インタビュー:浅草ジンタ

浅草から世界に向けて鳴り響くアジアン・スウィング&メロディー

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インタビュー:浅草ジンタ

“ASIANICAN HARD MARCHING BAND”を謳う6人組、浅草ジンタ。日本のトラディショナルなメロディーに軸足を置きながら、自由奔放に世界各地の音楽へとアプローチする彼らの新作『闇夜でダンス』が登場。ヨーロッパなど海外でも熱烈な支持を得ている彼らの過去と現在、未来について、リーダーのOshow(ヴォーカル&ダブル・ベース)に話を訊いた。

-- 生まれも浅草なんですか。

Oshow:いや、違います。流れ流れて浅草に。ここをホームに活動を始めたのが14年ぐらいです。

-- どうして浅草に?

Oshow:世田谷で生まれて東京都内を転々としてたんですけど、昔からパンクやロカビリー、それとマノ・ネグラみたいなワールド・ミクチャー系を聴いてたんですね。で、音楽をやろうと思ったとき、活動拠点を自分で決めようと思ったんです。そのときに選択肢が2つあって、それがニューヨークと浅草だった。当時の浅草には若くてオリジナリティーのある音がないと思ったんですよ。沖縄や京都にはそういう音はあったけど、浅草にはなかった。それでここでやってみよう、と。

-- 浅草の大衆文化に対する興味があった?

Oshow:ここには先人がいますよね。芸能文化にしてもそうだし、モノ作りの職人にしても。オレが全然頭が上がらないような先輩たちがいることは分かっていたので、音楽をやるんであればそういうところでやりたかった。あと、一時期、彫金の職人もやってたんですよ。それで町の“濃さ”は実感してたんですね。それと、僕は15の頃から絵を描いていたんだけど、例えば日本画だと光と影がないんですよ。洋画は立体的で空間的。日本の絵というのはひとつ足りないものがあって、だからこそ出てくるものがある。例えば花鳥画だったら鳥の羽の質感だったりとか、光と影よりも質感や匂いなど感じるものがあれば見えてくるというか、足りないものに対して出てくるものがあると。そういう絵でも自分の文化に対する誇りを持とうという気持ちがガキの頃からあったんですね。それはたぶん音に繋がっている。

-- なるほど。

Oshow:それと、アメリカに遊びに行ったときにきっかけになったことがあったんですよ。僕はロカビリーとかやってたから、メンフィスにロカビリーの格好をして遊びに行ったんです。でも、そこで強盗に遭って。「オー、ロカビリー・ボーイ!」とか馬鹿にされて鼻の骨を折って…(笑)。大変な目にあったんだけど、帰ってきたら“絶対英語やらねぇ”って感じになってた(笑)。そういう感覚は、根本にあったんですよ。ま、日本人だったら背が低いとか、絵だったら光が足りないとか、そういうものに対して“足りないものこそ個性だよね”っていう思いがあって。メンフィスでボコボコにされて、筆を置いて音楽をやろうって決めたときに“命賭けてやるんだったら自分の気持ちを世界に向けてしっかり言う”っていうスタンスがあったんです。

-- それで浅草を拠点に活動を始めるわけですが、浅草みたいに歴史のある町にやってきて何かをやろうとしたとき、難しさを感じたことはなかったんですか。

Oshow:まぁ、“だからこそ”というのはあったんですけど。例えばニューヨークで日本人を叫ぶより、浅草みたいな日本のど真ん中みたいなところで日本人を叫ぶのはもっとやりがいのあることだし、地元の人に応援される形になったときは、自分のなかでの本当のワールドミュージックになっているんじゃないかっていう気持ちがあったんです。そういうひとつの山、登るべき山じゃないかと。

-- 浅草ジンタとして活動を始めたのは2004年から?

Oshow:そうですね、それくらいだと思う。

-- 結成はどういうきっかけからだったんですか。

Oshow:もともと百怪ノ行列っていう名前でやってたんですけど、三遊亭小遊三師匠から“浅草ジンタ”という名前をいただいて。10数年前浅草にホームを置いて以来、ずっと同じ活動をしているっていう感覚です。僕としては(バンドが)変わったっていう意識はないんですよ。

-- “ジンタ”っていうのは明治時代からある楽団の形態のことですが、浅草ジンタの音楽にはクレズマーやジプシー音楽の要素も入ってますよね。そもそもOshowさんのなかではどんな音楽的イメージがあったんですか。

Oshow:自分の感じる日本音階と、例えばクレズマーの音階にも共通のものを感じていて、そこを足し引きをすれば同じ軸が見えたりする。だから僕としては何もかもやっているわけじゃなくて、核になるものがある。日本人ならではのブルース感というかスウィング感、シャッフル感、それと日本人なりのメロディー。そこと共通するものしかやっていないです。 *クレズマー/東欧系ユダヤの音楽で、アップテンポのリズムが特徴のひとつ。

