久保田麻琴、世界に通底する音楽

「“日本はダサイんだ”っていう意識がふっ飛んじゃった」

久保田麻琴、世界に通底する音楽

撮影:Akira Kasuga

1970年代からミュージシャン/プロデューサーとして数多くの歴史的作品を残してきたほか、世界中を旅しながら現地の知られざる音楽を紹介してきた久保田麻琴。2007年から09年にかけて宮古島での神歌と古謡を録音、Blue Asia名義の『Sketches Of Myahk』など数枚の作品にまとめた彼の最新作が『ぞめき壱 高円寺阿波おどり』。1957年に第1回が行われ、現在まで東京の夏の風物詩として多くの観客を集めてきた高円寺阿波おどりの連(打楽器隊などで構成されるグループ)の演奏を収めた異色作だ。高円寺および本場・徳島の阿波おどりの魅力について、たっぷりと語ってもらった。

高円寺の阿波おどりには昨年はじめて行かれたんですよね。

久保田麻琴:そう。だから、まだ新参者だよ。90年代に水前寺清子のMCチータっていうのをプロデュースしたことがあるんだけど、それは水前寺さんと徳島の阿波おどりのコラボレーションっていう企画で、そのとき徳島から技術指導に来られた方もいた。でも、そのときはピンとこなくてさ、昨年まで縁のないまま。それが去年見たらビックリしちゃって。

昨年突然行こうと思われたきっかけがあったんですか。

久保田麻琴:それはやっぱり宮古だね。なぜ宮古だったかというと、熊野の山のなかで感じたことがあったんだよ。僕みたいな団塊の世代というのは左翼よりだったりロックかぶれだったりして、日本のことはあまり知らない。要するにちょっとスネたところがあると思うんだよね。われわれは日本書紀以降の、もしくは大化の改新の以降の日本しか学校では習ってないわけ。でも、その前から“日本”というアイデンティティはあったはずで、歴史が消されているからわれわれは古代を知らない。結局、それ以前と以降で歴史が途切れてるんだね。その前の時代を遡ることができれば、われわれ日本人は自分たちを、そして歴史や文化も愛することができるはずなんだよ。そういうことを、熊野の山のなかでインスピレーションとして得たんだよね。

熊野の山道で具体的に何かを見た、ということではなくて?

久保田麻琴:……いわゆる幻視するということかな。ま、インスピレーションだよ。私のなにかを変えるようなインスピレーション。そして、それは宮古に繋がるわけ。宮古にしても、何を探すべきかわかってなかったんだけど、行ってみたら、沖縄民謡の流れとはまた違う膨大なヘリテイジがあることがわかった。

熊野~宮古と日本の古層を掘り下げていくなかで、阿波おどりに辿り着いたのはどうしてだったんでしょうか。

久保田麻琴:宮古に行って、あるところに行けば古層があることが分かったわけだよね。そうすると、今までのような“日本はダサイんだ”っていう意識がふっ飛んじゃった。心が開くと、いろんなものが入ってくるようになるんだな。これまでは高円寺の阿波おどりと聞いても“ダサそう”と思ってたんだけどね(笑)。(ブラジルの)レシーフェや(モロッコの)エッサウィラまで行ってるのにさ、高円寺まで行こうと思ってなかったの。でも、心が開いたことで“1回行ってみよう”と思ったんだよね。

で、行ってみたら……。

久保田麻琴:東京天水連が爆音でやっててさ、“こんなバカデカい生音聴いたことないぞ”って感じで、その壮絶さにジーンときちゃった。確かに今の日本にはかつてのような重税もないし、自分の娘をお上に捧げることはないかもしれないけど、あれだけの爆音を叩き出さないといけない何かがあるんだよ。もともと徳島にもそれはあったんだろうし。

高円寺の阿波おどりをご覧になったときに“すぐレコーディングしたい”と思ったんですか。

久保田麻琴:東京天水連を観たときにさ、“これはちゃんと録っておきたいな”と思った。阿波おどりマニアにしか知られていない世界じゃない?来場者100万人とか言うけどさ、東京の人口を考えたらごく一部なわけで。

