インタビュー:tickles

エレクトロニクスと生楽器を巧みに操る一人電子音楽団が胸の内を語る

インタビュー:tickles

自身のレーベル、マダガスカルから新境地MOTION±に移り、4月25日に通算3枚目のアルバムをリリースしたticklesこと鎌田裕樹。パンク、ハードコアミュージックを経て、オーガニックなエレクトロニックミュージックを作るようになった現在までの経緯、海外進出に対する野望など、「熱くないと面白くないと思う」と穏やかな表情ながらも強い眼差しで語る鎌田に話を聞いた。


―鎌田さんがticklesを始められた経緯を教えて下さい。

鎌田:中学くらいから友達と二人でバンドをやっていたんですよ。高校でDJを始めて、21とか22歳くらいのときに映像の学校に行き始めて、制作で映像と同時に音楽も併せて作ってたんです。それで一緒にDJをやってた友達とそろそろ自分達で作り始めようかって話し始めて。バンドをやっていたときにオリジナルの曲は作っていたんで、曲作りに抵抗はなかったですね。DJやってても、「ここがこうだったらいいのにね」とか自分達で頭の中でリミックスしたり、変化させたりしてたんで、どうせだったらオリジナルをやろうと曲を作り始めたのがきっかけですね。

―では中学や高校の頃も音楽はかなり身近にあったんですね。

鎌田:中学から高校まではバンドをやっていました。パンクとかその辺のを…高校の頃はハードコアとか。

―意外ですね!ハードコアはどの辺のサウンドのものを?

鎌田:高校の最後の方の頃はNYハードコアなんかを…。H2Oが来日して、横浜でライブした時にDJやったんですよ。

―Ticklesの音からはH2Oの香りは全くしませんね(笑)!NYハードコアといえば、もちろんSick of it Allとかその辺もですよね?

鎌田:もちろんです。Tシャツ、今でも持ってますよ(笑)

―どのような感じのDJをされていたんですか?

鎌田:パンクのDJです。自分達でイベントをたくさんやっていたという訳ではなく、ライブに呼ばれてDJをやるって感じでしたね。横浜方面のライブが多かったです。SnapcaseとかVision of Disorderの来日時もDJをやりました。日本人でいうと、山嵐がまだ出始めの頃にDJしてましたね。90年代のことです。コークヘッド・ヒップスターズなんかも良く観てましたよ。もともとはその辺が好きだったんです。

―では若い頃、幼少の頃から音楽は常に身近なところにあったのでしょうか?

鎌田:そうですね、ピアノは幼稚園くらいの頃からやってました。小学校の頃まではテレビから流れてきたものしか聴いてなかったんですけど、その後ブルーハーツに出会って、自分で音源を買うようになったんです。彼らからは自分の人生において大きな影響を受けましたね。

―ブルーハーツやパンク、ハードコアを聴いていた頃から、DJ活動を経て、どのように現在作られているような音に辿り着いたのですか?先ほど映像の学校に行かれててそのときにご自分で音楽を作る必要性に駆られてとも仰ってましたが…

鎌田:学校に行く頃にはもうあまりハードコアは聴いていなかったんです。昔好きだったものは今でも聴きますけど。DJをやり始めて、自分の音楽ではないとはいえ、どんどん人に聴かせる側になるじゃないですか?それで新しい音楽にもっと興味を持ち始めて…例えばレゲエのイベントに行くと、ハードコアとかパンクのライブでは感じることのない熱気を味わったりして面白いなって思ったりしたんです。ヒップホップも少し通りましたし。聴いている期間が短いから、浅いと思うんですけど、色んなものを自分の中でどんどん消化しながら通って行って、自分で音楽を始めたときにやっと落ち着いたんですね。自分で聴いているのと表現するのとではやっぱりだいぶ違いますからね。今でも自分が作るような音楽は実際そんなには聴かないんです。今の音に至ったのは自然な流れだったと思います。自分の中で、つまらないから強引にこっちを聴こうとかそういうことは全く思ったことないですね。

―湘南・藤沢を拠点に活動されていますが、海と山のある環境は鎌田さんの作り出すサウンドに何かしら影響を与えていると思いますか?

鎌田:自分にとって当たり前の環境なので、敢えて意識したことはないです。東京にずっと住んでいた人が1年湘南に引っ越して何かを作ったらそういう影響があるのかもしれないですけど、ずーっと当たり前のようにあったものなので、実際当たり前のような影響しか受けていないと思うんですよ。それを意識したってことは全くないですね。

―反対に東京に住まれていたらもっと尖ったようなサウンドになってたと思いますか?

