ⓒ2011「ヒミズ」フィルムパートナーズ
2011年12月12日 (月) 掲載
海外でも高い評価を受けた『愛のむきだし』以来、日本映画の新たな顔となった園子温監督。以降、実際にあった連続殺人事件にインスパイアされた『冷たい熱帯魚』、ラヴホテル街でおこった殺人事件を軸に女性の内面に深く斬り込んだ『恋の罪』と、衝撃的な犯罪をめぐって繰り広げられるディープな人間ドラマを〈園節〉ともいえるドラマティックな演出で描いて来た監督が、初めて原作付きの作品を撮った。『ヒミズ』は古谷実が2001年に発表したベストセラーコミックを映画化したもので、粗末な貸しボート屋で暮らす中学生、住田(染谷将太)と、住田を一方的に愛する少女、茶沢(二階堂ふみ)の物語だ。父親は借金を作って蒸発、母親は働かず愛人を家に引っ張り込むなど、最悪の家庭環境で育った住田の夢は、〈普通の〉大人になること。それは夢というより、両親という最低な大人たちや夢を安売りする社会への反撥だ。いっぽう、茶沢も母親から「もう、死んでよ」と言われている。家族からも社会からも愛されず、未来を失った子供たち。そんな二人を見守るのは、ボートハウスの周りでテント生活を送る、震災で家を失った被災者たちだ。そう、この映画では撮影準備中におこった東日本大震災を大胆に映画に取り込んでいる。映画の中で何度も登場する被災地の風景。そこに独り佇む住田の姿は、荒んだ日々を送る住田の内面と、震災以降、日常が崩壊してしまった日本人の内面を二重写しになっている。
映画の中盤、そんな住田の人生を、決定的に変えてしまう事件が起こる。住田が父親を殺すシーン。園作品では珍しくクレーンを使い、まるで天から見下ろすように、この罪深い行為の一部始終を長回しで捉えていく。ちっぽけな人間の大きな罪。父親を殺してから、自殺することも、警察に自首することもできない住田は、これからは〈オマケの人生〉だからと、包丁を隠し持って街を彷徨い、社会のダニ(彼らもまた若者たち)を始末することで生きている理由を見出そうとする。顔中にベタベタと絵の具を塗って自滅へと向かう姿は、まるで『気狂いピエロ』のジャン=ポール・ベルモントのようだ。そして、死に向かって突き進む住田を、茶沢は必至に〈生〉の側に引き止めようとする。殴り合い、わめき合いながら、絶望と闘う住田と茶沢を、染谷将太、二階堂ふみが、なりふりかまわず、剥き出しの演技で熱演(あんなにブチ切れる染谷の演技を見たのは初めて)。ヴェネチア国際映画祭最優秀新人賞W受賞はダテじゃない。果たして、住田と茶沢は繋がることができるのか? その答えはラストで明らかになるが、ここで原作とは違った結末を迎えることになる。これがあらかじめ考えられていたものだったのか、震災があったことが影響しているのかはわからないけれど、茶沢の最後のセリフ「がんばれ、住田!」は、この映画のもっとも重く重要なメッセージだ。巷に溢れる「がんばれ、日本!」とは明らかに響き方が違う。何が違うのか? それは映画を観た観客にはわかるはずだ。茶沢が劇中で何度も読み上げるフランソワ・ヴィヨンの詩の一節「自分以外のことならなんでもわかる」は、思春期の住田と茶沢を現すような言葉だが、そんな若者たちに希望を託したいと命がけで奮闘する年老いた被災者、夜野(渡辺哲)。漫画では異様な化け物(妄想)が住田を死に引き寄せようとするが、映画ではその役割を廃墟になった被災地が果たしている。震災以降、非日常な日々を過ごすなかで、ただでさえ自分が何者かもわからない子供たちは、どこへ向かって歩き出せば良いのか。園作品のなかではかなりストレートな内容で、過激なセックスも、血まみれのバイオレンスもないけれど、ここには〈青春〉という甘い響きを打ち抜くヘヴィな爽快さがある。
公開:2012年1月14日(土)
劇場:新宿バルト9、シネクイントほか全国ロードショー
監督・脚本:園子温
出演:染谷将太、二階堂ふみ
渡辺 哲、吹越 満、神楽坂 恵 光石 研、渡辺真起子、黒沢あすか、でんでん、村上 淳
窪塚洋介/吉高由里子/西島隆弘(AAA)/鈴木杏
ウェブ:himizu.gaga.ne.jp/
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製作・配給:ギャガ
ⓒ2011「ヒミズ」フィルムパートナーズ
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