レコーディングする際には苦労もあったんじゃないですか。

久保田麻琴:そりゃそうだよ。だって、今まで和太鼓のCDで感動したことがなかったんだから。自分が作れる保証なんてないでしょ。まったく自信ないよね(笑)。インドのタブラもそうだけど、民族楽器を録るのは難しいんですよ。ワールドミュージックがうまくいかない理由はそこにもある。録音が難しいんだよね。

このアルバムも低音域の迫力は意識してたわけですね。

久保田麻琴:もちろん。阿波おどりの何を捉えたいかっていうと、身体を揺さぶるような震え、響きを捉えたいわけだ。録音に関していえば、自分が感じた震えをどう再構築していくか、そこだけだね。今回は予算がなかったからほどほどの機材で録ってるし、100パーセント満足してるわけじゃないけど、古いマイクを使ったりしながら、通常の邦楽の録音方法とは違うやり方で録ってる。言っちゃえば、邦楽よりもマッシヴ・アタックのほうに近い録音方法だと思うよ。

録音はどこで行ったんですか?

久保田麻琴:高円寺にある阿波おどりホールというリハーサルスペースが場所を提供してくれた。エイジングがやや足りない響きで、嫌がってる連もあったけど、録音してみたら悪くなかった。ただ、天水連だけは“音が響きすぎる”ってそこで録るのを嫌がってね。それで自分たちが使ってる体育館があって、天水だけはそこで録った。やってる本人たちはそこのほうがやりやすいらしくてね。今は徳島で録るためのプランニングをしてるんだけど、四国大学がホールを貸してくれると言ってくれてるんで、そこにはそれなりの機材を持ち込もうと思って

連ごとにリズムの種類も違うんですよね?

久保田麻琴:そうそう。阿波おどりといっても一拍子と二拍子があるんだよ。二拍子っていうのは、三味線や笛が入ってるような、いわゆる邦楽的なもの。ところが、一拍子のものは徳島の苔作っていうチームから始まったもので、戦後始まったスタイル。ブラジルでいえばマラカトゥに近いし、(モロッコの)グナワや(インドの)バングラにも近いかも。いわゆる民謡チックな感じじゃなくてね。

その苔作っていう連は…。

久保田麻琴:彼らは“連”って呼ばれることも嫌うんだよ。

じゃあ、連じゃなくてなんと呼ぶんですか?

久保田麻琴:苔作は苔作(笑)。

なるほど(笑)。じゃあ、どうして苔作からその一拍子のリズムが生まれてきたんでしょうね。

久保田麻琴:それに関してはわからないことも多いし、その一拍子を始めた人に早くインタビューしたいんだけどね。今回のアルバムの“ぞめき”っていう文字は真言宗の和尚さんに書いてもらったの。彼は世田谷の人間だし、40歳ぐらいでまだ若いんだけど、一拍子を聴かせると「お経を感じる」って言うんだよ。だから、もしかしたらそこには密教の影響があるのかもしれないし、DNAに刻まれた何らかの記憶がああいう形で出てきたのかもしれない。二拍子の伝統的なものはお座敷のなかから生まれてきた芸能事なんだけど、苔作の一拍子とはちょっと違うところから出てきてるんだろうね。

僕も今年はじめて高円寺の阿波おどりに行ったんですけど、いろんな国の音楽に聴こえたんですよ。それこそブラジルだとかインドの音楽みたいに。

久保田麻琴:それは世界に通底してるっていうことなんだろうね。ただね、二拍子もすごいんだよ。音楽的なコクと深みは二拍子のほうがあるかもしれない。ニューオーリンズのファンクにも通じるんだよね。音量は小さいけど、深みがある。また、四国の連が叩きだす二拍子が遅いんだよ。ドッドンカドッカカッカ……(と歌う)本当にすごいよ。世界の他の音楽との通底具合もハンパじゃない。だからね、そういうものに触れることで“日本人も捨てたもんじゃないな”と思うきっかけになったらいいと思う。

