ば化粧師、“変身”にかけた人生

特殊メイクアップのパイオニアとして、世界で活躍するレイコ・クルック

ば化粧師、“変身”にかけた人生

映画や舞台のメイクアップデザイナー/特殊メイクアップのパイオニアとして知られ、パリを拠点に、世界で活躍するレイコ・クルック。2004年には、ニューズウィーク誌の『世界が尊敬する日本人』のひとりに選出されている。現在は、特殊メイクアップアーティストとしての活動にとどまらず、映画の演出、美術監督としても手腕を発揮、また皮膚をテーマに人間の真実に迫る造形『スキンアート』でも注目されている。

レイコは、長崎で生まれ育ち、戦争を体験。その頃には、自分がフランスで特殊メイクアップのパイオニアとして名を馳せることになるなど、想像もしなかっただろう。その後、日本を離れてフランスに渡り、彼女はどのように人生を切り開いてきたのか。このたび、レイコ・クルック自著による、『ば化粧師』(リトルモア)が書店に並ぶ。出版にともない、日本に一時帰国していたレイコ・クルックに、話を聞いた。

最初に年齢を聞くのは失礼ですが、レイコさんはおいくつになられたんですか?

レイコ:75歳です。

どうして、自伝『ば化粧師』をお書きになろうと思われたのですか?

レイコ:自伝は自伝なんですが、まず、これまで私がしてきた仕事を紹介したいと思いました。私のシチュエーションは、大変に珍しい。色々な、世界のトップを行くアーティスト達と仕事をする機会があって、多くの事を学びました。そういう方々との仕事の経験は、大変緊張感もあり、たくさんの制約があって、その上で戦わなくてはいけないヒストリーを、ちょっと残しておきたいという気持ちがありました。

それから、私の生き方や、仕事のやり方は、非常にアナログで時代遅れの感じもするんですが、それが、デジタルでスピード感ある現代の人たちに、受け入れられるのか、ちょっと試してみたいという気持ちもありましたね。本質的に、私の生き方が、誰かの心を動かすことができるのか、自分自身に問いかけてみたかったのです。外側からの反応はとても大事でしょう。自己満足で、自分自身の資料をため込むのではなく、対話してみたかったのです。

それから私は、幸か不幸か、戦前、戦中、戦後という時代をくぐっています。でも今、その事実が、忘れさられようとしている時期です。私は長崎で生まれ育ちましたが、10歳の頃に戦争があって、原爆が落ちて。やはりこれが、私の生き方、感性とか血とか、皮膚感覚に染み込んでいることは事実なのです。仕事のことだけピックアップしても、ただ、珍しいことをしました、で終わってしまう。だから、私の仕事のことについて触れる時に、子どもの頃に体験したことを書くことは、とても自然なことでした。

各時代、時代でやってこられたことが、全て次のステップにつながっていて、一夜にして名声を得たのではないことが、本を読んでいて良くわかりました。

レイコ:この本は、成功談でも、マニュアルでも、映画演劇論でもない。くぐってきた私の歴史を、ただひたすらに自分の言葉でお伝えするものです。今回、この本を出すにあたって、長崎に里帰りして、講演会をやりました。有明海の干潟はとても美しかったですし、ちょうど黄金の稲の収穫期で、新嘗祭が行われていて、私もついひっぱりだされて参加しました。本当に、素晴らしい良いところに生まれて、色んな感性をもらったことを、再確認しましたよ。自然の美しさが、どれほど感性というものに必要か、ということですね。

今でこそ、羽田空港が国際化されたりして、世界がとても近い時代ですが、そんな環境でも、日本人が世界で活躍し、成功するのは難しいと思うのですが。

レイコ:成功しようとして、仕事をしたことはないんです。私は小さい時から、その中に立ったら、絶対にやらないと嫌だ、という性格でした。京都にいた頃にフランス人と結婚して、成り行きで日本から飛び出し、成り行きで映画のメイクアップの世界に入ったけれど、でも、その世界に入り込んだら、入り込んだで、何が何でもやる!やるからにはトップでやる!何かそういう性格があるんだと思います。

成功しようというより、自分がやっていることを極めてみたい。そうしてコツコツやっているうちに、状況が固まってきて、結果的に成功だ、と言われるようになったということだと思います。私は、成功という言葉はあまり好きではなくて、自分自身が納得する、ということの方が大切だと思っています。何をするにも、責任は全て自分のものですからね。

レイコさんはずっと我流でやってこられて、比べるものが師匠ではなく、ずっと自分自身だった、ということも影響していますか?

