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2010年08月26日 (木) 掲載
ハリウッドの超大作映画『インセプション』。レオナルド・ディカプリオや渡辺謙といったキャストが話題を呼んでいるが、映像作家として高い評価を受けているクリストファー・ノーランの監督作品ということもあり、幅広く映画ファンを魅了している。ロンドンやニューヨークでも同様に注目を集めており、興行成績は上位にランクインしている。では、それぞれの都市の映画評論家は、どのようにこの作品を観ているのか。タイムアウトマガジンから『インセプション』映画レビューをお届けする。
夢とはおかしなものだ。見る者を魅了する。しかし、他人の夢というのは、フロイトを頼りにでもしない限り、イギリスの田舎町の遅い朝のように気怠いものだ。だがクリストファー・ノーランにかかれば、倦怠感はなくなり、そして面白い題材へと変わる。ノーランは『メメント』や『ダークナイト』を手がけたイギリス人映画監督。彼は、曖昧で、決まりがなく、複雑で、周りくどい夢の世界を、ミッションを抱えた男たちを登場させ、速いテンポで、目を見張る映像を駆使して表現した。夢の世界には、破壊されるパリの姿や、騒音をたてて進む線路が要らない列車などが登場する。眠っている間の話だからと言って、最高に難しいテストを終わりなく受け続ける夢や、空港にいながら永遠に飛行機に乗れない夢は出て来ないのだ。
ノーランは一つの大きなアイデアを土台にして、スタント、効果、街、俳優といった複雑な要素をまとめあげた。ノーランがつくった世界では、体に点滴の管をつなげることで眠った人間の潜在意識に入り込み、夢から情報を盗み取る事が可能だ。これは、エクストラクションと呼ばれている。そしてさらに、盗み取るのとは逆に、人の意識の中へ、新しい考えや情報を移植する行為、インセプションも可能となっている。この行為のエキスパート、ドン(レオナルド・ディカプリオ)とアーサー(ジョセフ・ゴードン・レビット)は、新人のアリアドネ(エレン・ページ)とイームズ(トム・ハーディ)を伴い、職務を実行する為、東京、パリ、モンバサを飛び回る。このチームに職務を与えたのは、ビジネス界の有力者ロバートを追っているサイトー(渡辺謙)という男。その目的は、金や情報など様々だ。だが、ディカプリオ演じるドムには、違う目的があった。それは、整理できないでいた妻モルとの思い出を精神的に浄化し、なくした記憶を取り戻すこと。
ノーランが超エンターテインメント作品を作ったことに対しては、多くの人が喝采を送るだろう。インセプションは、他の優れたSF映画のように、しっかりとしたアイデアと巧みな映画づくりの上に成立する純粋なファンタジーであるということを、充分にアピールした。しかし、ファンタジーでありながらも、眠りの世界を、リアルに描いてもいる。ノーランの映画は夢のように、光の中へと速く消えていくようだ。しかし、映画が続いている間は、意味を読み解くのがなによりも重要なことだと、思わせるのだ。
5億3300万ドル。誤解を避けるために言っておくと、この金額は映画『インセプション』の制作費ではない。この金額は、脚本家・映画監督クリストファー・ノーランの前作『ダークナイト』の、米国内の興行収入の総額だ。いつもトレンチコートを身にまとっている大男で頭脳派のノーランは、近未来的な映像表現だけでなく、楽しめる要素も多分に含まれた“豪華な化け物映画”と共に、ジェームス・キャメロンしか到達できなかった領域へとたどり着いた。まだ40歳そこそこの映画人だが、ノーランはキャメロンのように、己の全てをこのファンタジーに賭けた。我々は、ハリウッドがはじまって以来の“最大のリスク”を目撃しようとしているのかもしれない。
『インセプション』は『アバター』ではない。むしろ、『アバター』がそうであるべきだった作品だ。最初の1時間は轟音が続き、他人の夢の中へと侵入できるテクノロジーがお披露目される。主役のレオナルド・ディカプリオが、昔から女性ファンの夢の中に登場してきたように。心に闇を抱える企業スパイ、ドムを演じるディカプリオは、常につきまとい続けた“天才子役の飾り立て”を完全に脱ぎ去り、役者として脱皮を遂げたのかもしれない。ドムの仕事は数千億ドルの価値を持つアイデアを、人の頭の中から盗み出すことだ。彼は自分の子供に会えない状況に陥ってしまい、恩師のマイルズ(『ダークナイト』の執事役マイケル・ケインが好演する)からは「現実に目を向けろ」と忠告を受ける。