-- 確かにクレズマーって日本の音楽との共通性を感じさせますよね。どこか懐かしさを憶えるようなメロディーがあって。

Oshow:日本人って結構ジプシー音楽とか好きじゃないですか。たぶん無意識のうちに感じてるものがあるんだと思う。レゲエにしたって演歌ですよね。そういうものはいっぱいあるんじゃないかな。

-- クレズマーとかヨーロッパの音楽は昔から聴いてたんですか。

Oshow:そうですね、いろいろ聴いてました。僕がやっていたものは、世間的にはサイコビリーと捉えられていたのですが、要はサイコビリーってミクスチャーのハシリだと思うんですよ。レコード屋に行くと、サイコビリーにしてもマノ・ネグラやフィッシュボーン、ブードゥー・グロウ・スカルズみたいなスカコアとか、すべて“ミクスチャー”の棚に入ってたじゃないですか。サイコビリーのなかにもウエスタンと混ざったものもあったし、アニメキャラとフュージョンしたものもあったし。いろんなフュージョンがその時代にあった。僕もミクスチャー世代だと思うし、そのころから普通にワールドを聴く環境にあったんじゃないかな。

-- で、さっきおっしゃってたような“ミクスチャー的なものが入り込んだ浅草発の音楽”というものを言葉にすると、浅草ジンタが以前から唱え続けている“エジャニカ”というテーマになるわけですよね。“エジャニカ”というのはいつぐらいから言い始めるようになったんですか。

Oshow:(浅草ジンタの前身である)デスマーチ艦隊のころ、ワールド・フュージョンを念頭にコンピをプロデュースしたんですよ。アジアン・ツーステップのイメージだったんですけど、そのタイトルを『ASIANICA』って付けて。そのとき、みんなで考えた言葉だったんですよ。“エイジア”と“ええじゃないか”をくっ付けて、それを今まで背負ってきた感じなんですよ。

-- じゃあ、この言葉とも長いつきあいですね。

Oshow:そのときノリでできた言葉ではあるんですけどね。感覚としてはアジアン・ツーステップ。でも、それだと説明がつかないから“アジアン・スウィング”って言ってもいいんですけどね。スウィング・ジャズのほうじゃなくて、スウィング・ビートの“スウィング”。

-- 日本的なスウィング感?

Oshow:そうですね。有色人種は気合いが入るとアフタービートになることが多いと思うんですよ。日本の場合、太平洋側は“テンテテンテテンテテンテテンテ”で、日本海側は“ザッザカザッザ、ザッザ”。内陸になると、稲を植える動作がビートになるそうなんですよ。三味線も普通に弾いただけでアフタービートになるじゃないですか。その感じとか沖縄のビートの感じとか、僕のなかでリンクしてて、そういうアフタービートが僕らにとって沁みるビートなんだと思う。それをジャパニーズ・スウィングって言ってるんですよ。

-- 音頭もののタメの効いたビートってニューオーリンズ・ファンクにも似てますよね。

Oshow:そうなんですよ。そこで自分と感覚が似てるなって思ったのが、アリ・ハッサン(・クバーン)。あの人のミクスチャー具合ってすごく共感できる。キューバと別のあたりが混ざってるし、俺が聴くと演歌にしか聴こえない。 *アリ・ハッサン・クバーン/エジプトのヌビア人アーティスト。ジェイムス・ブラウンとキューバ音楽からの影響を公言していた。

-- エチオピアの音楽なんかも演歌にしか聴こえないですよね。

Oshow:あのへんもいろいろ混ざってますよね。いや、混ざってないのかもしれないですけど、僕らにはいろんなものが混ざって聴こえる。

-- 浅草ジンタの音楽もジプシーとかクレズマーとかいろいろ入ってますけど、“パンクとスカを混ぜたらこうなりました”みたいな化学合成的なミクスチャーではなく、もっと自然なんですよね。だからこそ、聴いていてすごくしっくりくるんです。

Oshow:“こうなっちゃった”みたいなものでありたいですね。イ・パクサにしても本人はテクノなダンスビートとして作ってるはずが、”気づいたらこうなっちゃった”みたいな(笑)あの愛する感じというか、“なっちゃった感”は持っていたいですね。僕らにしても軸となるものがある以上、二度とブレることもないので、どうやっても出ちゃうものがある。それがジャパニーズ・スウィングであり、アジアン・スウィング&メロディーなのかもしれないですね。 *イ・パクサ/韓国のテクノ歌謡、ポンチャックの歌手。

-- ウェブサイトを拝見していて興味深かったのは、“ローカルとグローバルな指針の始動”っていう言葉が書いてあったことなんですよ。この言葉をもう少し説明していただけますか。

Oshow:分かりやすくいうと、“その土地でできた酒を世界で売る”“世界に流通させる”っていうことですね。地元の人が作ったもの・応援するもの・認めたものが世界的に広まっていくと、いろいろな影響があると思うんですよ。その意味で、僕らもひとつの地酒みたいなものになろうと。

