2010年11月22日 (月) 掲載
渋谷にオープンしたばかりのライブハウス『渋谷 WWW』でのライブ『Touch My Piano vol.1』や、西麻布にオープンしたライブハウス『新世界』でのライブ『息と手で新世界-アルバム「フェルト」以来の再会-』など、2010年末までのさまざまなライブに登場する渋谷慶一郎。最近では断食活動も話題となっていた渋谷に、断食や日常的に続けているヨガ、そしてもちろん音楽、ライブについて、話を聞いた。
断食していたんですよね。
渋谷:一度身体をリセットしたいと思って、体内洗浄ですね。アラフォーに近づいてきたから(笑)気をつけないと、と思って。
今日も、このインタビューの前にヨガをやったとツイッターでつぶやいていましたが、それも、体のことを考えてですか?
渋谷:忙しいと何もできなくなって、本当に、10分とかもとれなくなるんです。例えば、色々な締め切りが毎日くる時期があって、そういう時は何もできなくなってしまうから、そうじゃない時は、なるべく1日1時間くらいはとって、運動するようにしています。
ヨガ以外にも運動しているんですか?
渋谷:その時のトレンドがあって、一時はプールで泳いで、一時は走っていました。今はヨガですね。思想的にということよりも、効率が良いと思っていて。例えば、走って汗を流す人も、走る前に柔軟運動をしますよね。柔軟運動をするのに2、30分かかって、1時間走ったら1時間半でしょ。でも、ヨガは、体をのばすことによって汗が出て、1時間で済むのが効率的だなと思っています。僕、制作をする時は、自宅のスタジオで完全にひとりきり、自分の時間でやるから、何も律するものがない。そうすると、何時に集まって、何時までやりなさい、と強制されることが、新鮮なんですよ。
ヨガの集中力みたいなものが、制作に影響したりもしますか?
渋谷:あると思いますよ。集中力はもともとあるほうなんだけど、やっぱり体力が知らない間に落ちていくことがあるらしくて。徹夜とか、何時間ぶっ続けで作業するとか、僕は今のところ全然、大丈夫なんだけど、体力落ちたらできないでしょ。音楽の場合は、知力よりも体力のほうを使うから、知らない間に体力が落ちるということは、知らない間にクオリティが下がるという、致命的なことにつながるから、その予防には気をつけていますね。
体力がなくなることが、どう音楽制作の質を下げるんですか?
渋谷:作曲は、トライアスロンみたいなもので(笑)、作る前は、コンセプトとか、色々難しいことも考えるんだけど、いざ作り始めるともう何も考えないから、頭を使っているという意識もない。ひたすら集中して作業しているだけ。でも、体力がなかったらそれがこと切れるわけじゃない。だから、制作っていうのは、体力がほぼイコールだと思う。
構成を考えることでほぼ90%、曲が出来上がるみたいな作曲の仕方もあるけれど、そういうやり方、つまり意識的に作った形式感というのはほぼ、寒く聴こえちゃんです。形式みたいなものが見えてしまうと、冷めてしまうでしょ。デートとかでもそうだと思うけど、いかにもなデートをされると、冷める。音楽も同じなんですよ。いかにもイントロ的なものが出て、テーマが出て、サビ頭がくるというのはやはり、“寒い”。ただ、無意識的に形式ができていくというのは、半分は自分の過去の記憶でできていて、半分は本当の無意識だから、ある種、完全な予測不能でもないし、完全な形式でもない。既知なものと未知なものが、配分良く混ざっているんですよね。僕は、そういうふうに作ることが多いです。
制作している時の源泉はどこにあるんですか?
渋谷:締め切りかな(笑)。最近、演奏から刺激を受けることはあるんだけど、作曲作品から刺激を受けることは本当に少ないです。それは僕自身が色々聴いてきたから仕方がないことだけど。あと、何かを観に行って刺激を受けることもあるし、どこかに行った時にイメージができて作り始めることもありますね。直接音楽というよりもそういう体験からのほうが大きいです。最近だと新しくできた豊島美術館と内藤礼さんの作品はすばらしかった。
良い音楽が少なくなった、ということなんですか?
渋谷:単純に、知っちゃったから、じゃないかな。特に、昔のものじゃなくて、新しいものに関しては、大体、昔にあるもののバリエーションだから。すごく驚くことは減りましたね。興味あるから追いかけますけど。
ここ最近、驚いたものはありますか?