レイコ:それはあると思いますね。自分ひとりでやれることはありえなくて、まわりの方とコラボレートして完成するものですが、やはり目標は、自分との戦い。自分自身へのチャレンジであって、それ以外はあまりないですね。だから、戦いから降りても良いんですよ。それも自分のチョイスです。

今は、マニュアルがあって、簡単にデータ検索もできますが、それは人が作ったもので、誰かが考えて、誰かが結論を出したもの。私は、人が出した結論から、物は生まれないと思っています。だから、マニュアルやデータを信じないというのが第一にあります。すでに存在するものは、まず疑ってかかる。そうすると、では自分は何をする?というクエスチョンが出てくる。そういうやり方は、道が長いし、周りの人と喧嘩はするし、成功しないかもしれませんよ(笑)。

私の仕事は共同作品の“駒”にすぎません。“駒”として尊厳をもって、作っていく。私のタッチを必ず残す“誇り”が大切ですよね。でも、物を作る人間は、結局、満足しないんですよ。どれだけ完璧主義でやっても、70%できればすごいことだと思っています。

人の顔に触れる、というのは大変なことだと思うのですが、役者さん達とは、どのように信頼関係を築いていくのですか?

レイコ:顔に触れるのは、本当に大変なことです。役者の顔は、キャンバスではなく、その人の歴史であり、アイデンティティであり、その上仕事のキャピタルです。私が彼らの立場だったら、もっと神経質になるかな、と思うほどです。やはり、自分の態度とか、彼らをリスペクトする気持ちとか、教養がないとダメです。こんにちは、って簡単に挨拶して、パパッとやる人がいるけど、とんでもない話です。相手を変身させていくわけですから、私がその人の個性を殺してしまうかもしれない。それなら、何もしてくれない方がマシだと思っている人が山ほどいます。信用がないのに、顔を貸す人はいませんから、その顔に触れ、変身させていくのは、生半可な態度ではできない。まず、仕事を始める前に、アプローチの仕方に、神経を使わないといけません。ばかばかしいかもしれませんが、まずは「ボンジュール」から始まって、自己紹介し、そして、仕事のコンセプトや手順を説明する。相手が自分のことを知っていて当然と思うのは間違っていますね。私は常に無名の存在です。その場の自分の仕事で、自分のレベルを見せる。そしたら、相手は安心する。

レイコさんは、全て、ご自身の手を使ってメイクをするんですね。

レイコ:そんなに難しくないんですよ。スポンジを使ったり、ハケを使ったり、色んなやり方や流行があって、人はそういう流行りにのりがちですが、それを疑問に思わないのは、勿体ないですね。もちろん、急いでやらないといけないとか、あまり繊細でない部分をブラシやスポンジでやることもあります。でも、一番繊細な、鼻、口、目まわりの、神経がたまっているところは、下手な人が触ると、イラっとしますからね。だいたい、スポンジでゴシゴシしたら、顔を掃除されているようでしょう。個性があり、役柄があり、名前もあり、という人たちには、床掃除みたいなメイクはできないですよね。

たくさんの方と関わってこられたと思いますが、印象に残っている人はいますか?

レイコ:やはり、クラウス・キンスキーですね。彼自身の持っているものを発信してくれたから。発信しないで、何を考えているかわからない人っているんですよ。キンスキーは、6本一緒に長編を撮りましたが、やはり本当にすごい人ですよ。毎回毎回、いじめられたというか、まぁ、大変なキャラクターなんですよ。ヴェルナー・ヘルツォーク監督なんかだって、何本も一緒に仕事をして、最後に『キンスキー、我が最愛の敵』という作品を作っていますしね。人間の二重性というものを表さない人と、素直に表して自分を表現する人がいますが、彼は、怒りも喜びも、全部出す。それでいて、すごく優しさもあったし、非常に才能がある。彼の事を話すと1冊の本になる聖なるモンスターですね。

キンスキーの作品をまだ見たことがない人に、オススメの作品はありますか?

