パルコ・プロデュース公演近代能楽集より『卒塔婆小町』東京公演 撮影:御堂義乗
2010年09月30日 (木) 掲載
美輪明宏、という人物を説明するのはやや難しい。彼は、現代日本の“スーパースター”であり、日本人の精神的支柱とも言える大きな影響力を持つオピニオンリーダーだ。シャンソン歌手、俳優ならびに舞台のトータルプロデューサー、作家、スピリチュアルリーダー、テレビ界の大物。たとえばアメリカのメディア界の大物として著名なオプラ・ウィンフリーのように、活動が多岐にわたっていて、社会に及ぼす影響力も甚大な人物のために、ひとことで説明するのが難しい。だが、現代日本文化を理解するためには、美輪明宏という存在は必要不可欠だ。
その美輪明宏による“音楽会”が、2010年10月1日(金)から24日(日)にかけ、パルコ劇場で開催される。『美輪明宏 音楽会』は、毎回ファンが楽しみにしている恒例のイベントであり、シャンソン歌手としての彼の魅力のみならず、トークを堪能できるまたとない機会だ。美輪明宏の“トーク”は特別で、全国放送のテレビ番組でも、彼の人生指南は国民から絶大な支持を受けている。彼は日本の芸能人で初めてゲイであることを公表した人物で、長い間差別と戦い続け、苦難を乗り越え、魂をゆさぶるシャンソンを歌いあげてきた。その生き方が語る言葉に重みを与えるため、現代日本人は美輪明宏という人物を、不透明な時代におけるこころの灯台のようにとらえている。そんな彼のバラエティ豊かな各方面での活動に共通するのが“舞台”。舞台に立ち、人々のこころに光を届けること、それが演劇であれ、テレビであれ、音楽会であれ、美輪明宏は舞台に生きる人である。
演劇で言えば、この夏、美輪明宏が演出・美術・衣裳・音楽・振付のすべてを担当し、かつ主演した舞台『近代能楽集より 葵上・卒塔婆小町』が日本全国の劇場で上演された。能作品を三島由紀夫という日本文学の天才が、現代人に向けてアレンジした一連のシリーズが『近代能楽集』で、美輪明宏の当たり役として、再演され続けている。
三島由紀夫は、ノーベル文学賞の候補にたびたび名前が挙げられた、20世紀日本文学を代表する作家。その三島自らが美輪明宏の才能を認め、信頼し、『葵上』と『卒塔婆小町』の舞台化を依頼したのが1968年のこと。美輪明宏は、10代の頃から、多くの国際的な文化人にインスピレーションを与えたパフォーマーというだけでなく、西洋文化と日本文化、芸術全般に該博な知識を有し、多方面に亘って意見を発する著述家でもあるという、肉体と言語両面にわたってずば抜けた才能とキャリアを持つ稀有な存在だ。
それが何の舞台であれ、ステージに立つ彼の姿を見て、細部にいたるまで美輪明宏の世界観が反映された舞台を体験すると、非常に明快な一本の筋が通っているのがわかる。美輪自身が引用している三島由紀夫の言葉が、そのすべてを表現している。「芝居は理屈ではない。面白ければいいんだよ」と。
言語、文化、国境、時代、という多くの“壁”をやすやすと超えて、日本の伝統芸能が外国人客のこころの深いところにうったえることができるのも、結局は“生=Live”で体感するステージにおいて普遍的に通用する基準をクリアしているからだろう。それはつまり、“生=Live”を感じさせる契機を観客に与えるか、否か、である。仏教圏では、“カルマ=業”という観念がある。前世において犯した罪の償いを現世でしなくてはいけないのだ。輪廻転生という、物理的な時間・空間を超えて魂が繰り返し生まれ変わり続けるという概念は、どこか空恐ろしくて、無常観を抱かせるものがある。だが不思議なことに、“生きていること”の苦しみを覚えれば覚えるほど、“生の喜び”もまた大きくなることがあることを、多くの人間が知っている。
現実的な世界では、善と悪の間にはっきりと線引きがされているが、それは近代以降の物差しで作られた価値観であり、必ずしも人のこころの内的な動きに合致するとは言い難い場面に出くわすことがある。多くの文化人に愛され、現代日本では国民的なメディア人と言える美輪の“舞台”は、ときに堅苦しくもある現代的な価値観から観客を解放するマジカルな力を持っている。
どのような舞台であっても、美輪明宏のパフォーマンスは“生きること”の根本に何かを問いかけ、そして勇気付けてくれる。日本の伝統芸能、現代演劇、戦後の大衆文化、シャンソン、これらのすべてのエッセンスが、美輪明宏の提供する舞台に結晶化する。75歳を過ぎた今も、新たにに彼のファンとなる若者がたえることのない、美輪明宏の姿を生で見て、彼の歌とこころのメッセージにひたって欲しい。
『美輪明宏音楽会〈愛〉』の詳しい情報はこちら
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