2011年02月18日 (金) 掲載
コリン・ファースはこの20年間で、ジェーン・オースティン愛好家のための顔のこぎれいな役者から、イギリスで最も熱心で思慮に富んだ映画俳優へと成長した。2010年に公開された『シングルマン(原題:A Single Man)』ではオスカーにノミネートされ、映画テレビ芸術アカデミー賞では主演男優賞を受賞したコリン・ファースは、これまでの役者人生で最大の難関に直面した。『英国王のスピーチ(原題:The King’s Speech)』で、生まれながらの吃音症で不本意ながら国王となったジョージ6世役を演じることとなったためだ。監督は『くたばれ!ユナイテッド -サッカー万歳!(原題:The Damned United)』のトム・フーパー。だが、コリン・ファースは既に多くの映画批評家連盟賞を受賞しており、本年アカデミー賞やオスカーの有力候補となっている。
『英国王のスピーチ』に出演する以前から、1930-40年代に詳しかったのでしょうか?
コリン・ファース:本作に出演するまで、英国王室の伝記を読んだことはなかったし、全く興味がなかった。この映画は、歴史の王道ではないところに焦点が当てられていて、そこに惹かれた。歴史の王道を題材にするのであればエドワード8世(ウィンザー公爵エドワード王子)や、その妻ウォリス・シンプソンにスポットをあてるだろう。だけど本作は、脇にそれてジョージ6世を主人公にしていた。ジョージ6世は、王になる心の準備ができておらず、驚くほどの謙虚さをもち、不本意にもスポットライトを浴びることになってしまった男。この男を暗闇から救い出した人との友情が僕の興味を駆り立てた。
ジョージ6世はあなたにとって共感できる人物でしょうか?
コリン・ファース:そうですね。彼はイギリス国王になる気がなかった。非常に魅力があり、勢いのある王位継承者の弟、輝きとカリスマ性に欠けた人物として見られていた。彼は王位につく心の準備ができておらず、しかもひどい吃音症だった。だから、彼にとって王位に就くということは“どうしようもないババを引いてしまった”ということと同じだった。彼には憲法上の権限はなく、彼の仕事は話すこと、しかもそれが彼にとって最大の難関だった。イギリスのみならず、イギリス帝国全土に、自分の生の声を届けるということは、考えるだけでもぞっとすることだった。その上、戦争が迫っており、相手国のリーダーであるヒトラーとムッソリーニは演説を最も得意とする人物。そんな中、王位を継ぐことは、厚く高い壁を乗り越えることだった。ただ、彼はいやがおうにも王位に就かなくてはならい状況にあり、心身の脆弱さなど考慮される余地もなかった。彼のフィルム映像をみると心が張り裂けんばかりに痛む。きっと王位に就かなくて済むためなら、何でもしただろう。彼は第一次世界大戦に従軍し、最前線に立つことを望むが、健康上の理由から断られている。この一件からも、彼は決して勇気がなかったわけではないと思う。
スピーチトレーニングの成果に疑心を持つことはありませんでしたか?
コリン・ファース:実際、スピーチトレーニングというものは受けなかった。自分のやり方に沿ってみた。吃音症といかにして付き合って生きていくかという議論はよくされているが、どう克服するかという議論はあまりされていない。自分にとって最も参考になったのは、本作の脚本家であるデビット・サイドラーの息子に聞いた話だった。彼は吃音症であり、皆の前で話すということは「水の中にいるような、水の中に沈んでいくような感覚だ」と話してくれた。皆が自分に注目をして一帯が静まり返ると、大きなブラックホールに落ちていくようで、そのブラックホールには出口さえないように感じでしまう。ジョージ6世のフィルム映像を見て、このような感覚が手にとって分かるように思えた。見ている我々にとっては一瞬だったとしても、彼が永遠と感じていた瞬間を感じ取ることができた。ただ、スピーチトレーニングよりも、英語のアクセントに苦労したのが本当にところだ。僕がポッシュなイギリス人役を演じるのに発音指導を受けるなんておかしいように聞こえるが、イギリスの上流階級の人間がどのような話し方をしていたかを忘れてしまっているように思う。古いニュース報道を聞いていて、“R”が省略されているようで弾音のように聞こえ、まさしく祖父が発音していたような音だった。ガイ・ピアースが現れるまで、どこまで大げさにやらなければいけないのか気付かなかった。というのも、彼はこの“R”の発音に注意を払っていた。イギリス育ちではない彼は、イギリスなまりをしっかり勉強していた。イギリス人である我々は「イギリス人だし、そこまでやる必要はないだろう」と思っていたけど、それは間違いだった。
現場の雰囲気はいかがでしたか?以前伺ったときは寒く、雪も降っていて、かなり張り詰めた感じでした。
コリン・ファース:楽しい時もあったが、全体的にはタフな撮影だったように思う。撮影時間は長く、休みも少なかった。与えられた時間内に撮影を終わらせることは、無謀に近い計画だった。ただ、幸運にも、そんな大変さを覆い隠すような魅力ある人達がいた。ヘレナ・ボナム・カーターはとても楽しく、いつも思いがけない何かをしてくれる女性だし、ジェフリー・ラッシュもそうだ。ユーモアは僕たちの関係を深めることもできるから、大切な要素だったと思う。みんなでよく笑った。だけど、凍えそうに寒かった記憶は拭い去ることができないかもしれない。
ジェフリー・ラッシュとのシーンは全くの演技に見えるが、アドリブを入れる余地などあったのでしょうか?
