状態を作り出したのと、ジョブズでヒッピーライフとインターネットで世界と繋がろう友達になるんだという、2つのシャブを食っちゃったもんで、アメリカは潰れたと思うんですね。それはともかく、今回『RONARD REAGAN』としたのはそれとは関係ないんです。実は、1期DCPRG時代に実はファーストとセカンドの間にパリ録音の『プレジデンツ』というアルバムが予定されていたんですね。僕が不安神経症になったためにキャンセルで、幻となったんですが(笑)。これがすべて曲名が歴代アメリカ大統領の名前と就任期間というコンセプトだったんですが、『RONARD REAGAN』はその名残りですね。



「今ジャズ」って、大きく現象的に見ると第2のフュージョンだといえる


5月、6月はdCprGだけでなく、ソロ、ペペ・トルメント・アスカラール、ダブ・セプテットなど活動中のバンドのライブが目白押しですね。多忙な中で、サックスの個人練習っていつやってらっしゃるんですか?

サックス、歌、ラップの練習はスケジュールを逆算して捻出していますね。その逆算を間違ってこの前に倒れたわけですが(笑)。バンドは皆多忙なのでもっと捻出しないといけない。昔はしょっちゅう集まれたんですが、今は全然。ライブのためリハを2日確保できればオーケーというぐらい。メンバーのスキルが高いので今はそれでやれちゃうんだけど。

なるほど。以前からDCPRGなどで菊地さんが押し進めている「ジャズ×ヒップホップ」の実践は、これからは最近開始されたソロ名義での活動をそのプラットフォームにしていくのでしょうか。

そうですね。dCprGでもいつでもラッパーを迎える用意はあるんですが、「今ジャズ」、いわゆるロバート・グラスパー以降のジャズの状況にコミットメントしているものはいまのところやってきていないので。やっぱり、日本ではああいったものに文句をいう人もいるわけですけど、僕はニューヨークのあの動きはよく分かるというか、「いいんじゃない?」って。情報を手仕事で細かくすることはいくらでもできますし、ただ焼き直しをやるんじゃなくて、もう少し変えて進めたいですが。問題は、聴いている人が楽しく聴けるちょうどいいところをやる。その楽しみは、ペペにもdCprGにもダブ・セプテットにもないので、ソロで進めようかなと。流行もので、若者が好きなものをやるんだと(笑)。

「今ジャズ」って、大きく現象的に見ると第2のフュージョンだと言える。アメリカが発信地、本拠地である、ということが最近弱まっていましたが、久しぶりにアメリカ熱いなと。マーク・ジュリアナとか住んでるし(笑)。新しい(ドラムの)叩き方が出たということと、録り音。もう音響系だなんだって、耳触りの悪いものは散々出たので。グラスパーの音楽って、女の子とのデートにも使えるという意味では「中二病」ならぬ「大二病」と思うんですが。「大二病」的な音楽としてのフュージョンリバイバル。日本であの頃カシオペアとかが出た、あれくらいのことはやりたいと思ってますが(笑)。

昨年はBLACK SMOKERのK-BOMBとジャズベーシストの鈴木勲、ソイルのタブゾンビがコラボレートして、菊地さんも大谷さんらとイベントに出演していましたが、ああいった方向とも違うと。




あれはもっとハードコアなものですよね。ジャジーヒップホップは今に始まったことじゃなくて、DJ KRUSHなんかは昔から新宿PITINNでフリージャズの人と共演してましたからね。そういうちょっとダークな方向もひとつありなんですが、ぼくがやりたいのはカクテル飲みながら聴いても気持ち良くて、その中にエッジなものが含まれているもの。なんてこといっていたら、ケンドリックラマーやディアンジェロの新譜が蓋を開けてみたらすべて生演奏で、ケンドリックラマーに至っては鍵盤がグラスパーだと。僕は「ヒップホップはジャズの孫」ということをずっと言ってきて、以前はあまり理解を得られなかったのですが、そういう流れになってきて。当然の流れだと思ってるんですけど。とはいえ、一手先をいかれちゃったので、向こうで起こっていることを受けて、日本人が工夫するというパターンです。

21世紀型の中〜壮年から老年にかけての生き方をせざるを得ない


僕が初めてDCPRGを観たのは2004年だったんですが、そのときの印象はいまでも強烈に焼き付いていて、緊迫感だとか、異物感のようなものだったんですが。それで、音源を集中して聴くと、各楽器がものすごい興奮状態にいるなと。あの渦中で、指揮やら演奏やら、やることの多い菊地さんは精神的にどういう状態なんですか?

