ロングインタビュー:スクエアプッシャー 後編

新しいものと古いもの、音楽を続けること

ロングインタビュー:スクエアプッシャー 後編

ロングインタビュー:スクエアプッシャー前編| ロングインタビュー:スクエアプッシャー後編

ジャンルや新しい音楽と古い音楽との境界線といったものはすべて、人為的なものに思える


ー色彩的なイメージがあなたにアイデアを与えることはありますか?

ああ、あるね。うん……でも、それは双方向のプロセスでもあってね。だから、時に写真やイメージや色彩、抽象的な幾何学模様なんかから音楽のアイデアを受け取ることもあるし、その逆もありだと。だから、音楽によってイメージなり色彩が浮かぶこともあるんだよ。その意味で、双方向のプロセスって感じがするね。

ーイメージと音楽は内的に繫がっているってことですね。

そう。だから、そのふたつはコネクトしているし、でもその結びつきは理性的な分析を越えた深いレベルで行われているっていう。ってのも、「イメージ⇔音」の連想というのは自然にふっと起こるものだからね。まあ、ある音楽ピースからどんな色彩やイメージが生まれるのか、自分にそこまで保証はできないとはいえ、それでもその側面はぜひ探っていきたいと思っているし……僕の音楽をよく知ってる人、ファンならこれは気づいてると思うけど、僕はたまに作品のタイトルに色彩の名前をつけることがあってね。で、普通それをやる時というのは、その音楽が僕に特定の色彩(タイトルに使われた色の名前)を喚起させるものだからなんだよ。とは言っても、そうした音楽と色彩のシンクロが起きるのは偶然ってことが多くて、たとえば僕が「緑」を感じるような音楽を作ろうとしても、それを実現するのは楽じゃないっていう。そうではなくてこう、もっと自然発生的に浮かび上がってくる感覚なんだよね、音と色彩のコネクションっていうのは。

ーわかりました。最近はどんな音楽を聴いていますか?

あーんと、特に思い浮かばないなぁ。うーん、いや、本当に……(少し考え込む)うん、「これ」といって頭に浮かぶような作品はないんだよ、マジに。

ーでは、テレビや映画は見ますか?最近のあなたのお気に入りの番組や映画作品など。

ああ、最近観たものでひとつと言えば、チェコのアニメーター、ヤン・シュヴァンクマイエルの短編映画集があるね。

ずいぶん古い作品ですね。

うん。あれは、割りと最近自分が観て、エンジョイできて、かつ刺激を受けた。そう感じるような作品だったと思うよ。

ーなるほど。新しいリズムや新しいジャンルの音楽から刺激を受けたりすることはありますか?

いや、それも特にないね。だからさ、もちろん自分はなにも、今の世の中で起きてる色んな音楽、それを聴くのに反対の立場だってわけじゃないんだよ。ただ、僕がよく思うのは、なんであれ「新しい音楽」、あるいは「新しいジャンル」って風に命名されてパッケージされたものっていうのは……(ため息をつき、しばし言い淀む)僕からしてみると、ジャンル間の線引きや新しい音楽と古い音楽との間の境界線といったものはすべて、人為的なものに思える。「新しい音楽」とされているものが、実は非常に薄い皮を被っただけの昔の音楽の焼き直しに過ぎない、なんてことはしょっちゅうだしね。ジャンルとジャンルの違いにしたって、リズムに置かれた強調点のごくわずかな差異だけ、とかさ。で、音楽の基本ノウハウ、あるいはそれがどんな風に作られたかって観点から音楽を眺めてみると、僕からすれば差が足りない、いちジャンルとして他と区別するほどの大きな違いは正直感じられないっていう。

