映画『ゼロ・ダーク・サーティ』レビュー

『ハート・ロッカー』の監督がビンラディン追跡劇をスリリングに描いた傑作

映画『ゼロ・ダーク・サーティ』レビュー

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『ゼロ・ダーク・サーティ』タイムアウトレビュー

今から20年後の将来、この時代の対テロ戦争を思い出すとき、我々の記憶は半分以上が2本の映画を通しての記憶になってしまわないだろうか。2本とは、監督、キャサリン・ビグローとマーク・ボールの脚本による戦争映画のことだ。彼らの2009年アカデミー賞受賞作『ハート・ロッカー』はイラクの爆発物処理班がテーマだった。最新作『ゼロ・ダーク・サーティ』は10年にわたるオサマ・ビンラディンの、手に汗握る追跡劇をスリリングに描いたものだ。これらは、アクション映画を馬鹿にする人こそ必見のアクション映画だ。観客は歴史の舞台裏にカメラと共に潜入し(少なくともそう信じられる)細部にわたるジャーナリスティックな詳細に心を握られる。

『ゼロ・ダーク・サーティ』は、アメリカのテレビドラマ『ホームランド』を、英国の歴史ドラマ『ダウンタウン・アビー』のように危険に見せてしまう。映画は胸が張り裂けるような9/11から始まる。真っ暗なスクリーン画面から、タワーに閉じ込められた女性が救急サービスに電話する声だけが聞こえる。女性は自分が死ぬことがわかっている。電話の交換手はいかなる非常事態にも対処する訓練を受けているが、こんな事態にどう対応すればいいのだろうか。2機の飛行機が、ニューヨークの象徴ともいえるワールドトレードセンターに突っ込んだのだ。もはやルールはないも同然だ。

そして、アクションはパキスタンに移る。CIAの新人分析官のマヤ(ジェシカ・チャステイン)は尋問訓練のため、同僚とアルカイダ隊員との尋問を見学している。「メールアドレスさえ渡せば食べ物をやるぞ」の後に続くのは、拷問だ。犬の首輪、水責め、睡眠遮断、そして繰り返される「嘘をついたら痛めつけるぞ」という台詞。

マヤは恐怖に慄く。観客は、マヤがアメリカの良心的存在になると思い込む(チャステインは『ツリー・オブ・ライフ』で夢のように優しい母親を演じた)。だが、6ヶ月後、マヤは同じ台詞と同じ拷問を繰り返すまでになっている。マヤとCIAの上司の間には、恋愛の予感も感じさせるが、この映画は女が男を落とす恋愛映画じゃない。女が大物を落とす映画なのだ。映画の中でのオサマのニックネームも、ビッグガイだ。

『ゼロ・ダーク・サーティ』は洗練された、冷たいストーリーテリングで成り立っている。生い立ちや余計な装飾は一切ない、黙々と前に進むアクション映画だ。マヤは自分のターゲット、オサマの運び屋といわれる男を追うのに躍起になっている。ビグローはこの映画を通じて拷問への非を認めようとしているという声もあるかもしれないが、それは違う。ビグローは純粋に、レポーターたちが居合わせない環境でのマヤとCIAの同僚たちの行動心理に関心があるのだ。彼らの置かれている状況は過酷だ。一刻一秒、世界のどこかで起きる爆発に追われている。年月は残酷に流れ、苦境と失敗だけが積み重なる。

ボールがこの10年のほとんどを対テロ対策要員の取材に費やしていたことは、完璧な台詞ひとつとってみても明らかだ。CIA本部でマヤの能力を疑問視する声があがる。「彼女についてどう思うか?」と聞くCIAディレクター(ジェームズ・ガンドルフィーニ)。「頭はいいです」と答えるアドバイザー。ディレクターは無表情で「我々全員そうだ」と切り返す。時は2010年、ビンラディンを追うことを疑問視、またはすでに死んでいるという分析官もいる。ビグローは、CIAの頭脳派たちから命を顧みないの頑強な心優しい米海軍特殊部隊たちまで、現場の男たちを描く天才だ。

パキスタン郊外の民家を襲撃する映画の終盤は、観ているだけで手に汗を握る。ついに特殊部隊が、細身の灰色のヒゲ男を打ち抜くとき、観客は実際に起きたことの一遍を垣間みるだろう。犬は吠え狂い、パニック状態の群衆は駆け回る。この作品は間違いなく傑作だ。

原文へ(Time Out London)


『ゼロ・ダーク・サーティ』

監督・製作:キャスリン・ビグロー
脚本・製作:マーク・ボール
キャスト:ジェシカ・チャステイン、ジェイソン・クラーク、ジョエル・エドガート ほか
ウェブ:http://zdt.gaga.ne.jp/
2013年2月15日(金)よりTOHOシネマズ有楽座他、全国公開


翻訳 佐藤環
テキスト キース・ウーリッチ
※掲載されている情報は公開当時のものです。

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