基本的に全部あれ、トランスしてます。一音目から。ただ、日本人の考えるぶっとんで踊りまくる忘我の「トランスしている」状態とは違んです。僕らはそれに対して、すごくフォーメーションに則ったゲームを冷静にこなさなくてはいけないわけですから。瞳孔はステージ上がった瞬間から開いてますが(笑)。ただ、「トランスしているものはコントロールできないもの」というふうに一義的に決められがちですが、そうではなくて、トランス状態でスポーティーなコントロールに入るわけですね。メンバーはね、そんなにトランスしてないんだと思いますよ。ずっとトランスしているのは僕だけ。メンバーはトランスしそうなのをグッとこらえながらやっているような感じですね。

僕らのライブっていうのは、ドカンとヤバい状態に持っていくような「一気飲み」のような、そういったものもひとつのドラッギーな体験としては良いと思いますが、それとは違って、正気がだんだんと、気がついたらサイケデリックなことになっているということですね。だから、知性も冴えてくるし、運動性も冴えてきて、それでいて現実感のないトランス状態、っていうのを僕らは提供しているんだと思いますよ。終わってスッキリしていないとだめっていうか。

終わった後にダメージがあるのはではなく。

要するに、酒飲んで吐いちゃうとか、トランスした代償が体にきついものは、若い人にしかできないですから。dCprGは健康志向というか、3時間踊った後スッキリしてますよ。デトックスというか、体がむしろ整ったというか(笑)。一個のリズムにみんなで一緒に踊っていたら、当然、摩滅しますよ。彼らは体を壊さないように休憩をいれますが、僕らは、ヘルシーに、色々なリズムで自分のタイムで踊るわけなんで、自我的にも社会参加の形というか(笑)。自分で仕事を選んで、場所を選んで、人に迷惑をかけないで楽しむんだという。だから、与えられたドラッグを飲んでめちゃくちゃになっちゃうというやり方ではない。


これは、結局、アフリカ音楽のことですよ。アフリカではトランスして悪魔を取り払うわけですが、めちゃくちゃになってしまったらあんな細かいリズムは取れないじゃないですか。トライバルというのを勘違いしている、とにかくキメてキメて太鼓叩けば良いんだという人がいますが、あんなのリズム的になにもないですからね(笑)。要の打点に何も意味がない、虚しいだけですよね。結局クサなんて要らなくて、自分の心がやばくなっているという段階でもう音楽をやる理由はあって、それが段々と浄化されていって、で、浄化に際して、そのリズムに言語の情報があるっていうことですね。その情報にメッセージがあって、すごく入り組んでいると。色々なことややり方に気付くのが、ポリリズムの効用ですね。それがアフリカの考え方です。

リズムに対して各自で積極的に解釈するということについては、今の若い人たちにロックDJが人気だったり、大きいクラブではEDMが主流だったりして、あまりそういう体験自体をしないで、知らずに過ごすひとが多いと思うんですけど、そういった中でdCprGが提供、要求するものというのはどう受け止められるのでしょうか。

私もう52歳になるんですけど、まあ鈴木勲さんみたいな怪物を除けば(笑)、現役で、ちょっと複雑な物をクラブのヘッズに提供するいうことをやっているのは僕だけなんですね。で、DCPRGは結成10年ですけど、ずっとファンが固まっていて、だんだんと客が減ってきているという状況になっていたら辞めていると思うんですよ、とっくに。いつ見てもフロアには、その時新しいものを求めて来てくれている人たちがいるんですよ。だから、若い人たちが来てくれている限りは、自分たちはエッジであると。それと同時に、音楽界の中でのポジションというものもある。永遠に若いところにいるわけにもいかないですから、僕が引き受けなければいけないポジションというのは、シーンの中で少し敷居の高い「大人」の部分。パクっとすぐ食べられるものがほかにたくさんあるなかで、少し難しいもの。

「大人」を意識すると同時に、エッジを心がけることで新しいものを求める若者はついてくるだろうと。

今は、見た目や精神年齢とかがバラバラになって、20世紀までの大人像、子ども像ではわからないわけですよ。おっさんはこういう格好でこういう音楽を聴いている、ガキはこう、とかが20世紀末からはぐちゃぐちゃになって、お芝居みたいになっているから。文化的なエイジングというのが一旦ノーオーダーになっているんで、そこでニューオーダーというか、ファンタジーでもいいので、俺ら大人ですよ、おっさんくさいところもありますが、エッジなところもありますよということで、子どもと大人が住み分けられている状態にもう一度、建設し直さないといけない。そうしないと、この混沌を受け入れるか、あるいは20世紀的なものが壊れてしまったことを嘆き続けるか、しかないわけですよ。嘆きはじめたら止まらないですよ。ガキ臭くなってしょうがない。ツイッターのアイコンが美少女だから会ってみたら50歳のおっさんとかね(笑)。勘弁してくれよ、50は50とわかるようにアカウントのプロフィールを筆書きにしろよって(笑)。

SNSが発達して誰もが発言権がある状態で、誰もが個人情報は守りたいという状態になっちゃうと、あらゆるIDの分からない人の情報が飛び交う混沌状態ですよね。でもこれは我々が選択してしまったことですから、ネチズンのようにその混沌を歓迎する人々もいますし。でも、苦しいでしょうと思うんですよ。名前も知らない人に傷つけられる可能性があるわけですから。そうならないための新しいアイデアですね。みんなやり方が古い。岸田一郎の『MADURO』みたいなのも面白いですけどね(笑)。新しいことも古いことも分かった上で、なにかをやると。あの人って大人だよね、だからといって終わってないよね、という人がいないと、若い人にとってのモデルがないですからね。21世紀型の中〜壮年から老年にかけての生き方っていうのを、せざるを得ないというか。嘘やファンタジーでいいんですよ。それは意識しています。

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Photo by 谷川慶典
インタビュー 三木邦洋
※掲載されている情報は公開当時のものです。

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