連によって音の大きさも違いますよね。

久保田麻琴:そうだね。天水は他の連の倍ぐらい音が大きいわけ(笑)。でも、二拍子の連は音の隙間が深くてね。徳島の連はすごいよ。一回録ってみたんだけど、なによりも町の鳴りが違う。2キロ四方に太鼓がいくつあるのかっていう世界だから。それと、高円寺とは違って、普段から長い時間叩いてるからね。夏の一時期だけじゃなくて1年中叩いてる感じ。それに子供のときから太鼓が身近にあるわけだからね。とにかく、あんな場所があるなんて知らなかったよ。行ってみたら(ブラジルの)レシーフェに似ててね、またブラジルに行きたくなったよ(注:彼は過去何度となくレシーフェを訪れ、現地の打楽器隊/音楽家たちのレコーディングを行っている)。

徳島とレシーフェはどういうところが似てるんですか?

久保田麻琴:まず町の作りが似てる。商人の町で、河があって運河がある。かたやイベリア半島から渡ってきた人々が作った町で、阿波は遠いところからやってきた忌部氏のエリアなんだよ。ある意味レシーフェが異国的なのといっしょで、徳島の町もすごく異国的だよ。異国と土着がいい混じり方してる。

徳島と高円寺の違いは大きいですか。

久保田麻琴:私がよく言ってるのは、レゲエで例えるならば高円寺と徳島はUKとジャマイカのようなものだ、ということでね。つまり、UKレゲエと本場ジャマイカのレゲエとの違いというか。でも、実際はそれ以上かもしれない。やっぱり50年と5世紀という歴史の違いがあるわけだからね。もちろん高円寺もすごいよ、50年であそこまでいったんだから。UKのレゲエもジャマイカのレゲエどちらもいいように両方素晴らしいんだけど、違うんですね。

徳島の阿波おどりにも行ってみたいですね。

久保田麻琴:それはね、レシーフェに行くのが一番いい。すべての音楽人はレシーフェのカーニバルに集合しないといけないんだよ。それは、70年代前後のニューオーリンズに行かなくてはいけなかったように、67年のサンフランシスコに行かなくてはいけなかったように、80年代半ばのキングストンに行かなくてはいけなかったように。それと同じ意味で、2000年代のレシーフェには行かないといけないんだ。もしかしたらもう遅いかもしれない。私も4年行ってないしね。ただ、レシーフェまで行けないんだったら、せめて徳島だけは行ったほうがいい。グルーブ、周波数に興味のある音楽人は、きっと目の覚めるような経験をできると思うよ。

なるほど。

久保田麻琴:高円寺の阿波おどりは商店街のために始めたものだよね。とはいえ、徳島に行ってそのリズムを習っているうちにさ、行為そのものの意味を頭じゃなくて身体でわかっちゃったんだな。だから、みんなやめられなくなるんだよ。頭でっかちで入るんじゃなくて、身体が理解していく。すごく自然で人間的だと思うよ。

阿波おどりのリズムによって、自分のなかに眠ってるDNAが呼び覚まされていくわけですよね、たとえ最初は商店街を盛り上げるためのものだったとしても。

久保田麻琴:そう。阿波おどりを含むリズムと人間の関係だよね。今回の場合はそれが阿波おどりで、重要なのはそれを育んだ阿波の土地と阿波人だった。自分たちのことを大切にする、独立した心を持った人たちだったんだな。徳島にはなにか特別なものがあるんじゃないかな。他の土地にこういう音楽があるのか、まだ私はよくわからないけど。

それゆえに日本の古層のリズムを今後も探し続けていく、と?

久保田麻琴:うん、まだわからないけどね、縁があれば。でも、今は心が開いてるから、いろんな祭りを観てみたいと思ってるよ。


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テキスト 大石始
※掲載されている情報は公開当時のものです。

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