とにかく、それらの境界線っていうのは、純粋に音楽的な境界というよりももっと商業的な思惑だったり、あるいは社会的な利害関係に基づくもののように思える。だから、それって基本的には「彼はプロダクト(商品)です」と言ってるようなものだし、「彼は”新しい”プロダクトだから、好きになってオーケーですよ」ってことだよね。ところが、実はそうやって「これは新しい!」と言ってるのはマーケティングをやってる連中たちなんだし、実際にその音楽を骨子まで剥き出しにしてよくよく眺めてみれば、音楽的に「新しい」ところなんてなにひとつない。だから、これはもちろん、新しい音楽の中に面白いと思えるものが僕にはまったくない、そういう意味ではないんだよ。ただ、僕が感じるのは、自分のなかには探究してみたいアイデアが山ほどあるわけだし、ほかの人々の持ってる色んなアイデアに自分が影響されるようになる前に、まずはそっち、自前のアイデアを先に掘り下げていきたいっていう。だから、僕は集中力を削がれたくないんだ。自分自身のイマジネーションが豊かなうちに、できるだけ多くを作り出したい。

ーほかからインスピレーションを探すというよりも、自分自身の内部に目を向ける、と。

そうだね。それに、僕は別にほかのミュージシャンだったり、あるいはなにかのジャンルと連携を結ぼうって必要性も感じないし。そういう意味でほかの人々と同じひとつのグループに分類されたって、自分にとって得になることはひとつもないな、そう思う。で、たまに音楽シーンが無理にくっつけられることもあって、そこには「これらのシーンは共通の目的があるゆえにひとつになった」なんて感覚があるわけだけど、僕にはそうは思えなくて……僕からすればそれってただ、音楽シーンの選択肢をまたひとつ封じて、そのシーンの孕んでいた可能性を不法なものにするための別の言い方だろってふうに聞こえる。ってのも、シーンというのは得てして「そこで許容されないのは何か」によって自らを定義するものだけど、僕には無理だな。「これをやるのは、このシーンでは許されません」って観点から音楽を考えることなんてできないし、うん、僕は何もかも許される、何でもありってのを望むから。



人々がもっと批評的、かつ覚醒して意識的になる、その助けになればいいなと思う


ー昔の話になりますが、20年ほど前のインタビューであなたは、「自分のレコードが売り上げチャートに上がらないし、仮に俺の音楽がメインストリームよりも売れたとしてら、それはそれで自分の音楽が嫌になっちゃうんじゃないか」と語っていましたね。当時と今ではずいぶん環境が変わりました。あなたのレコードは、各国でチャートインしています。これについてはなにか違和感のようなものは感じていますか?

いいや、それはないな。でまあ、過去に自分がそういう発言をしたんだとしても、それは今の自分にとっては賛成しかねる意見だ、そう言わざるを得ない。ってのも僕からすれば、もしもあるレコードの売り上げが良くて商業的な成功作になったとしても、それがその作品のクオリティそのものを示唆する指針にはならない、という。クソみたいな駄作なのに売れるってこともあるんだし、古典的名作ってこともある。救いようのないひどい作品かもしれないし……うん、どんな作品だってありなんだよ。要するに、その作品のコマーシャル面での成功と作品そのものの質、その間に直接的な関連はないってこと。だから、考えてごらんよ。実に素晴らしい内容なのにほとんどの人間に気づかれないまま忘れられてしまった、なんてレコードはいくらでもあるだろ?それと同時に、基本的にはまったくのゴミ音楽なのに、ものすごい枚数を売ったレコードってのもいくらだって存在する。だから、僕にはレコードの売り上げとその作品の質との関連性、それが見えないんだよ。

でまあ、正直な話、どちらかと言えば人々にリーチしたいし、僕の作品を人々に聴いてもらいたいね。我々の周りで起きている様々なことに対して音楽は有用な評論を提供するものだ、僕はそう思っているし、と同時に自分の音楽が、人々がもっと批評的、かつ覚醒して意識的になる、その助けになればいいなとも思う。その作品の中で音楽的にどんなことが起きているか、その点に意識的になるってだけではなくで、もっと広い意味で、社会的にでも、あるいは政治的にってことでもいいんだけど、何が起きているかを意識してほしい、目を覚ましてほしいっていう。というわけで、自分がもっとレコードを売れれば売れるほどベターだっていうね。これは本当に。