-- それこそ浅草の地酒みたいに。

Oshow:そうですね。それが活動の根本にあります。

-- ローカルとグローバルという意味では、世界各地でさまざまな動きが出てきてますよね。南米なら南米で、アフリカならばアフリカで、ヒップホップやハウスなんかを聴いて育った世代が自分の足下を見つめ直して新しいことをやろうとしている。それが浅草ならば浅草ジンタなんだと思うんですよ。今回のアルバムにしても、世界的なウネリとリンクした内容だと思いますし。

Oshow:ホントにそうです。シンプルにそうなんですよ。僕はバングラビートがガーッときたとき、そういう流れが世界規模になった気がするんですよ。あとはバルカン・ビートボックスとかファンファーレ・チョカリーア、ノー・スモーキング・オーケストラがドーンときて。

-- そういうバンド群って、90年代だったらワールド・ミュージックの枠組みのなかでしか語られなかったと思うんですけど、今はもっとアクセスできる回路が増えてる。今回の『闇夜でダンス』にしても大きな広がりのなかで捉えるべき作品ですよね。今回はどんな感じで作ろうと思われたんですか。

Oshow:去年の暮れぐらいからテーマになってた言葉があって、それが“音極まって感極まる”。以前は“楽しければいい”っていう思いがベースにあったんですけど、今回はそれだけじゃなく、もう少し広がりを持った思いがあって。…もう半端なことはやりたくないな、と。あと、“どんなメッセージも明解に言うんだ”って思いがありましたね。“譲らねえ”みたいな。

-- レコーディング自体は震災前からやってたんですか。

Oshow:いや、震災後です。

-- 震災の影響はあったんですか。

Oshow:ありましたね。僕自身、自分の音楽に対する見方が変わった。今までやってきたもので震災後もそのまま使えるものもあったし、逆に言うと、自分の作ってきたものがリアルに見えてきて、不思議と過去も肯定できるようになったんです。で、震災後みんな落ち込んでるから明るい言葉を歌おうとも思ったんですけど、今必要なのは“もっと強くあれ”っていうことだなと思って。言いたいことはハッキリ言う。バカヤロウはバカヤロウと言う、そういうものが必要なんじゃないかって。例えば“闇夜でダンス”っていう言葉があるんですけど、もともとは“闇の中でも踊っていこう”っていうテーマだったんですけど、今のニュアンスとしては“この闇夜が明けるまでダンスし続けよう”。それが震災後の影響と言えるかもしれませんね。

-- 音楽的にはどうですか。メンバーそれぞれのバックボーンの違いが今回も滲み出しているような気がするんですけど。

Oshow:そうですね、みんな勝手に飛び出していきましたね。数人アニマル・タレントみたいなのがいますんで(笑)、“これをやれ”と言ったところでまったく聞かないし、そういうバンドなんですよ。

-- じゃ、そのアニマルっぷり(笑)をどう引き出すか、そこがOshowさんの役割でもあるんですね。

Oshow:俺のなかではメンバーのアニマルっぷりもだいぶいい感じになってきてますね。そういう意味では、このバンドの個性は死なないな、と思えるようになってきた。何をやっても浅草ジンタに聴こえるっていう自信がある。ま、アニメの世界みたいにそれぞれの個性は強いんだけど、なんとかうまくまとまっちゃう、そういう感じがバンドとしての理想ですね。

-- メンバー自体がミクスチャーというか。

Oshow:あ、そうです(笑)。混ざってるかわかんないけど(笑)。

-- 今回、レコーディングってどうやって進めていったんですか。録り音がすごく生々しくて、一個一個の音が粒立ってますよね。

Oshow:そうですね。エンジニアさんなんかがそう録ってくれたのが大きいでしょうね。あと、これまで基本的にはドンカマを使わないバンドだったんですけど、今回はやりたいこともあったんであえてドンカマをかませたんですよ。逆にそれで生感が出たっていうのも不思議とありましたね。 *ドンカマ/ドンカマチックというリズムボックス。リズム録りの際、ガイドとして使われることが多い。

-- ドンカマを使ったのはどうしてなんですか。

Oshow:ま、今後リミックスを作ってみたいという思いもあって。僕自身、限定された日本のロック・シーンのなかだけでやっていても限界はある気がしていて。例えばレコード店で“日本のロック”のコーナーに置かれても…一度、落語の棚に入ってたこともあるんですけどね(笑)。とにかく、店員さんもどこの棚に入れるべきか困ってたみたいなんですよ。それだったら、フュージョン(融合)が進んでる世界にも目を向けてやっていくべきだろうし。

-- 実際、これまでにも勢力的に海外でライヴをやってきてますけど、そのなかで一番おもしろかったのはどこですか。

Oshow:オランダですかね。アムス(テルダム)なんかは未知な感じでした、僕にとって。向こうの人は耳が厳しいらしくて。スウェーデンも似た感じですね。そこで思ってもみなかった評価と反応をもらえて、おもしろかった。スウェーデンのフェスに出たときも、5000人くらいの客が来てすごい盛り上がったんですよ。でも、ライヴが終わってもどこにもTシャツやCDが売ってないし、僕らはすぐ行方不明になると(笑)。とにかく、そういう場でやれて自信になりました。





インタビュー 大石始
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