鎌田:そうなっていた可能性はありますね。

―ticklesのサウンドはエレクトロニカでありながらも、自然を感じさせるオーガニックなサウンドだったり、無機質ではなくどこか暖かいですよね。このような要素は意図的なものなのでしょうか?

鎌田:意図的ですね。打ち込みの音を使ってますけど、生楽器も結構使ってます。シンセも機械ですけど、無機質にならないようにその上にもう少し有機的なイメージを与えるようにしてます。生き物のような温度があればいいかなって思って作ってます。

―その暖かみのあるサウンドの中にはノスタルジックな空気感も感じることができるのですが、曲を作られているときに思い浮かべる光景などはあるのでしょうか?

鎌田:特に自分がノスタルジックなものを作ろうと思っている訳ではないですけど、メロディーに関してはキャッチーであることが自分の中ではすごく大切だと思っています。これは音楽に関してだけではないですけど、全体的に感情があるかどうかということも大切ですね。無機質なもので感情的でいいものもあると思うんですけど、基本的に熱いものができたらいいなというのはありますね。熱くないと面白くないと思うんです。ここ一週間くらいで思ったことなんですけど、まだまだ自分は青いな、と。若いと言うか、青いというか。ticklesを客観的に聴いたら、まだ青いヤツが作ってるなっていう印象を受けると思います。それはそれで全くいいんですけど。だからもしかしたら、まだその少し青い部分がノスタルジアに繋がるのかなっていう気もしますね。

―アルバムのタイトルが"On an Endless Railway Track"で、'braintrain'という曲も収録されています。曲作りの中で旅(実際の旅行という意味合いだけではなく、人生という旅についても)をテーマにされてますか?

鎌田:旅というよりも、僕自身のアルバムを作っている時の感情というか、楽しいこととか他の色んなことがまだまだ続いて行くんだろうなっていう感じでしょうか。タイトルがちょっとイメージ的にストイックになってしまったんですけど、実際はもっとハッピーなイメージなんです。

―曲作りの際のインスピレーションはありますか?

鎌田:特に何かからインスピレーションを感じて作ることはないですね。むしろ日々の生活の中での喜びとか悲しみとか怒りとか。僕自身そういうものの振れ幅が大きくないんで、何かでかいことに対してのインスピレーションはないんです。例えばこの前の震災の時の原発の事故でそれに対する歌を歌っている人もいっぱいいますし…でも、そういうでっかいテーマは僕にはないです。ただその…誰でも生きてれば波は少しあって、自分にもそういう波は確実にあります。だからそういうものの表現ですかね。少し身近と言うか。すごく抽象的ではあるんですけど。心の揺らめきとか、その揺れが曲の展開に繋がるという感じだと思うんです。

―ご自身のレーベルからMOTION±への移籍を決めた理由は?

鎌田:自分がレーベルをやっていた頃から、MOTION±のスタッフを知っていて、信頼もできたし。自分のレーベルのマダガスカルは一人でやっているんですよ。一人でやるのと、二人、三人、四人でやるのって難しいことも多いんですけどやっぱりやれることが一人の時よりも大きくなりますよね。自分が気づかなかったことも気づくことが出来るし。人とやるメリットもきっとあるなっていう考えと、あと、レーベルがまだ新しいってこともあったので、あまり自分にレーベルのイメージがつきにくいというのが嬉しかったって言うのもあります。「ここだったらこういう音だよね」っていうところでやるよりも、無色のところでやれた方がいいなって思って。

―今週末REPUBLICで共演されるレーベルメイト、eli walksとはまだMOTION±に移る前から不思議な繋がりがあったとか?ずいぶん前からお知り合いだったんですか?

鎌田:実際に会ったことはなかったんですけど、ジェフ(eli walks)と一緒にバンドをやっていた友達が一時期ticklesを手伝ってくれてたんですよ。その事実をMOTION±から声をかけられた時に初めて知ったんです。eli walksって名前は聞いたことがあって、存在も知っていたんですけど、その当時音源も出してなかったから音は聴いたことはなかったんです。でもPrefuse73のライブで一緒に出てそこで初めて会ったんです。不思議な縁です。もっと固い感じかなって思ってたけど、すごくいいヤツだし。

―もしかしたら今後コラボの可能性もありそうですね。

鎌田:そうですね、一緒に何か面白いこと出来たらいいねなんて話してます。

―音楽に限らず、コラボしてみたいアーティストはいらっしゃいますか?