渋谷:この間、共演したOVALの10年ぶりのアルバム『o』は、ああいうものを出してくるとは思わなかったから、驚いたかな。人によっては、昔はすごいデジタルでソリッドで、今回のは、わりとアコースティックでゆるいって聞こえるかもしれないけど、そういうことじゃないと思うんですね。彼とも話したけど、10年くらい色んな音楽を聴いたり、なんか試行錯誤していたらしい。だから、結構、音楽とその状況を知っていると思うんですよ。そのうえで今、どういうものを選択して出すか、って考えたと思う。でね、彼のアルバムを、東京の若い、特別音楽の知識のない女の子にポンと聞かせても、「なんかかっこいい」って言うんです。そういう、女の子たちが「おしゃれ」だと言う風通しいいものを、ドイツの田舎のほうで、ひとりでコツコツ作ったっていうのが面白いな、って。例えばドイツのものでもフランスのものでも、ちょっとエクスペリメンタルなものを、あんまり音楽の知識のない子とか文脈を知らない子に聞かせると、「これはどういうものなの?」っていう反応が多いんです。ポンと聴かせて、なんかおしゃれっていう反応だったのが、珍しい傾向だな、って思って。
OVALをはじめ、渋谷さんは本当に色んな人と共演していて、12月4日には清水靖晃さんとのライブがありますよね。清水さんとは、3月に共演して以来ですか?
渋谷:そうですね、この間、打ち合わせしましたよ。打ち合わせっていうか、飲んだというか食事したというか(笑)。今回は、会場が全然違って、『新世界』っていう、もともと自由劇場だった場所をライブハウスみたいに使うっていうコンセプトの場所なんです。3月にやった『東京芸術劇場』はホールだったから、かなり広くてステージがあって、残響があって。今度やる所はデッドで密室性が高い。
清水さんから誘っていただいたんだけど、全く同じことをやるのは無理だから、もし2回目もホールだったら、前回のライブを深めるのでも良かったけど、今回は全然環境が違うし、2人ともできることがもっとあるから。全然違うやり方にしませんか、っていう提案を僕からしました。ピアノが入り口から入らないことがわかったから(笑)、会場にあるアップライトを使うしかなくて、そうなると、ピアノとサックスというよりは、1時間半の、全体を通してショーになっているようなもののが面白いんじゃないかな、って。場所的にも、広くないから、スタンディングになると思うんですよね。
僕は清水さんを、1989年に出たアルバム『ADUNA』の頃から聴いていて、まだ中学生だったんだけど、クアトロでやったライブに、チケットを買って観に行ったんですよ。その時、すごいダンサブルで、もちろんスタンディングでお客さんも踊ってて。『新世界』のオープニングに行って会場見た時、そのライブがフラッシュバックしたんです。清水さんは最近バッハのイメージが強いから、「清水靖晃のサックスで踊る」っていうのは、すごくレアで面白いんじゃないかな、というのもある。僕もコンピュータを持ち込むし、TR-808っていうアナログのすごくグルーヴがいいリズムマシーンも持って行くし。基本フロアで、フィジカルなライブにして、その中に時々、ピアノとサックスだけになって、『スターダスト』やったり、自分たちの曲とかバッハやったりっていうのが挟み込まれる感じかな。だからビートがばっと止まって、いきなりバッハになったり、みたいな自在さがあるといいなと思ってます。“フロア”と“フロアじゃない”ものを混ぜるっていうのを、僕もやってみたかったから、良い機会かもしれないですね。
ライブとか、コンサートっていうよりも、本当に、劇場のショーのようですね。
渋谷:そう、ショーですね。フロアで踊れるようなものをやるのって僕も好きなんだけど、生楽器が入ってっていうのはあんまり成功していないと思うんですよ。テクノのイベントにパーカッションが入るとか(笑)、妙な土着性が出て、かっこいいと思うことがないのだけど、清水さんのサックスの演奏はいわゆるジャズの文法には収まらない、抜群にセンスがいいものだから、デジタルのビートとも合うんですね。実際、FPMの田中さんもフィーチャーしてたりする。だから、いわゆる踊らせるためだけじゃないイベントで、踊るっていうことができるんじゃないかな。
清水さんは、渋谷さんの20歳くらい年上ですよね。渋谷さんは年上の方との共演が多いですね。
渋谷:若い人も求めているのだけど、何故か年上が多いですね。清水さんどころじゃなくて、刀根康尚さんとか、高橋悠治さんは70歳を超えているから(笑)。でも、若い人のほうがあんまり横断的じゃないというか、テクノならテクノ、音響なら音響っていうふうに、ひとつのことをやり続ける人が多い。でも、僕は色々やるのが好きだし、できちゃうから、そうすると一緒にやる相手も色々できる人がやりやすくて、それは、年長の人のほうが多いということなんだと思います。そう、若い人とやりたいんですけどね。
若い人で、面白いと思う人はいるんですか?
渋谷:マイア・バルーとポップミュージックを作るのは面白いかもと思ったりしました。あと最近、宇多田ヒカルさんの声がいい感じに変わってきていて、いいなと思いましたけど。
若い人で、道場やぶりみたいな人はいないんですか?
