2014年10月06日 (月) 掲載
今日は何を聴こうかと、リッピングしたりダウンロードした楽曲リストやストリーミングのリンク先を探す人も多いだろう。ただ、ほんの10年前でさえ、ほとんどの人はレコードやCDが並んだ棚を眺めていたはずだ。アメリカのタ ワーレコードはまさにそんな時代を創り、時代をリードしてきた会社だ。世界中の音楽産業だけでなくポップカルチャーにも多大な影響を与え、特に日本では街のラン ドマークとなった渋谷店を始めとして社会現象も巻き起こした。しかし音楽が情報となった現在、ここ日本ではいまなお音楽文化の象徴であり続けているけれども、本国アメリカのタワーレコードは実はオンラインショップのみになっている。
そんな波乱に満ちたタワーレコードの歴史をドキュメンタリーに収めようとするプロジェクトがある。『All Things Must Pass: The Rise and Fall of Tower Records』と題されたこの映画は、タワーレコードの創業者であるラッセル・ソロモンの歩みを軸に非常に多数の関係者の取材を集めたもの。本作の制作にあたり、「タワレコにとって外せない街」である東京を撮影するために訪れた、監督のコリン・ハンクス(なんとトム・ハンクスの息子!)とプロデューサーのショーン・スチュアートにインタビューした。
映画を撮影することになった理由を教えてください。
コリン:ショーンと僕は2人ともカリフォルニア州サクラメントで育ったんだ。サクラメントはわりと小さな町だったからあの土地で発祥したものはほかになかった。だからサクラメントで創業して世界規模の大会社になったタワーレコードはとても誇りに思っているよ。
タワーレコードがアメリカで閉店し始めた時に(注1)友人が「なんて悲しいことだ……考えてみなよ、1930~40年代に父親の薬局でレコードを売り始めたんだよ」と言ったんだ(注2)。僕は「え?」と聞き返したのを覚えている。友人はタワーレコードの創業者ラッセル・ソロモンのことをいろいろと説明してくれた。僕はそれまで彼の人生やタワーレコードが始まった経緯を知らなかったんだけど、それを聞いて「いいドキュメンタリーになりそうだ」とすぐに思ったんだ。その2週間後、当時僕が住んでいたニューヨークにショーンが訪ねてきて、彼に「ドキュメンタリーのアイデアがあるんだけど、協力してくれないか」と尋ねたんだ。それから僕たちの(映画制作のための)7年の旅が始まったというわけ(笑)。
ショーン:ラッセルの成し遂げたストーリーがすでに素晴らしかったから僕らは考える必要がなかったよ。何もない場所から始まって、何千人ものに人に音楽を提供し、国際的にも定着して、ビジネスを成功させた。素晴らしい話だよね。僕らがこれを伝える必要があると思ったんだ。
コリン:ラッセルやタワレコの歴史はアメリカのポップカルチャーとリンクしていてとても面白いんだ。僕らは、ラッセルがタワレコで働いていたスタッフ=家族を祝福する映画をつくるつもりだよ。タワレコには何千何万もの人たちが働いているからすべてのストーリーを追うことはできない。だから今回はラッセルと親密な関係にある主だったグループ(20~40歳まで長い間ともに働いた人たち)のストーリーを追うことにした。だから、タワレコの歴史についてのドキュメンタリーでもあるけど、ラッセルやタワレコの家族についての話でもあるんだ。
タワーレコードにまつわる個人的な思い出を聞かせてください。初めてお店で買ったレコードやCDは何でしたか?
コリン:人生で初めて?初めて渋谷店で費やしたお金の額じゃなくて?(笑) 確かパブリック・エネミーのレコードを買った記憶があるな。それが初めてだと思う。あと、カセットのシングルをたくさん買った記憶もあるよ。それから確か、ストーン・テンプル・パイロッツのライブのチケットも買った気がする。
ショーン:ああ、買ったね(笑)。コンサートのチケットを購入できたのもタワレコの魅力のひとつだったよね。ストーン・テンプル・パイロッツのライブは確か、1994年のアクアアリーナ?
