青山悟+平石博一 《Death Song》 ミクストメディア 2012年
2012年02月17日 (金) 掲載
2012年2月7日から目黒区美術館で始まった『メグロアドレス』展は、クリエイターの事務所やショップが並ぶエリア、目黒区に縁のある作家を集めたグループ展だ。出展作家のひとり、青山悟は、古い工業用ミシンで刺繍して作品をつくるアーティスト。新聞や雑誌の記事から戦争や大統領の顔などを写した報道写真を切り抜き、記事の実際の裏側のランダムなイメージとともに刺繍したシリーズ『Glitter Pieces』(『六本木クロッシング 2010』森美術館/2010年など)、6本のバラを潔く刺繍したシリーズ(『芸術家は6本の薔薇を真剣につくらねばならない』ミヅマアートギャラリー/2011年)などと続き、『メグロアドレス』展ではミニマルミュージックの作曲家・平石博一とのユニットで音と映像を交えたインスタレーションの新作を出品してる。青山の踏むミシンの映像と音に、平石の音楽を掛けあわせた内容だ。その、作家としてまったく新しいフェーズへの移行の背後にはどのようなものがあったのか。話は青山の海外留学時代にさかのぼる。
― 青山さんはロンドンとシカゴの美大に留学された経験があるそうですね。
青山:高校がロンドンの日本人学校、その後シカゴの大学院に行って、またロンドンに帰って制作していて、物価の上昇に伴い日本に帰ってきてしまいました(笑)。ポンドが強くなって物価が上がるとルームメイトの数が増えてくるんですよ、たいして広くない一軒家を最終的には7人くらいでシェアしてて、「もう限界だろう」って(笑)。ブル・タックで窓から入る隙間風を塞ぎながら「こんなことやるんだったらもう日本に帰ろう」って(笑)。
― それで、昔から住んでいた自由が丘に戻られたそうですね。子供の頃に住んでいた時と比べて、街は変わりましたか?
青山:すごく変わりましたね。いま駅前で「昭和30年代の自由が丘」を写真で紹介していますけど、昔はもっとのどかな住宅街だったんじゃないかな。小学校の授業で畑にサツマイモを掘りに行った記憶がありますよ。いまみたいなマダムの街ではなかったです(笑)。目黒通りの方までどんどん発展していますよね。
― 6年前の作品ですが、青山さんは自由が丘の家から見た風景をもとにした作品『東京の朝』を制作されていますね。
青山:あれはロンドン時代の最後の方につくった作品だったと思うんですけど、あの時はホームシックだったんですよ。やたらセンチメンタルに東京をとらえているだけという(笑)。
― ホームシックになって、どうしても食べたかった日本食はありました?
青山:むしろ日本では何を食べても美味しいですよ。ロンドンは、イギリスの食べ物を避ければ全部美味しいんです(笑)。
― 日本よりロンドンの方が作家活動しやすかった、と思ったことは?
青山:いや、日本は楽しいですよ。日本のアーティストは面白いと思う。あと、ロンドンだとマーケット至上主義の部分がやっぱりあるけど、日本はアートマーケットに毒されていないし、未成熟な分、いろいろな活動ができて面白いですよね。
― 海外との比較ではなく日本のやり方を見つければいいという話ですよね。青山さんはミシンで作品を制作されていますが、ミシンというツールには情報化産業以前の女性労働者が使うものというイメージもあります。なぜミシンを使うのでしょうか?
青山:基本的に、僕はミシンがもともと持っている言語でしか作品をつくりたくないんです。その言語というのは、例えば労働、機械、産業革命の頃の匂い、テクノロジー、ジェンダーの問題です。マリア像の作品『Maria』も一見宗教画に見えてもミシンという機械でつくられたプロダクトであることが大前提で、徹底的にニセモノなんですね。言ってみればアートの本道ではないわけです。アートの周辺であるミシンから、本道であるペインティングを批評・揶揄する作品なんです。
― 「労働」という言葉は、青山さんの制作におけるキーワードとしてよく登場しますね。
青山:そうですね。アートが持っているスペクタクルさやキャッチーなビジュアルイメージといった熱狂的な部分の裏側には、労働があるわけです。だけど労働しているにもかかわらずいまの資本主義のシステムからはあぶれてしまう部分がある。僕は度々ウィリアム・モリスを参照しているんですが、モリス自身は労働階級ではないけれど、人間の尊厳みたいなもの――ちゃんと仕事をしてちゃんとした生活をするということが危うくなっていることに対してモリスは運動している(注:19世紀末のアーツ・アンド・クラフツ運動を指す)。あの時代といまと変わっていない部分があって、彼の問題提起にはいまも有効な部分があると思うんです。だから例えば『Glitter Pieces』は、表面は労働にまつわる政治的なイメージで、裏面はランダムに選ばれてしまう記事。まったく意味もなく、色もなく、単なる「労働」でしかない。そういうウラを見せたかったんです。
―労働には雇用関係や対価が発生するものですが、そうしたものが発生しない労働を青山さんがあえて実践することで、労働そのものに対する批評になっていると。そうした、社会に対する自分のアートの位置づけは、昔から変わっていないですか?