渋谷:デモテープを聴いてくれ、っていう人は多いけど、デモテープを聴いてくれ、ってものすごい抽象的なお願いで、何のために聴いてほしいのかがわからないんですよ。ATAKからリリースしたい、っていうならわかるけど、今はレーベルのこともほとんど僕ひとりでやっているから、僕のレーベルから何かをリリースするということは、僕がその作品のために働くということになるんです。だから、よっぽどじゃないと、この忙しいのに、自分の時間を使って、ということにはならないですよね。だから覚悟して渡してほしい(笑)というのは冗談ですけど、なかなか簡単なことじゃないです。あと、今年は、僕自身が忙しかったから、リリースが止まっちゃったけど、来年は再開しようと思っています。
来年のリリースはピアノですか?
渋谷:ピアノもあるし、電子音楽もあるし。あと、ピアノから僕のファンになってくれた人が多いんだけど、そういう人が聴いたらびっくりするくらいノイジーでパンクなコンピュータの音楽もたまっているから、それも整理したいな、と思っています。
同じ人がやっているとは思えない音楽です(笑)。
渋谷:よく言われます(笑)。僕も、人の2倍働いているような気がする。コンピュータの作品の準備をしている時は、ピアノが完全に止まるし、ピアノの作曲している時はコンピュータが止まるし、完全に人の2倍生きている感じがするけど、使い分けている気は全くしない。
ピアノのアルバムを出した時、コンピュータの作品を知っている人に、予想していなかったくらいリリカルで美しくて、って言われた。だけど、ある“メディア”があったら、それを最大限有効に使う、っていうのが、ものを作るっていうことだと思うんです。だから、例えば、コンピュータでやっているようなことを、鍵盤をぶったたいてピアノでやっても、ピアノっていうメディア、楽器が持つイメージでは、コンピュータと同じような衝撃を与えられない。逆に、コンピュータの音で、ドレミがいっぱい鳴っていたりするのはあるけど、それはやっぱりピアノとか生でやったほうが良いし、コンピュータにはコンピュータの生音があると僕は思っているから、データーがねじれて出てくるような音で新しい音楽を作りたい。
ただ、ピアノでもコンピュータでも、同じようなインパクトが立ち上がれば良いと思っている。美しい、もそうだし、すごいうるさい、とか、もっと言えば、悲しいっていうのも、嬉しいっていうのも、俯瞰して観れば、エッジが立っているという意味では同じでしょ。エッジが立っていないというか、衝撃を受けない音楽はあまり意味はないけど、その衝撃の“種類”には、僕はあんまり違いはないと思うんです。
受け止め方の感情の種類が違うだけで、何かしら気持ちが反応して、エッジが立つといことですか?
渋谷:ちょっと達観してみると、悲しいとか嬉しいとか、波風が立たない人生はあんまり面白くないでしょ。すごく嬉しいとか悲しいとか起伏があるほうが豊かだし良いと思うんです。自分が自分を空から見たら喜んでも悲しんでいるのも、それほど変わらないから。
破壊的なことだったり、斬新なことばかりをエッジーだと思っていたけれど、感情もエッジーになりえるんですね。
渋谷:破壊的、というのは、ある種のアンチテーゼだから。アンチテーゼが有効な期間は過ぎていて、あんまりアンチによって何かが変わることはない。あと、肯定力と否定力を考えると、肯定力のほうが強いと思うんですよ。否定でできることは限られている。だから、ピアノをやる時も、これはやらない、あれはやらない、例えば、三和音弾かないというのが実験音楽のやり方だったんだけど、そうすると、どんどん表現がか細くなっていってしまう。三和音を弾かなくちゃいけないわけじゃないけど、弾いても良い、っていう感じでいると、思いがけず新鮮なものが作れることがある。それはもうコンセプトじゃなくて、態度の問題ですよね。
よく若い人が、渋谷さんは調性で書けるからすごいとかいうけど、僕は調性なんて考えたことがない。僕にとって大事なのは、時間をどう彫刻的に彫っていくかということで。音楽の中では、感情をぐっと引き寄せる瞬間と、すごく遠くに突き放す瞬間がないと飽きちゃうから、それに必要なことはなんでも使えばいいし、もはや考えてできるようなことじゃないのね。で、ピアノでもなんでも現象としては単なる響きの連続でしかないわけだから、調性的に響くところもあれば、非調性で響くところもあって良いんですよ。調性で書くとか、非調性で書くとかいうのもコンセプチュアルな態度でしょ。コンセプチュアルっていうこと自体が、否定の概念に基づいているとわけで、それは現在あんまり有効じゃないと思う。自由じゃないっていうか、そういうのはもういいからもっと自由に作りたいという気分です。
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WWW presents『Touch My Piano vol.1』
清水靖晃+渋谷慶一郎『息と手で新世界-アルバム「フェルト」以来の再会-』
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