コリン:そうそう、2列目!
ショーン:僕が初めて買ったレコードは覚えていないんだけど、父が薦めてくれたジミー・クリフの『Many Rivers to Cross』を買ったのはいまでも鮮明に覚えているよ。
私が初めてタワーレコードを訪れたのは高校生の時、当時渋谷店はまだセンター街にありましたが、あの体験は衝撃的でした。
コリン:多くの人が同じような感情を持っていると思うんだ。僕も子どもの頃に初めてタワレコを訪れた時に似たような体験をしたよ。だからこそこのドキュメンタリーをつくっているんだ。大人になった僕が子ども時代、青春時代を祝福している感じだね(笑)。
ショーン:音楽を愛している人にとって音楽がそうであるように、タワレコ自体が文化の中心であるように感じるね。タワレコはどの場所にあってもそこの文化のハブになってしまう。
お二人が初めてタワーレコードを訪れたのは1994年頃だそうですね。当時タワーレコードは海外展開を進めていましたが(注3)、他のレコードストアと比べてタワーレコードにはどのような特徴があったと感じましたか?
ショーン:やっぱり売り場だよね。
コリン:売り場とカタログの深さ。僕らは当時まだ若かったからお店ごとの違いには気づかなかったけど、それでもタワレコは他の小売チェーンと比べてもセレクトの幅が広かったし良いものを選んでいた。サクラメントに初めてヴァージンメガストアがオープンした時は興奮したけど、セレクションがタワレコとは全然違ったね。
ショーン:タワレコはいつもエッジがきいていたし、音楽への愛があった。店にある商品を見て彼らが何をしていたのかを感じ取れた。ビジネスをする方法にはたくさんのやり方があって、それを使ってビジネスをつくっているのだと感じられたね。タワレコがあることで町に個性も出たし。それに比べるとヴァージンメガストアはデパートみたいで、タワレコと同じような感じがしなかった。
コリン:そうだね。タワレコにはそれぞれの店がその地域の代表であるというプライドと事実があるんだ。だからタワーレコードという同じブランドではあるけどそれぞれの店は違って見えたし、そう感じるようなセレクトがされていた。そうやってスタッフも彼ら自身のお店をつくりあげていったんだ。執行役員が「これを売れ」と命じることはなく、彼らが客の欲しがっているレコードを仕入れることができたし、やりたいように提供できたんだ。逆に執行委員はお店から「いま何を販売しているか、何がいいか」をリサーチしていた。
ショーン:当たり前だけど、ほとんどの会社が何かをやる時はとてもきれいで快適なイメージを持ち続けたいと思っているものだよね。でもラッセル・ソロモンはスタッフに好きなことをさせてあげるというユニークで面白いビジネスモデルをつくりあげたんだ。だってスタッフには長髪の人もいれば牧師の格好をした人もいたんだよ?(笑)
コリン:タワレコで働いていたスタッフは地球上で一番クールな人たちだったね。タワレコは僕が働きたいと思った唯一の小売店だよ。大学時代に採用に応募したけど応募者がたくさんいすぎて結局雇われなかったね(笑)。
ショーン:大きい会社にはあらゆる人が集まるビジネスモデルなんて普通ないよね。そういうユニークな環境がいいんだよ。それが、僕たちがこの会社を愛している理由でもあるし、このドキュメンタリーを愛している理由でもある。
実際にラッセル・ソロモンに会ってみて、第一印象はいかがでしたか?
