インタビュー:二階堂和美

世代を超えて滲む、懐かしくて新しいメロディー

インタビュー:二階堂和美

その天真爛漫な歌声で国内外に多くのファンを持つシンガー、二階堂和美。2004年には東京から故郷の広島へと戻り、勢力的な活動を展開してきた彼女のニューアルバム『にじみ』が到着した。どこか懐かしくて人懐っこいメロディーとメッセージには、すでに各所から絶賛の声が。早くも2011年ベストアルバムの声も上がっているそのニューアルバムについて、本人に話を訊いた。

--2009年の11月、原子力発電所の建設計画で揺れる山口県の祝島でライブをやってらっしゃいますよね(www.youtube.com/watch?v=d-Xrq2CkCUg)。その映像を観て、めちゃくちゃ感動したんですよ。

二階堂和美:あれは目から鱗が落ちた感じがありましたね。同じ年の4月に私の住んでる地元のおばちゃんたちの企画で無料イベントをやったことがあったんですけど、そのとき今までにないぐらい感動しちゃって、アンコールで涙が止まらなくなってしまった。半分ぐらい懐メロだったんですけど、60代前後のお客さんがとても喜んでくれて、そういうことができたことが嬉しかったんですね。それで、8月の納涼祭でも歌ってくれって言われて。そのときはさらに小学生から90代のおばあちゃんまで…そういう世代の方々を楽しませることができるんだという自信を持てたんです。そんな布石があってのあの祝島ライブなんです。テレビを観ていたら祝島のおばちゃんが、(原発の)“反対派と推進派同士で小さな町が険悪になって、お祭りとかもやれなくなって、楽しみってもんがなくなってしまった”と話していて。私はなにができるんだろう?と思ったとき、それまでの2回のイベントの手応えがあったから、私の歌でも少しくらいの気晴らしにはなるかも!とある程度自信を持って祝島に行ったんですけど…それをあきらかに越えた技が向こうにはあったんです(笑)。流石にあんなにフリースタイルで絡んでこられるとは思わなかったから(笑)。

--すごいですよね、おばあちゃんたちがトランス状態になってますから(笑)。

二階堂和美:自分たちが信じているもののために生きてきた人たちのパワーであるとか、シンプルな生活を続けてきた人たちの底力を感じましたね。そのときも懐メロ中心だったんですけど、前奏をやっただけでみんな歌い出すんですよ(笑)。昔の曲の強さも再確認しましたね。

--2008年にはカバーアルバム『ニカセトラ』をリリースされていましたが、オリジナルとカバーを歌うときの意識の違いはあるんですか?

二階堂和美:昔はありましたね。以前はオリジナルを歌うにしても自分の歌詞に自信がなかったんですよ。朗々と歌うことにも抵抗感がありましたし。で、“愛の賛歌”(原曲はエディット・ピアフ)を歌うようになったあたりからカバーをやりはじめたんですけど、人の曲なのをいいことにウワーッと歌うようになって(笑)。カバーは歌うことに集中できるというか、人の曲だからこそ成りきれちゃうんですね。メロディーと歌詞に集中できる。そういう歌い方に慣れてきたことと、自分がラジオをやることで話し慣れたことで、自分の歌詞を書けるんじゃないかと思えるようになってきたんです。お客さんも“フリーキーなだけじゃない二階堂和美”に慣れてきてくれた感じもあって(笑)。それで、カバーの間に少しずつオリジナルを投入できるようになっていった。オリジナルを歌うときも、カバーのときの姿勢と雰囲気で臨めるようになったのかな。

--オリジナルとカバーの差がなくなってきた?

二階堂和美:そうかもしれないですね。“カバーのようなオリジナル”でいいと思ったんです。どこかで聴いたことのある感じというか。

--それって、世代を超えて響く、いわば普遍性のある歌とも言い換えられますよね。

二階堂和美:そういう解釈をしてもらえると嬉しいんですけど(笑)、ある意味では使い古された歌とも言えるのかもしれないですね。

--昔はそういう“使い古された歌”を歌うことに抵抗感があったんですか。

二階堂和美:うーん、ていうより、そこへの近づき方がわかっていなかった。一時期はUSインディーからの影響が強かったから、そのなかで“あれっぽいモノ”を歌っても一般的には何ぽくもなかったというか(笑)。今回のバックグラウンドにある歌って、NHKの歌謡ショウのようなものなんですよ。で、カバーをやるなかで“メロディーはいいけど歌詞がちょっと…”みたいなこともよくあって、自分なりの基準ができてきて、その基準に照らし合わせてオリジナルも書けるようになってきたんでしょうね。

--カバーの場合、必ずしもリアルタイムで聴いてきた曲ばかりでもない?

二階堂和美:そうですね。カバー集を作ったときも、昔から聴いてた曲はそんなに入ってないです。ま、“話しかけたかった”(南野陽子)はリアルタイムで聴いてたものですけど(笑)。子供のころから聴き親しんできたものじゃないからこそ歌える、ということはあると思います。聖子ちゃんの歌なんかだと、つい(聖子ちゃんの)真似をしたくなっちゃうから(笑)。あと、一時期ライブで何を歌っていいのか、分からなくなっていたんですよ。昔作った曲もピンとこなくなってきてて、しょうがないからカバーを探してた感じで。

--それはどうして?

