2010年05月21日 (金) 掲載
現代日本を代表する、と言い切って過言ではない美術作家、会田誠の個展が、市ヶ谷のミヅマアートギャラリーで開催されている。タイトルは『絵バカ』。展示を見て「やっぱりこいつはバカだ」と思うのは自由だが、それでは逆に、あくまで偽悪的に振る舞う会田誠にせせら笑われる。
展示のなかでも、もっとも分かりやすいのが映像作品『よかまん』だ。某美大に古くから伝わるという酔狂の余興『よかちん』(股間にビール瓶を当てて「よか、よか、よかちんちん」と節をまわす酒宴の芸)を、女子学生がやたらと増えた現代社会に再現、美大生が課題で描かされたと思しきデッサン画を背景に貼り詰め、その前で全裸の女子美大生(しかもシラフ)に「よかまん」と歌わせ躍らせるライブ映像である。確かにくだらなすぎる。どうしようもない笑いである。だが、日本美術を歴史的にけん引してきた美術大学の、もはや失われた負の側面(笑)を、かつての熱量がぬるま湯に変化した(と言われる)現在の美術大学に蘇らせたとするならどうだろうか。それは現代への批評的性格を持ち、笑いはアイロニカルな風刺へと表情を一変させる。
加えて、会田誠の用いるモチーフそのものは意味を持たない。いや、正確に言うなら、斎藤環が著作『アーティストは境界線上で踊る』で指摘したとおり、イメージとは何らかの意味から逃れられないものだが、いくつものイメージを過剰に塗り込めひとつの作品に凝縮させることで脱意味化してしまっている。過剰(椹木野衣の言う「グチャグチャ」)がイメージから意味を奪い、イメージの衝撃の余韻だけを残す。鑑賞者はイメージの意味を笑うのではなく、イメージの表層の瞬発力を笑うことになり、作品を巡るコミュニケーションは一義的な次元へとろ過される。だから『よかまん』の女子大生は少しもエロくなく、今回全面的に手が加わったという『万札地肥瘠相見図』で無数の一万円札を塗りつぶしてもスキャンダルの欠片もなく、『ジューサーミキサー』と対を成すような、OA機器とともにうず高く積みあがったサラリーマンたちの夥しい死体群『灰色の山』は、生も死も資本主義の何某かも語らないのだ。このとき、会田誠の笑いの性格は意味のなさ=ナンセンスへと変わっている。
ロジックや意図を脳内で極限まで突き詰める段階をとうに卒業し、酒か何かで思考回路を宇宙的規模で飛躍し、酔いつぶれて仰ぎ見た二日酔いの朝の青空のように妙に澄み切った(と自ら言い聞かせるような)感慨を落とし込む。まるで批評家・湯浅学のバンド、湯浅湾の『港』のように、認めるのも悔しいほどの屈託のなさが会田誠には漂っている。
会田誠 展『絵バカ』
場所:ミヅマアートギャラリー(地図など詳細はこちら)
会期:2010年6月5日(土)まで
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