ソーシャル・ネットワークの裏側

デビッド・フィンチャー監督が語る大ヒット作の舞台裏

ソーシャル・ネットワークの裏側

『セブン』『ファイトクラブ』『ベンジャミン・バトン 数奇な人生』などを手がけたデビッド・フィンチャー監督が、いかにしてFacebook創立のドラマを映画化したかを語ってくれた。

デヴィッド・フィンチャーは『ソーシャル・ネットワーク』で確実になにかを手にした。そして本人もそれを確信している。才知あふれるハーバード大学のキャンパスと、カリフォルニアを舞台にしたFacebookの創立物語は、どことなく小説『グレート・ギャツビー』と暴走する機関車並みに勢いがある1940年代の喜劇とが合わさったような作品だ。『ファイトクラブ』(1999年)、『ベンジャミン・バトン 数奇な人生』(2008年)、『ゾディアック』(2008年)といったフィンチャー作品とはやや趣が異なるが、この作品でも軸となるのは一人の男。意気地なしで億万長者のFacebook共同創立者、マーク・ザッカーバーグ(ジェシー・アイゼンバーグ)が中心人物だ。作中に登場するザッカーバーグは、本人の努力にも関わらず、人との関わりから幸福を得ることができずにいる。現在は、スウェーデンで『ミレニアム ドラゴン・タトゥーの女』のリメイク版を撮影している48歳のフィンチャー監督だが、休暇先のパリでインタビューを行った。図らずも遊び心あふれるムードで出迎えてくれた監督は、『ソーシャル・ネットワーク』について饒舌に語ってくれた。

まずお聞きしたいのは、なぜマーク・ザッカーバーグの映画を撮ったのですか?

フィンチャー:彼は見事な人物だ。野心もあるし、才能もある。そして、失敗に容赦ない。この作品は、誰かに「マーク・ザッカーバーグのことを好きか?」と聞かれて始まったんじゃない。「素晴らしい脚本があるんだが興味ある?」と言われたんだ。一つ注意してもらいたいのは、作品の中のザッカーバーグは、あくまでアーロン・ソーキンが書き下ろしたキャラクターだ。個人的には彼には会ったこともない。遠くから観察したといえばいいのかな。

彼に自分を重ね合わせますか?

フィンチャー:作品中の全ての登場人物対して、そういう気持ちになることはあるよ。だが監督は、必ず登場人物との一体感を得なければいけないわけじゃない。

ザッカーバーグが好感を抱きにくいキャラクターであることは重要でしたか?

フィンチャー:分かってもらいたいのは、私は追従的なスタジオ制作側の人間じゃないってことだ。観客はいつだって愛されるキャラクターが好きだろう。私だってそうさ。私はジェイク・ラモッタ(元世界ミドル級王者)が好きだし、『タクシードライバー』(1976年)のトラヴィス・ビックルも好きだ。『キング・オブ・コメディ』(1983年)のルパート・パプキンでさえ好感を持てる。何事にも影響されないキャラクターが好きなんだ。自分が犯した過ちからでさえ学ばないような。『市民ケーン』(1941年)の主人公のチャールズ・フォスター・ケーンは、ソリを引っぱる甘やかされた8歳児として登場し、76歳になるまでそのままの甘やかされ続けた老人だった。彼は死ぬ直前までそのことが分からなかったはずだ。だから永遠に変わらない。もし仮に、私が君の心と君の財布を切り離せるのなら、君がどうこの映画を好きになるのかを、心配してもいい。でもそんなことは起きない。私は「くそくらえ!」と言い放てる人たちが好きなんだ。

マーク・ザッカーバーグにコンタクトしようとはしたんですか?

フィンチャー:プロデューサーのスコット・ルディンは、監督が私に決定する前から、何度かFacebookと会議を重ねていた。最終的に、お互いに賛同できなかったわけだけど。彼らは沢山の“必須事項” リストをつきつけてきたんだ。最初の2項目は「ハーバード大学を舞台にしないこと」と「Facebookという社名を使用しないこと」だった。ルディンも馬鹿じゃない。「これ以上話し合うことはありませんね。公的記録となっている訴訟の供述録取から情報を集めて、我々の映画を作ります」といって席を立ったんだ。

Facebook社の関係者は完成試写には招待されたのでしょうか?

フィンチャー:Facebookの法務と広報の代表は映画を観たけど、私はその試写には行かなかったので、その後どうなったのかは知らない。

彼らの感想は?