二階堂和美:なんでなんでしょうね?実家に帰ったことも大きかったと思うんですけど、ライブに出向くこと自体が億劫になってきちゃって(笑)。なんで私を誘ってくれるんだろう?みんな何を求めてくるんだろう?とか思うようになって…“みんなイベントになんて来ないで家族と食事してたほうがいいのに”とか思ってましたから(笑)。でも、せっかく貴重な時間を割いてもらうのならば、みんなに喜んでもらいたいという気持ちがどんどん強くなってきたんですね。それに高い年齢層の前で歌うことも増えてきて、昔やってたセットリストが合わなくなってきちゃったんです。なんか抽象的な感じがして。私、もっとストレートな言葉を歌いたい──そういう気持ちが強くなってきたんですよ。

--歌うという行為自体をシンプルに捉えるようになってきたのかもしれませんね。

二階堂和美:そうですね。祝島で歌ったときにもそれを感じました。あの人たちがあれだけ湧いていたのは、若いころにそれらの曲を新曲として楽しんでいたからだと思うんですよ。だから、今の私たちが昔の曲ばかりを楽しむのは怠けてる気がする(笑)。たとえ昔の焼き直しだとしても、新しい曲を出す必要があると思うんですね。そういうちっちゃな使命感はあります(笑)。そういうなかで、聞き手の方からさまざまなリアクションをいただいたり、あるいはお客さんが段々増えてきてくれたことで、責任感のようなものが生まれてきた。そんな状況なのに借り物の歌を歌うことに違和感が出てきて。拙くてもいいから、自分の言葉を歌わないと──そう思うようになってきたんです。だんだん開けっぴろげになってきた(笑)。

--新作『にじみ』の曲は最近書いたものが多いんですか。

二階堂和美:そうですね。ほとんど去年書いたものです。

--ということは、歌に対する意識が核心に変わってからの曲がほとんどというわけですね。

二階堂和美:ただ、私はユーミンや松本隆さん、阿久悠さんのように気の効いた言葉を書ける作詞家じゃないので(笑)、気持ちを歌ってるだけなんですけどね。そういう意味では素人だと思うんですけど、“それでいいっか”と(笑)。そういう意味もあって等身大のアルバムだと思います。

--等身大の自分を“それでいいっか”と肯定できるようになってきた、と。

二階堂和美:そうそう(笑)。最近、ホントそういう感じなんですよ。昔はプライドもあったし、理想像みたいなものもあったんですけど、今は“ま、いいっか”と流せるようになってきた。

--ま、祝島のおばあちゃんたちの前で歌ってたら自然とそうなりますよね(笑)。

二階堂和美:ホントそう(笑)。あの映像を後から見返していても、“私、もう少し上手く歌えるはずなんだけどな”と思っちゃって(笑)。ただ、それを越える何かがあそこにはあるから、“ま、いいっか”なんです(笑)。

--レコーディング自体は震災前に行われたそうですが。震災後、音楽に対する意識が変わった部分もあります?

二階堂和美:アルバムを出すことも一瞬躊躇したんですけど…この作品の内容に疑問があったわけじゃなくて、それどころじゃないんじゃないかと思って。でもね…私は今、お寺で暮らしてるんですけど、そこで90歳を過ぎたおばあちゃんと生活していることもこのアルバムには影響してるんです。いつも死というものを身近に感じながら生きているし、曲を作るときも、自分では全曲が仏法の法話になってるぐらいのつもりで書いてるんですよ。私自身、それまでよく分かっていなかった仏教の考えに救われることも多くて、“死を意識することによって希望を持って今を生きる”と考えられるようになった。歌によってそれを伝えられるようになれば、法話を説いて歩くことと案外近いんじゃないかと思うんです。そう言葉にしちゃうとアレなんだけど、泣いたり笑ったり怒ったりするような人生の悲哀を受け入れながら生きていけるようになれば…。

--それは単に“がんばろうぜ”“ひとりじゃないよ”という短絡的なメッセージとは違いますよね。そんな単純なものじゃないだろうっていう。

二階堂和美:そうなんですよ。私自身、“がんばろうぜ”と言われると腹が立つほうなんで(笑)。おばあちゃんがいじけてるとき、“そんなこと言わないで、がんばって”と言ってもダメなんですよ。“そうだよね、おばあちゃんも辛いよね”って寄り添ってあげたほうが気が済むみたいで。ヘルパーさんにそう教えていただいたことがあるんですよ。今回の場合、そうやって人間に接するときの感情をそのまま歌にした感じなんですよね。自分自身、家族と暮らしていて、どうにもならないなと思うことも多くて。だから、自分を勇気づけたかったんでしょうね。そう、基本的に自分のための曲なんですよ(笑)。それが他の人の役にも立てばいいなと思って。

--じゃあ、震災後にレコーディングしていてもアルバムの内容はそんなに変わらなかったのかもしれませんね。

二階堂和美:そうですね。変えたのはアルバムタイトルだけ。もともとは…『18番(オハコ)』だったんですよ。私にとっての決定打という意味合いと、浄土真宗でいうところの十八願をかけて。でも、改めて曲を聴き直してみたら、もっと引いたものがいいんじゃないかと思って。もっと生命力に満ちたタイトルも考えたんですよ。でも、それも違う気がして…そんなとき “にじみ出る”という言葉を目にして、“あっ、これだ!”と。私のなかからにじみ出たものでもあるし、生活のなかから押さえても押さえても出てきちゃうものだし、メンバーやスタッフ、私の音楽を聴いてくれてた人たちからいろいろにじんでできたものだという意識もあるし、これから聴いてくださる方にもジワッとにじんでいってほしいし。それで『にじみ』というタイトルにしたんです。シミみたいに、じんわり残ってくれたら嬉しいですね(笑)。




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インタビュー 大石始
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