モンスター現る、映画“バンクシー”

NYは5つ星、『イグジット・スルー・ザ・ギフトショップ』クロスレビュー

モンスター現る、映画“バンクシー”

c. 2010 Paranoid Pictures Film Company All Rights Reserved.

タイムアウトロンドンレビュー

バンクシーの“名声”は少しばかり変わっている。有名ではないことで、有名なのだ。彼はセレブ達を惹きつけ、そして引き離していく。ちょうど2年前、『バンクシーがディナーにやって来る(原題:Banksy’s Coming to Dinner)』というジョーク映画の題材になった。監督はICA (Institute of Contemporary Arts)の元会長、イワン・マッソウ。この映画は、1人の役者が女優ジョーン・コリンズを騙し、バンクシーが出席するディナーのホストとしておもてなしをする、と思い込ませる話。映画のあらゆる要素が、ジョーン・コリンズが騙されているというジョークに結びついていた。果たしてバンクシーもこのジョークに加担していたのだろうか?恐らくしていなかったであろう。それでもこの映画は彼の知名度をあげることとなった。彼の匿名性は彼にとって便利な“じらし”なのである。匿名であるがゆえに注目を集め、そして同時に注目をそらしてもいる。

“匿名性”こそが『イグジット・スルー・ザ・ギフトショップ』の真髄である。このドキュメンタリー映画はバンクシーによって紹介されたもので、彼が監督したものではない(実際その様なクレジットはない)。本作はバンクシーという人物にフォーカスをあて、そして彼のアーティストとしての創造性とビジネスの成功によって浮上した問題点を突いている。ただ、映画はあたかもバンクシーについてではないかのように見せかけている。もしバンクシーが映画を作ったのでなければ、映画を作った人物が、身代わりを使ってバンクシーをよりよく見せようとしたのだと思う。受動的な自己PR作品とでもいうべきだろうか。人によってはでっち上げだと思うかもしれない。しかし、そのような見方では映画の主題を見落とすことになる。映画の前半に比べ、後半は正直さにかけているように見えたとしても、全てがでっち上げであるということを示唆しているものはなにもない。そこが抜け目のない編集とプレゼンテーションの違いである。しかも観客はどこかでこのバンクシーの企画がジョークであることを期待している。映画がドキュメンタリーであろうがなかろうが、見ていて楽しく、元気にしてくれる作品なのだ。

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バンクシーの身代わり役(バンクシーの鏡とでも呼よんでおこう)を努めたのは、ティエリー・グエッタ。ティエリーはフランスからロスに移住したヒップスターだ。映画の最初からビデオカメラオタクとして登場し、中年にしては少し早い、むずがゆいアンニュイの捌け口を探している。本作は基本的にナレーターが2人いる。リス・アイファンズが画面に映らないナレーターとしてストーリーを展開。そしてバンクシーは時折シルエットのみで登場し、コメントする。どちらの声も膨大な映像アーカイブに説明を加えている。映像はほぼティエリーの撮影したもの。彼は、1990年代後半から従兄弟のインベーダーの映像を取りためていた。インベーダーはフランス人アーティストで、モザイクをべたべた張りまくった作品で有名。後にティエリーはシェパード・フェアリーやバンクシーなどのアーティストの映像も撮り始める。

ティエリー・グエッタは、何年もの間、アーティストらを撮影し続けた。アーティストが屋根の上に行けば屋根の上、夜に行動をすれば夜に、スタジオにいればスタジオで撮影をし続けた。そしてティエリーはこれらの映像を『ライフ・リモート・コントロール』という題で一つのドキュメンタリー作品にまとめ上げた。しかしこの作品がひどい有様。そこでバンクシーがティエリーにとって変わり、膨大なアーカイブを人様に見せられるドキュメンタリーに編集しようと名乗り出る。そこからがこの映画の本題である。

本作のにくいところは、バンクシーに後押しされて、ティエリーもアーティストとなるところである。ティエリーはロスの“いま時”な展示会で自分の作品を発表し売り始め、注目を浴びる。この人気のウラには、誰の目からもバンクシーの存在が見え隠れする。ティエリーの作品はどれも三流のバンクシーもどき。だが、この三流加減のウラに緻密に計算されたなにかが感じられる。もちろんキャンベル・トマト・スプレーのラベルのついた巨大なスプレー缶が描かれた作品も含まれている。

ここでの注目点は、バンクシーの後ろ盾、もしくは監修、もしくはその両方のもと、ティエリーのアーティストとしてのキャリアが築かれていくことではない。本作はストリートアートに対する賛辞とずるい自伝、才能があろうがなかろうが全てのアーティストの虚勢に対する皮肉、そして我々を含めた“見る者”の騙されやすさを表現しているのだ。

原文はこちら www.timeout.jp/en/tokyo/feature/1881/Exit-Through-the-Gift-Shop

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タイムアウトニューヨークレビュー

『イグジット・スルー・ザ・ギフトショップ』。このよこしまなまでに見事な作品を見ると、自分があたかも深夜のロスでピンクがかったぼんやりした光に照らされ、犯罪を犯そうとしている、もしくは強盗を計画し、詐欺にはまったかのような錯覚を覚える(映画を見るのにこれ以上の表現なんてあるんだろうか)。そんな心情で活動しているのがストリートアーティストだからだ。間違っても彼らを“落書きしている愚か者”と混同してはいけない。オバマ大統領の肖像画で有名なシェパード・フェアリーをはじめ、彼らストリートアーティストは壁をキャンバスに見立て、巧妙な切り抜きや絵、そして風変わりなスペース・インベーダーを一つ一つ貼るため、キンコーズの床にへばりついて作業をしたりもする。そして彼らはたまに警察にも捕まる。『グリーンバーグ(原題:Greenberg)』に出てくるイギリス人のバンド仲間を演じたリス・アイファンズの茶目っ気たっぷりのナレーションによると、彼らは命の短い芸術作品を創造している。そんな彼らの憧れがバンクシーだ。彼の存在は謎めいている。ディズニーランドに突如出没したこともあった。本作では不気味なシルエットとして映し出され、インタビューに答えている。そのシルエットは、まるで『インサイドマン(原題: Inside Man)』のクライヴ・オーウェンに見える。

バンクシーは間抜けのように頭をだらっと下げてインタビューを受けている。そして成金のきまり悪さをあおるように、本作の監督としてもクレジットされているバンクシーは、自分のドゥ・イット・ユアセルフ的な環境から明確なメッセージを発信しただけでなく、実態のないミスターブレインウォッシュという存在を作り上げ、ウォーホルの作品をサンプリングさせることを思いつく。このミスターブレインウォッシュを演じるのが、ティエリー・グエッタ。本作のはじめから登場する腰の低いカメラマンだ。父親であり、企業家であり、そして異常なまでの年代記編者。ティエリーは時とともに暗闇に足を踏み入れ、自分の作品を創作し始める。そして、彼の撮りためてきた映像の編集はより才能のある誰かに任されることとなる。ここから本作は類を見ないアートドキュメンタリーとなる。本物のアーティストとまやかしのアーティストの違いとは何かを観客に問う。いろいろな意味でバンクシーはモンスターを作り上げた。

原文はこちら newyork.timeout.com/arts-culture/film/69207/exit-through-the-gift-shop

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『イグジット・スルー・ザ・ギフトショップ』
2011年7月16日、渋谷シネマライズほか全国順次公開

タイムアウトロンドン原文 デイヴ・カルホン
タイムアウトニューヨーク原文 ジョシュア・ロスコフ
翻訳 タイムアウト東京編集部
※掲載されている情報は公開当時のものです。

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