鎌田:できることなら全部自分で作りたいんですけどね。映像も自分のやりたいことのイメージがあるんです。ただそれがticklesと絡めてよくなるかどうかは別の話なんですけど。個人的にはチェコとかロシアとかのちょっと暗い感じのクレイアニメーションが好きで、それを自分でもやってたんです。ただ集中力が途切れるとクオリティーが下がるんで、そういうのを真剣に1、2ヶ月やる時間ができたらいいなって思います。レーベルをやっていた頃、映像を作ってる人からtickles宛に作品が送られてきたりしてたんですけど、やっぱり自分で映像をやっていると、なんとなく気に入らないことが多いんですよね(笑)。だからむしろ勝手にやってもらった方がいいんだと思います。例えば今度のRepublicのイベントみたいに、一緒にやる人とは初めて会うんですけど、その人のイメージでやってもらった方が多分見てる人は逆に面白いんじゃないかなと思います。コラボレーションって形になると、多分じっくり話し合えば話し合う程うまく行かないような気がするんですよ。即興でやれたら面白いんじゃないかなと。だからRepublicは楽しみにしてます。ただ、自分のライブ中観られないのが残念ですけど(笑)。

―映像ですとか、クレイアニメーションについてのお話もありましたが、音楽以外では何に興味をお持ちですか?

鎌田:あっ、今のコラボの話にもう一点付け加えてもいいですか?これはコラボになるかはわからないんですけど…時計とかスツールを作っている友達がいて、僕のレーベルでも売っているんですけど、もしかしたら「居眠り時計」を作るかもしれないんです。昼寝する時間分音楽が流れる時計を作ろうかって話をしてます。もう既に構想2年経ってるんですけどね(笑)目覚まし時計って時間が来たら、ジリリーってなってそれを止めますよね。だからどうしたらその逆を作れるかっていうのを考えてます。ずっと音楽がなっててそれが鳴り止んでも誰も起きないから、やっぱり目覚まし時計と組み合わせなきゃいけないのかもしれないですよね。値段が高くなりそうなので、なるべく落として、安く作りたいです。で…今音楽以外で興味であることは、サッカーです。今怪我をしているのでできないんですけど、フットサルをやってます。あとは、今一軒家に住んでいて庭が広いんで、ここ四年くらいなんですけど野菜作ってます。健康とかそういうことには比較的には興味がないんですけど、とれたてを食った方が美味しいって理由だけで作ってるんです。本気でやってた頃はサツマイモも大根も白菜も作ってましたね。今は春と夏くらいしか作りませんけど。

―国内では今週末のRepublic、来月のSchool of Seven Bellsの公演のサポートが予定されていますが、以前には海外でもライブを行ってらっしゃいましたよね。今後更なる海外展開の予定はありますか?

鎌田:まだ予定はないんですけど、絶対行きたいなと思ってます。やっぱり前にツアー中にイタリアのスクワットでライブやったときに、自分が音楽を始めた時の想像を超えたなって思ったんですよ。音楽始めた時って中学の頃で、モテたいとかそういう理由で始めたんですけど、やっぱりだんだんイメージが膨らんでくるじゃないですか。それで、スクワットでライブが出来るなんて思ってなかったんで…その時にももう少し先に行きたいと言うか、もっと続けたいなという欲望が出たんで、またもう一回行きたいですね。行けるだけ行きたいです。海外は本当に楽しいですね。海外だと盛り上がるポイントも違いますしね。自分がものすごくいい経験をしているなというのを肌で感じることが出来るんです。流通も海外で探して、リリースも出来たらいいなと思ってます。そういうのを含めてお任せするだけじゃなくて、自分も含めてMOTION±でチームとしてやれたらいいですね。海外はまた必ず行こうと思ってます。



今後の予定
Ticklesは2012年5月17日(木)に「REPUBLIC Vol.9~映像作家100人 2012 リリースパーティー~」直前スペシャル番組、続く2012年5月19日(土)にREPUBLIC Vol.9~映像作家100人 2012 リリースパーティ~に出演。その後、2012年6月14日(木)にはcontrarede presents SCHOOL OF SEVEN BELLS JAPAN TOUR 2012でSCHOOL OF SEVEN BELLSと共演する。

インタビュー・テキスト さいとうしょうこ
※掲載されている情報は公開当時のものです。

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