レイコ:『アギーレ/神の怒り』『ノスフェラトゥ』『フィツカラルド』という3本かな、と思いますね。他の作品は、あまり一般的に上映されていないようですしね。

レイコさんは、お子さんもいらっしゃいますが、仕事と家庭はどのように両立してこられたのですか?

レイコ:仕事がしたいという情熱や欲望みたいなものがあったら、ご主人や子どもに納得してもらうのがまず大切ですよね。子どもは可愛いに決まっていますが四六時中、毎日そばにいてあげて、面倒を見ないといけないというわけではないんですよ。もちろん、子どもがさびしいと思うこともあるでしょうが、私が一番にやってきたのは、子どもを子ども扱いしないで一つの人格として見る、ということ。

例えば長編映画が1本入ったら、プロデューサーや監督にきちんと筋を通して、1日だけ必ず、現場に子どもを連れて行くんです。そうすると、朝から晩まで、私が忙しく仕事をしている様子をじーっと見ているんです。私は当時あったインスタントカメラを、「今日の撮影の中で、あなたが一番おもしろいと思うものを、10枚だけ撮りなさい」と言って渡すんです。そうすると、10枚きりしかないから、何を撮ろうかって必死になって頑張るんです。あとから写真を見ると、結構ちゃんと見ているんですよね。私がどの人がスターなのかを伝えなくても、美しい存在感がある人をおのずと撮っている。やはりスターは存在感があるんでしょうね。子どもはとにかく、感性が鋭い。だから、大人が子どもを“子ども扱い”するのは、本当に間違っていると思いますよ。

私の息子は、3歳くらいの時から、4時間くらいかかる歌舞伎や文楽を一緒に見に連れて行っていました。そういう環境に置いてあげると、声を立てずに、じっと物事を見つめることが、習慣になるんですよ。大人が子どもに対してはらはらすると、子どもの奴隷になってしまう。対等に付き合うのは無理でも、大人にその気持ちがあれば、子どもも対等に答えたいと思うんでしょうね。

歌舞伎や文楽の話が出てきましたが、レイコさんは40年近くフランスに住まわれていますが、日本はどんな魅力がある国だと思いますか?

レイコ:日本を離れたのが40年前です。シックスティーズの時代。あの頃は、抑圧されたエネルギーが爆発した時代。革命が起こせる、そういう事を信じていた。そういう日本を出て、いま戻った時に、やはり私が惚れているのは、日本文化です。その文化が、色んな意味でリスペクトされていないのを見ると、本当に腹が立ちますね。文化を作るのは人間で、もっと言えば、人間そのものが文化ですから。今の日本は、人が疲れていたり、無関心で情熱不足、面倒なことになる前に、ここで止めておこう、という拒絶反応を感じるんです。もっとも、今の世界情勢を見ると、日本はラクではないですね。世界的な視野でものが見られていないのが、一番危険だと思います。世界の中での見方と、日本の中での見方は、かなりずれていると思いますよ。

どうしてそうなってしまったと思いますか?

レイコ:日本にいれば、冒険も必要ないし、ちゃんと食べて、仲間と楽しく過ごせるのだから、外を見る必要がないんでしょうね。その反対に、陸続きのヨーロッパで、外敵も異文化も身近に存在して、絶えず世界を意識している人たちは違いますよ。例えば、フランスで映画を1本作ると、何十カ国の人がより集まって仕事をします。とにかく、異文化をアクセプトしながら、自分の文化を理解していくような国と、自分達だけでやって満足している国の違いだと思いますね。

これからの目標はありますか?

レイコ:何もないです。目標も大志もない。吹き出物みたいに、ブツっと出てくるのを待っている。だから、何をするかわからない。でも、やりつくしたことはやらないと思います。もっと違うことをして、大いにこれもやった!あれもやった!と言って死にたいです。それから、私はきっちりいつまでもお化粧をしていたいと思います。自分の顔に疲れを感じると、行動まで疲れてくる。鏡を見て、いつでも自分の顔を美しいと思えれば、行動も楽しくなります。棺桶に入っても、この口紅の色じゃダメよ!って言いたいですよ(笑)。

テキスト 東谷彰子
※掲載されている情報は公開当時のものです。

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