誰だって夢から目覚めて現実に戻りたくはない。ノーランはこの脚本を数年にわたり密かに温めてきた。『インセプション』の基礎は、定番の(だが楽しめる)“最後の仕事”が軸となり、そこから展開してゆく。ドムは、日本人でミステリアスなエネルギー界の大物(渡辺謙)に雇われ、ライバル社の若き次期社長(キリアン・マーフィー)の頭に、“父親の仕事を継がない”という考えを埋め込もうとする。映画が進むにつれ、天才的な職人たちが集結する様は、疑似科学映画『バカルー・バンザイの8次元ギャラクシー』のようだ(この素晴らしいカルト映画をまだ観たことがなければすぐに観ること)。集められたのは睡眠薬のエキスパート、科学者のユスフ(ディリープ・ラオ)、迷路の建築家(『ジュノ』のエレン・ペイジ)などだ。
彼らが机を囲んでナンセンスな企てをしているのを観ているだけなのに、なぜこうも惹き付けられてしまうのだろうか。映画スタジオの制作資金をスタイリッシュにさばくことにかけては、デヴィット・フィンチャーとノーランの右に出るものはいないだろう。まず、息をのむ情熱により、物理の法則は存在しないも同然になる。 街はたたみ込むように折り曲げられ、橋は怒った猫の背中のように急速に盛り上がる。まるで夢の世界そのものだ。映画のはじまりと同時に、観客はスローモー ションの目眩の中に引きずり込まれる。
『エターナル・サンシャイン』やクリス・マルケルの永遠の名作『ラ・ジュテ』のように、ロマンティックで詩的な無意識の幻想曲を忠実に追い求めることで、『インセプション』はただの作り話の域を超えることに成功している。ドムの見る夢には女が現れる。彼女はいつも目に涙をためて、彼の行く先を阻み、にらみつける。名前はモル(『エディット・ピアフ~愛の賛歌~』でエディット・ピアフ役を熱演したマリオン・コティヤール)。やがてこの女性はドムの妻で、すでに亡くなっているとわかる。ドムが創り出す夢は、まだたどり着いたことのない場所なのか、はたして彼を苦しめる地獄の記憶なのか。
物語は前触れもなく展開する。既存のルールブックは参考にならない。いまだかつて、『インセプション』ほど夢の論理や構造にこだわった映画があっただろうか。少なくとも大衆向け商業映画ではなかった。この作品が見せる大胆さは、今後同様の映画の参考にはならないかもしれない。突如、空気を切り裂く轟音と共に列車が駆け抜ける(比喩ではなく、実際に)。意識を失った登場人物たちが無重力空間のエレベーター内に浮かぶ。ペイジ(残念ながら今回はコメディセンスを活かす役ではない)は雪山の要塞で武装した軍隊に包囲される。一言でいえば“要緊急救助”な状態だ。
だが、映画館のききすぎた冷房の音以外で、強烈な何かが身を包むのは、ひさしぶりの体験だ。現実逃避こそがこの夏のゴール。いや、映画そのもののゴールかもしれない。ノーランはこの分野において最高峰の作り手であり、彼は観客にも同様に求めてきた。彼の鮮烈なデビュー作『メメント』のように、観客に対してもキャッチアップが必要な挑戦をつきつけている。ハンス・ジマーの音楽は、ジェームズ・ボンドのサウンドトラックのような不吉なチューバ音を鳴り響かせているが、これは善と悪と銃撃戦だけの映画ではない。
ストーリーの中で使用される“キック”とよばれるテクニックは、ドムの説明によるとチームメイトを夢の中の仕事から目覚めさせるために使われる。ノーランはこういったテクニックの折り込みが得意だ(『プレステージ』では魔術の最中につぶされる不幸な鳩がそうだ)。『インセプション』の幾層ものキックや、象徴学や、断続的な恍惚感をくぐり抜けた先には、未踏の真実が待ちかまえているのだろうか。恐らくそうではない。だがそう、夢見ることはなんて甘美な体験なんだろう。
タイムアウトロンドンレビュー原文へ(Time Out London / 15-21 July, 2010)
タイムアウトニューヨークレビュー原文へ(Time Out New York / 15-21 July, 2010)
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