インタビュー:ティム・ロビンス Part 1

ハリウッドの名優が語る“映画”以外のこと

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インタビュー:ティム・ロビンス Part 1

今回は少し変わったインタビューになりそうだった。

お相手は俳優兼歌手のティム・ロビンス。彼は、リーダーを務めるバンド、ティム・ロビンス・アンド・ザ・ロウグス・ ギャラリー・バンドを引っ提げ、2010年にリリースされたアルバムPRのため、ブルーノート東京でコンサートをするということで来日中だった。

事前に「ロビンスの映画や俳優業についての質問はNG」だと注意されていたが、この20年以上、ハリウッドの第一線で活躍しているアカデミー賞受賞俳優と対峙して、“映画について触れない”というのは難しい話だ。妻のスーザン・サランドンについての話もダメだということなのだろうか。しかし「音楽の話だけでお願いします」と念を押されたので、我々はロビンスの唯一のアルバムを聴き、彼の音楽のインスピレーションをリサーチして、“音楽の話だけ”のインタビューに挑んだ。

結果から言うと、我々の努力は水の泡だった。というのも、ロビンスは歩く音楽百科事典のような男だったので(もし彼と出くわす事があったら、音楽について話しかけてみるといい。パンク、フォーク、lo-fi、何のジャンルについて聞いても、映画のセリフを言っているかのように、スラスラと潤沢な音楽知識を披露してくれる)、音楽についての話だけでも十分な成果を得ることができた。彼から音楽の話を聞きながら、高名なフォーク歌手だった父親とのエピソード、有名人である事について、何故セカンドアルバムは「インドネシアには行かない」なのか、そして彼の自由な生きざまの秘訣などが織り交ざった話を、30分間に渡って聞くことが出来た。恐らくこれは1994年以来ロビンスが受けた中で、唯一“ショーシャンク”という言葉が出なかったインタビューである。

-- お父さんはガスライト(ニューヨークのグリニッチ・ヴィレッジにある有名なフォーククラブ。ジョニ・ミッチェルやデイヴ・ヴァン・ロンク、ボブ・ディランなどを排出した)と深い関わりを持つフォーク歌手だったと聞いています。フォーク音楽に囲まれて育ったんですか?

ティム・ロビンス:囲まれてというか、浸かっていました。本当に幼少のころから、音楽にドップリ浸かって育ちましたね。はじめて芸術的なものに関心を持ったのが音楽でした。当時はテレビも無かったし、家族で映画に行くこともあまりなかったから、私にとっては音楽が全てでした。うちは貧乏だったけど、ステレオとターンテーブルとレコードは家にありましたね。

-- 子供のころに聴いていた音楽では、どんな物が記憶に残っていますか?

ティム・ロビンス:バール・アイヴスが歌う童謡集に入っていたBuckeye Jimという歌。これは今回のコンサートでも歌います。あとはトム・パクストン、デイヴ・ヴァン・ロンク、初期のウィーバーズ、ピーター・ポール&マリー、父のグループ、他にもザ・ハイウェイメンとか…。

-- 今あげた歌手の人達は、よく家に出入りしていたんですか?

ティム・ロビンス:そうですね。父がトム・パクストンと長い間組んでいたので、彼は友達でした。他にも色々な人達が来ていました。父はよくフォーク関係の人達と、ガスライトの隣にあるケトル・オブ・フィッシュバーでつるんでいました。ケトル・オブ・フィッシュは当時の音楽シーンのメッカでしたから。

-- この様なシーンに触れていたことが、政治的視点に影響したと思いますか?ウディ・ガスリーや似たフォークシンガー達が支持していた社会主義的思想のような物に影響されたのではないかと。

ティム・ロビンス:社会主義?本当に?ウディ・ガスリーはフォークのリバイバルを起こした張本人だった事は間違いないね。彼と、ハディ・レッドベター(レッドベリーの本名)やウィーバーズなんかの面々がね。ピート・シーガー(ウィーバーズメンバー)は完全に社会運動活動をしていましたね。シーガーが社会主義者としてブラックリスト入りした時、彼はバンジョーを持って、アメリカ各地を放浪して、演奏旅行をしていたんですよ。ウィーバーズのサポートなしでのソロ演奏だったので、観客に手伝ってもらい、観客も一緒に歌うというのがシーガーのコンサートだったみたいです。ジョーン・バエズがフォークシンガーになりたいと気付いたのは、こういうコンサートで、ピートと一緒に歌ったのがきっかけだったって語っていました。ピートがジョーンの声を発掘したわけです。

フォーク音楽という物は、昔の世代のストーリーを、次のジェネレーションに語り継ぐ音楽だと、ずっと思ってます。海の男の歌だったり、南部で開拓地で働く労働者の歌であったり。労働歌がもちろん多いですが、南北戦争や第一次世界大戦の兵士達が歌った歌もあります。こういう物語を語り継ぐ伝統がフォークの要素のひとつなんです。これは社会主義ではないと思う。社会に基づいたコミュニティ音楽というところかな。

-- 今でも家にいたらこういう音楽を聴きますか?

ティム・ロビンス:時期によって色々な物にハマったからなぁ!フォークに始まり、もちろんロックンロールにハマって、モータウン、パンク…。でも今は何を聴くだろう?最近聴くのはアーケイド・ファイア、Mumford & Sons、フレイミング・リップス。これは全部、私の子供たちの影響で聴くようになったんです。ニュートラルミルクホテルっていうすごく良いバンドもある。

-- 子供の頃コンサートに行って「こういうアーティストになりたい」と目標にしていた人物はいますか?

ティム・ロビンス:あまりいませんでしたね。目標にするというよりも、聴くほうが好きだった。…他の誰かみたいになりたいと思った事はなかったですね。影響を受けたソングライターはいました。トム・ウェイツ、レナード・コーエン、スプリングスティーン…。彼らは曲の4分何十秒そこらの間に、聴く人を異世界に連れて行って、想像力を広げてくれる。

-- そういう物語的要素がティム・ロビンス・アンド・ザ・ロウグス・ ギャラリー・バンドのアルバムのキーでもありますか?

ティム・ロビンス:それがアルバムの重点でもあるとともに、私のキャリアそのものの重点です。(自身が監督した)映画デッドマン・ウォーキングのサントラを監修した時、私が映画や演劇の物語を書くのにあたって影響を受けたアーティストの皆さんに声をかけさせてもらいました。昔から私が映画や演劇で伝えたかったストーリーというのは、こういうアーティストの音楽に影響されて作ったストーリーでした。脚本よりも音楽の方に強く影響されたと言っても良いかもしれない。

-- アルバムに収録されている曲の多くは、昔から書きためていた物だと聞きました。

ティム・ロビンス:‘Dreams’という曲は古いです。1985年に書きました。あともう1曲昔書いた物が1999年の物で、その他はここ5年くらいに作った楽曲です。歌の全部は遠征中にホテルの部屋で書きました(笑)。歌のベースになっているストーリーは、飲み屋や映画のセットで会った人達が話してくれた物語ばかりです。有名であると、よく人が話しかけてくれる。その人達との間に壁を作らず、オープンに接すると、あちらも普段は喋らない様な事を私に話してくれるんです。他人の実体験の話を聞けるという事は、ありがたいことだと思っています。


Part 2に続く


By ジョン・ウィルクス
※掲載されている情報は公開当時のものです。

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