コリン・ファース:可能な余地は与えられていた。監督のトム・フーパーは、意見が言いやすい環境を作ってくれていた。ジェフリー・ラッシュ扮するライオネル・ローグの書いた日記が発見され、これはもはや考古学的発見のようだった。この日記は映画の企画そのものを大きく揺るがす可能性さえあった。ただ、デビット・サイドラーの名誉のために言っておくと、日記につづられていいたライオネルとジョージ6世の関係は、我々が想定していた通りであった。特にウィットや冗談交じりの会話、そして気さくさが2人の間にはあった。
『英国王のスピーチ』で驚かされたのは、面白い映画だということです。これはもともと台本からこのような面白い映画だったのですか?
コリン・ファース:面白い、という反応には実はびっくりしている。読み合わせの時に何度か笑いがあった。笑っていたのはほぼヘレナだったけれど。彼女は笑うことが似合っている女性で、たまらない笑い声をあげる。そこで思ったんだ。もし彼女が観客だったら、この映画はコメディーになるって。テルライド映画祭で上映されたとき、観客は笑い転げていたし、泣いてもいた。これ以上何が望めるだろう?ジェフリーと一緒に会場を後にしながら考えたよ。この反応は標高9000フィートに位置しているこの場所だから起きたのかって。だから、海面と同じ水位にある会場でも同じような反応が得られるか、試す必要があるとさえ思った。だが、テルライド映画祭での観客の反応はたまたまではなかった。ほっとしたよ。観客の反応は自分の演じているジョージ6世がどう映るのかを知る上でとても重要なことだった。ジョージ6世が見るに堪え難いほどにまじめで自己憐憫的に映らないよう、鋭い感覚のウィットを混ぜる必要があった。ただ、お腹を抱えるような笑いは想定していなかった。どちらかといえば、しつけられた環境によって傷つけられた1人の男を題材にした、まじめすぎて少し気味の悪い映画になってしまうのではないかと心配していた。
イギリスのポッシュな人達が不適切に悪態をつきますが、ジョージ6世の時代からそうだったと思いますか?
コリン・ファース:脚本を書いたデビット・サイドラーが考えたスピーチトレーニングの一貫として、悪態づくということを取り入れた。彼の頭には、ポッシュなイギリス人が“Fワード”を滑稽でありながらも不適切に使っていることはなかったと思う。ただ、このスピーチトレーニングがとてもおかしく、ありえそうに観客が感じたのは、そんなポッシュな人間の言動があったのかもしれない。ジム・ノーティがラジオで失言をしたときのリアクションを思い返してみて。彼はヒュー・グラントや僕のような言葉遣いを使わない。彼はスコットランド人であり、彼には「おっと、お口が滑ってしまった」的な感覚はない。
昨年のアカデミー賞で主演男優賞を受賞してからオファーされる仕事に変化はありましたか?
コリン・ファース:それを精査するのは難しい。オファーのあった仕事の数は今年のほうが多いが、必ずしもいい作品への出演オファーではない。5作品のオファーから50作品のオファーへ数が増えたからといって、全てがいい映画かどうかはわからない。ただ、自分という俳優に以前よりも多種多様な役のオファーが来ているのは確かかもしれない。
映画『英国王のスピーチ』は、2011年2月26日(土)、TOHOシネマズシャンテ、Bunkamuraル・シネマ他、全国で順次公開される。
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