2014年12月25日 (木) 掲載
デヴィッド・アイヴスの同名戯曲が元となった演劇『毛皮のヴィーナス』(戯曲自体はSM文学の古典『毛皮を着たヴィーナス』)はある劇場を舞台とした二人芝居である。女優のオーディションを行う監督の話で、SM的な主従関係を喜劇にしたものだ。しかし、その程度では満足できなかったのか、監督ロマン・ポラスキーは泥沼化したストーリにしただけでなく、女優ワンダ役に自分の妻であるエマニュエル・セニエをキャスティングし、新米監督トーマス役にはマチュー・アマルリックを選んだ。トマの容姿やスタイルは若い頃のポランスキーそっくりなのである。
新たな意味を増やし、生まれ変わった『毛皮のヴィーナス』は誘惑と力、そしてセックスの物語だ。ポランスキーは、片方の足を現実世界に置き、もう一方を演劇、芸術、文学の世界に置いている。物語は、無造作で一風変わったコメディーのような雰囲気で始まるのだが、最終的には不思議でヒリヒリするような官能的魅力をも感じることができる。口紅を塗りハイヒールを履いた、アマルリックの後半のイメージは、ニコラス・ローグ監督の『パフォーマンス』(ミック・ジャガーが自身に重なる両性具有的イメージの人物を妖しく演じたサイケデリック映画)を彷彿とさせる。
ポランスキー監督の前作『おとなのけんか』も戯曲の映画化であった。この作品では1つのセットでストーリーが展開さるのだが、落ち着いた雰囲気から混沌とした茶番へと流れこんでしまう。一方『毛皮のヴィーナス』は、軽いヒステリーのような感覚で始まるが、進行とともに洗練されミステリアスな雰囲気が強まっていく。 レーオポルト・フォン・ザッハー=マゾッホの『毛皮を着たヴィーナス』では、幼少期に体験した肉体的服従を再現することを命じる女性に夢中になる貴族が描かれているのだが、今作では、ワンダに屈服するトマ、そしてトマを支配する方法を発見するワンダの姿も描かれている。
46歳のセニエ(ワンダ)には、この「若い」女優を演じるには歳をとりすぎているのではないかと思うかもしれないが、それもまたゲームのスパイスとなる。映画が進行するにつれて、彼女は若々しさを増し、演者としての器用さも増していく。アマルリック(トマ)も同じだ。どちらも考え抜かれ、変化に富んだ演技を見せる。最終的に、セニエが年老いていくことを考えると観客はきまりの悪さを感じることになるが、ポランスキーはワンダの拒絶というトマの思惑に観客を巻き込んでいくのだ。
セクシーなシーンの数々は観客を煙に巻いてしまう。それは、ポランスキー映画が、アイデアを1つの挑戦として観客に提示することによって、4つの壁を超越する手法であり、彼の映画の本来の饒舌さがなせる技でもある。冒頭から「これは無味乾燥な学問的訓練なのだろうか?」、「セニアは適役なのか?」、「最後までこの映画を見続けて楽しいのだろうか」と困惑させられるだろう。演者に流動的な演技をさせ、脱皮を繰り返させることによって、ポランスキーは、この破壊的なゲームに意味を与えている。
12月20日(土)よりBunkamuraル・シネマ、ヒューマントラストシネマ有楽町ほか全国ロードショー 監督・脚本:ロマン・ポランスキー 原作:L・ザッヘル゠マゾッホ 出演:エマニュエル・セニエ、マチュー・アマルリックほか 配給:ショウゲート (C)2013 R.P.PRODUCTIONS-MONOLITH FILMS
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