コリン:初対面の人にいきなり「あなたの人生についてのドキュメンタリーをつくりたい」なんて言うのは普通じゃないから僕はとても緊張していたんだけど、リラックスした彼の人間性に吹き飛ばされたね。当時彼は82歳だったんだけど、まるで現代の若い男性と話しているみたいで。レーザーみたいに知力が鋭くて、面白いし、素晴らしい人だね。
ショーン:多分、君が会ったことのある人のなかでも一番謙虚な人だと思うよ。「タワレコのドキュメンタリーをつくるなんてクレイジーだね、そんなの一体誰が見るんだ?」って僕らに何度も言うんだ。君も彼にインタビューしたら「クレイジーだ」ってきっと言われると思うよ(笑)。それくらい謙虚なんだ。
コリン:「このドキュメンタリーでどうやってお金を稼ぐんだ?」とも言われたね(笑)。
ショーン:自分の功績を認められようとしないで、代わりにみんなに功績や名誉を与える人。タワレコを創業したのは確かに彼だけど、あの素晴らしい結果に導いたのはスタッフやかかわった人すべてのおかげだと考えていたね。
撮影は主にアメリカと日本でしたんですか?
コリン:撮影のほとんどはアメリカで、それ以外は日本だけ。もっと資金がたくさんあれば世界中で撮影したいんだけどね(笑)。
ショーン:日本はタワレコが存在している唯一の国だから、ラッセルと会社の歴史にとって重要なんだ。
タワレコにとって東京はまだ重要な街だと思いますか?
コリン:まだというより、ずっと重要な役割があると思うよ。タワレコで働いていた人や入社した人、退職した人の歴史を深く掘り下げ始めたら、アメリカ東海岸にあるニューヨークやそのほかの街よりも前に日本での運営を始めていたことに気づいたんだ。そして日本のタワレコは偉大な成功を達成したわけだけど、それは会社にとってもっとも重要な出来事の始まりでもあったと実感したんだ。だから日本を扱わないとタワレコのドキュメンタリーにならなかった。だから日本に来れてとても嬉しいし光栄だよ。僕らに協力してくれるタワージャパンにもとても感謝している。
東京のタワレコとほかの街のタワレコの違いはありますか?
コリン:この取材の2日前に僕らはいくつかの店に行ったんだ。アメリカにはもうタワレコは存在していないよね。だから渋谷店やほかの店に行くと、過去を歩いているような感じがするんだ。これはとても奇妙だけど、いい感覚だね。大きな店、例えばロンドンのピカデリー店には1度行ったことがあるけど、渋谷店は僕がいままで見たタワレコとは違う。音楽の幅の話ではなく、階によって違うし、フロアごとの見た目やそれを目にした時の感情が全然違って、とても感慨深いね。渋谷店のようなタワレコは、少なくともアメリカにはもう存在していないんだ。いままで見たなかで渋谷店が多分最高のレコード店だと思う。
ショーン:日本とアメリカではいろいろと文化が違うけど、音楽の文化や音楽を愛すること、販売や購入については共通点がたくさんあると思うよ。ただ、アメリカではタワレコの衰退から始まって、人が店に足を運ばないようになっている。買い物もせず人との交流もない。これはいろいろな面でアメリカの文化に欠けていることでもある。だけど今回のプロジェクトで日本に来てみると、8階建ての建物がたくさんの買い物客で埋まっている光景を目にしたんだ。しかもみんなスタッフと会話したりしてコミュニケーションしている。これはとても面白い文化だし、重要なことだと思う。日本でこの光景に出合えたことはとても幸せだね。
注1:タワーレコードを運営していた米国法人MTS社は2006年に破産を申請、アメリカのタワーレコードはグレート・アメリカン・グループへ売却された。その後同グループはタワーレコードの資産をすべて清算する方針を固め、店舗における営業の廃業が決定した。なお日本のタワーレコードはタワーレコード株式会社が運営しており、米国法人との資本関係はない。
注2:父が経営するドラッグストアの一角で、ラッセル・ソロモンがレコードを売り始めたのがタワーレコードの始まり。
注3:1968年にサンフランシスコ、1970年にハリウッドに進出したタワーレコードは以降全米に展開。さらに1980年の日本一号店(札幌)の成功を受けて、アジア・ヨーロッパ・中南米へ出店していった。
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