青山:うーん……「自分は周辺にいる」という、反対意識を磨いていた部分は確かにあったと思うんです。ロンドンの美大で在籍していたテキスタイル科も女性ばかりだったし、いま手芸のような作品をつくっている作家も周りは女性だから、自分は男性としてそれを外側から見ながら批評している意識がやっぱりあるんです。
だけど、最近変わってきましたね。「自分のやっていることこそがアートのど真ん中だ」という態度になれるような、その過程にいまあると思うんです。自分の作品に限らず、何かを否定することで何かを肯定するという否定弁証法じゃないとアートが何も語れなくなったのがすごくイヤなんです。怒りの感情はあるけど、攻撃はしたくない。
―とてもわかります。もはや、何かを否定しても何も生まれなくなっている。
青山:今回の目黒区美術館『メグロアドレス』展で批評家の土屋誠一さんとトークをするんです。そのタイトルが「明るい芸術、明るい未来」。
―「明るい農村」みたいですね(笑)。
青山:そうそう(笑)。「これこそが『明るいアート』です」と言えたら苦労しないと思うんだけど、いまはその問題提起に留めようと思って。嫌味な表現はいくらでも考えつくけど、カウンターはもうしない。「ちゃんとしたアーティストになろう。自分が正当なアーティストなんだ」って最近覚悟を決めたんですよ(笑)。今回の『メグロアドレス』の作品は、多分その過渡期ですよね。
― その『メグロアドレス』展の出品作は音楽家の平石博一さんとのユニットで、音と映像を使うまったくの新シリーズだそうですね。先程「過渡期」とおっしゃいましたが、青山さんの中では「労働」から次のフェーズにどう移行しているんですか?
青山:さっきの「否定しないアート」と考えると、そもそも自分はアートを見て特別で鮮烈な体験をしたことを思い出すんです。その鮮烈さをどうやって持ち得るかと考えると、音楽が持っている力はやっぱりすごいわけです。今回はアートの裏側にある労働を見せたい意図もあるけど、平石さんの音楽があることがすごく重要で。今回の出品作では、モリスが書いた詩でつくられた昔の労働者によるデモのアンセムを、平石さんがアレンジして楽譜を書いたんですが、そこから奏でられる音楽と自分が踏むミシンの出す労働の音が合わさった時に、いい音楽になるんじゃないか、それが見る人にとってアンセムのように響けばいいなと(笑)。
―確かに、批判や揶揄のような否定法よりも大きい話ですね。東日本大震災後に発表したバラのシリーズから青山さんは「抜けた」感じがしています。
青山:アーティストは見えないものを可視化したり物事を斜めから切ったりすることができうると思っていたんだけど、震災のような特別な体験の後、尚更アートの持つ力について考えてしまう。そして僕はやはりアートを観るということは特別な体験であって欲しいと思うんです。
― そのような体験をどう作り出すかというところで、いま表現者は苦悩していますよね。たとえばアニメーションの映画監督なら、大津波の映像がお茶の間に流れた後、フィクションで何を表現したらいいのか。SF映画の監督なら、何と闘えばいいのか。では青山さんは正当なアーティストとして、何を言えばいいのか。
青山:最近すごく思うのは、原発関連にしてもメディアや報道の裏を読まないといけないわけですよね。表立って見えないものにどうやって気付けるかがすごく重要で。メディアの裏側を見るのと、アートのスペクタクル性や表面のイメージに隠れた部分を見るのとは通じる部分があると思うんです。アートの役目は「これが希望です」と唱えることではない。アートはひとつの価値観に限定してはいけないと思うし、自分自身も見る側もどうやってその希望に気付けるかどうかだと思うんです。
― 答えそのものではなく可能性としてのヒントを提示する。アートはそもそもそういうものですよね。
青山:もうひとつ、震災がなぜあれだけ鮮烈だったかと言うと、以前から「来るぞ」と言われていたけど、僕たちが持っていたそういう情報を完全に超えてしまったから。アートで言うなら、いかに消費される情報を越えていけるかがテーマだと思う。ゴッホやレンブラントの個展にあれだけ人が集まるのも、作家の知名度やそれにまつわる逸話といった情報を消費しに来ているからだと思うんです。だけど彼らの作品には情報を越える部分がある。それがそもそもアートの持っていた力だと思うんです。それを今回の展示でも示せればと思ってます。
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