フィンチャー:そこにいなかったから分からない。でもフィルムを試写室に届けた人から聞いたところによると……彼らは愕然としていたようだね。

公開に向けての宣伝がとてもスマートでしたね

フィンチャー:そう思うよ。でも私が一連の広告で気に入らないのは、MTVのように自己陶酔的な煽りで“パンク、天才、億万長者”を強調して若者の興味を惹こうとしているところだね。私は“裏切り”の意味を持つ言葉を入れたかったんだ。“パンク、天才、億万長者”なんていうのは、ただの一時的な自己満足にすぎないよ。

映画の導入部分の台詞のやり取りは、とてもスピーディですね。

フィンチャー:最初のシーンは、この後の映画がどんなものかを観客に知らせるものなんだ。私に与えられた時間は2時間19分。この時間内である限り、何をやろうが私の勝手だ。166ページにもおよぶ台本を手に、最初の9ページをアーロン・ソーキンに手渡して、ストップウォッチを取り出して「話し始めて」と言った。アーロンは出来たんだ。滑稽な光景だったよ。これは、観客を身構えさせるにはもってこいの手法だ。脚本通り、暗転状態から始まるんじゃなくて、コロンビアピクチャーズのロゴが消える前にもう台詞が始まるんだ!もし最初の台詞を予告編の時点でスタートさせられるものなら、そうしてたね。これは「静かにして、集中しろ、さもなくば見逃すぞ」というメッセージだ。

『ソーシャル・ネットワーク』を軽く受け止めてほしくないと以前おっしゃっていましたね。

フィンチャー:もちろんこれは場当たり的な題材だよ。だけどとても大きな概念について語っている映画なんだ。最初のカットを観たとき、たしかにこれはやや軽い作品だと思った。でも私にとって、これは興味深い苦い薬なんだ。飲み込むにはスプーン何杯もの砂糖が必要だ。でもラストの悲しみを、砂糖の甘さが邪魔してほしくはなかった。『ベンジャミン・バトン 数奇な人生』を撮ったとき、感傷的な作品に仕上がるのが嫌だった。今回の作品に関しては、正しい作り方だったと思う。でも私は心配性なんだよ。『セブン』と『ファイトクラブ』を撮った後も、暴力性が足りないんじゃないかと心配したし……。

この作品は今までで一番台詞の多い作品ですね。あなたの作品は常に特徴的なビジュアル面が注目を集めますが、今回のように台詞と演技に趣向を凝らすことはいかがでしたか?

フィンチャー:映画作りの上で特に注意することが2点ある。一つは、信憑性のある言動になっているか。これは主観的なものだな。もう一つはカメラの位置。どこからこの人物を撮るべきか?監督業はよく大規模なサーカス団に例えられる。たしかに、9割の仕事は資金と資材の調達と、人材確保だ。文脈に沿って、目的通りの正しい表現ができる制作チームが重要だ。映画は、時間を編み出し、言動を造り出し、光でさえ作り出す。観客が観るのは、我々が見せるものだけだ。監督は、観客が観るもの聞くもの全てをコントロールする。私がスクリーンで見せた要素が、観客の心の中に感情を起こすことを願っているよ。かつて映画プロデューサーのルイス・B・メイヤーが言ったように、「映画ビジネスの素晴らしいところは、お客さんは“記憶”だけを買いに来ているということだ」。それが作品を撮るということだ。

現在、撮影に取りかかっているスティーグ・ラーソンの『ミレニアム ドラゴン・タトゥーの女』ハリウッド版について伺ってもよいですか?

フィンチャー:最初に断っておくが、これはリメイク作ではないんだ。スティーブン・ザイリアンが原本の中からいくつかのシーンを使用して書き下ろした脚本がベースになっている。でもそれは本の段階の話だ。作品がどうなっていくかについて、まだ答えを用意していないよ。でもどこかしら『チャイナタウン』(1974年)的な要素を持ったものになると思う。スウェーデンの映画は、どこかしらハリウッドスリラーの要素がすでにある。だからスウェーデンに実際に撮影に行って、スウェーデンの映画を撮るんだ。この制作過程は大切だと思うよ。

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監督:デヴィッド・フィンチャー
出演:ジェシー・アイゼンバーグ、アンドリュー・ガーフィールド、ジャスティン・ティンバーレイク、ルーニー・マーラほか
原作:ベン・メズリック著『facebook 世界最大のSNSでビル・ゲイツに迫る男』(青志社)
日本公開:2011年1月15日(土)

原文 デイヴィッド・ジェンキンス
翻訳 佐藤環
※掲載されている情報は公開当時のものです。

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