ーはい。

それにさ、僕だってなんらかの方法で生計を立てていかなくちゃいけない、それは現実としてあるわけで。自分のレコードがまったく売れなかったら、僕は音楽をやることすらできなくなってしまう。単純な、それが現実なんだよ。うん、悲しいけど本当のことだし、そういう事態にならなければいいとは思うよ。ただ、今のこの時代、そして現行の経済システムにおいて、僕が作りたいと思う音楽を作るために僕に支援金を供与してくれるような、そんな政府や行政機関はどこにも存在しない。まったく残念な話だけどそういうものなんだ。だから僕はどうにかして稼がなくちゃいけないし、人々がもっと僕のレコードを聴いてくれれば、それだけ僕が音楽活動を維持していくことにも繫がる。僕は別に金儲けに執着しちゃいないけど、自分の音楽を聴く人が減るというよりも、その数がもっと増えるって考え方、僕にはそっちの方が好ましい。っていうのも、僕は自分のやっていることを信じているし、自分の音楽が発する声明には説得力があると思ってもいる。そういうステートメントだから、やっぱりできるだけ多くの人間に聴いてもらいたいんだよ。

ーなるほど。

その意味で「もっとレコードを売る」ことに違和感はないし、別に構わない。レコードが売れるというのは、イコール、僕が自分自身のミュージシャンとしての活動に資金を投入し続けられるって意味だから。

ーそうすれば自主性を守ることもできるでしょうしね。

うん、そうだね。それに、自主性があれば自分は音楽的にもっと大胆になれる、だから、音楽作りにおいてもっと一か八かの賭けに出られるわけだよ。まあ、僕は常に自分のやることの中で賭けをやってきたけども、毎回リスクを伴う賭けに出て失敗作ばかり作っていたら最終的に自分の首を締めることになる、活動を続けられなくなってしまう。だからレコードが売れるってのは良いことだ、と。

ーコマーシャル性とアートとしてのリスクのバランスをとろう、と。

っていうか、僕はこれまで売れ線の音楽を目指してレコードを作ったことは一度もないんだよ。商業面での成功を狙ってレコードを作るとか、あるいはその作品の中に意図的にコマーシャルな成功って要素を盛り込もうとする、そういうことはやったことがなくて。ただ、それでも自分の作品がある程度の成功を収めるとしたら、それは悪かろうはずがない、と。というのも、売れることでその後も活動を続けられるわけだからね。ほんと、そういうシンプルな話なんだよ。ただ、その一方でまた、自分が商業的にヒットするような作品を作ろうとすることはないだろう。ってのも、売れそうな要素をその作品の中にあらかじめ組み込む、そういうやり方が良い音楽の作り方だとは自分には思えなくてね。誰かがオーディエンスの求める要素を計算して作った音楽ってのは、自分の耳には「狙った」音楽だと響くし、僕はそういうサウンドを不快に感じる。僕には押し付けがましい音と響くし、かつ、作り手が人々やリスナーたちの反応を色々と憶測しているような音楽に聞こえる。僕はそういうことはしたくないし、だから、僕はリスナーに自主的に作品を評価してもらいたいんだ。聴き手はどう感じるだろうか?なんて、あれこれと推し測ったり仮定したくないんだよ。

ーなるほど。

だからほんと、それって「僕の音楽は聴き手に思考や反応を促すためのプラットフォーム/環境だ」、そういう概念に近いんだよね。だからなんだよ、僕が確信を持って作品を出せるのは。ってのも、自分の作品はそういうものだと信じているし、実際そういうものだから。

ー通訳:それはあなたにとっての音楽の果たす「役割」のひとつなのかもしれないですね。そうやって人々にもっとクリエイティブになり、自分の頭で考えることを促すっていう。もちろん、あなたが偉そうに人々に教えを垂れてるって意味ではないですけど。

ああ、だけど、もしも自分が人々に向けて教えていたとしたら、まず最初に彼らに言うのは「”自分が聴きたいのはなにか”を考えろ」ってことだろうね。リスナーや商業的なサクセス、マーケットのことだのは一切考えずに、とにかく自分のやりたいと思ったことを最大限の確信とともにやってみよう、それだと思う。ってのも、そうやってみた上で失敗したとしても、少なくとも自分のやりたいようにやったんだから、枕を高くして眠れるわけだよね?うん、実はそこが一番大事な点なのかもしれないな、良心ってこと。心にやましいところがない、少なくとも自分は間違ったことをやってないぞ、ということ。

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インタビュー 三木邦洋
※掲載されている情報は公開当時のものです。

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