落合多武 新作個展

ワタリウム美術館で開催中の『スパイと失敗とその登場について』レビュー

Read this in English
落合多武 / 建築、彫刻 または何か 2009年 / 4475gの彫刻(建築)2010年
落合多武 / ドローイングの壁 2009-2010年
落合多武 / 地球上で一番高い所にマンハッタンで行くビデオ 2009年- / 建築、彫刻 または何か 2009年
落合多武 / ウェーブ 2009年 / 何かの宗教のおまもり 2009年
落合多武 / ビニール・ペインティング 2009年

落合多武は1967年生まれ、大学卒業後に渡米し現在もニューヨークで活動を続ける現代美術作家だ。清澄白河・小山登美夫ギャラリーでの個展や『夏への扉―マイクロポップの時代』展(2006年水戸芸術館)といった国内での展示をはじめ、現在では海外での展覧会歴の方が数を増す彼が人知れず東京に一時帰国、外苑前・ワタリウム美術館で新作個展を開催している。

本展のステートメントの一節「南に行けばいつかは南極に着き、その後は北に向かう、南に向かうとは北に向かう事であるのだ」を読んだとき、透明な虹の話を思い出した。

ミシェル・パストゥローの著作『ヨーロッパの色彩』(パピルス刊)に次のようなエピソードが紹介されている。大量生産を迎えた時代の、西欧のとあるペンキ塗料メーカーの話。製作したペンキ商品のパッケージに、そのペンキの色をラベルにして張り付けたという。赤いペンキには赤、緑のペンキには緑というように。ところが、商品開発が進んだある日、そのメーカーは無色透明のペンキを開発した。パッケージを透明にするわけにもいかず、悩んだ会社がラベルに張り付けたのは、虹のイラストだったという。無と多が同じ意味として結びつく、数学的に言えば“無限大とマイナス無限大は等しい”ということの一例だ。

落合多武の作品は、とらえどころがない。とらえようとすると離れていく。離れていったと思うと、人なつっこく寄ってくる。だからそれは時折、猫の姿を借りて現れる。落合多武は“AはAである”と言いきれない。Aと非Aの間を揺らぐ。Aか非Aかを二元論的に問うことに意味はなく、Aと非Aの間の揺らぎ=運動性に落合多武の作品は位置している。たとえばドローイング。展示作である連作『建築、彫刻 または何か』では、歴史上に存在する/した建造物を描くが、一枚一枚に込められた建造物の史実的な意味はやわらかく解体され、異なる文脈にある建造物をまさに脈絡なく隣り合わせて展示することで、「新しい物語」(ステートメントより)への可能性を開く。しかし「新しい物語」とは何かは明言されず、恐らく作家にも分かっていない(または定義することに意味がない)。むしろ別種のものに開かれた、という試みに意味がある。「純粋な視覚的刺激と未知の物語への糸口という2つの状態の間」の「揺れ動き」(ともに松井みどり『マイクロポップの時代:夏への扉』より)が刻印されているのである。

こうした脱意味性・脱領域性は本展で磨きがかかった。映像作品『地球上で一番高い所にマンハッタンで行くビデオ』では螺旋上に階段を上がる一歩一歩が抽象的かつ一般的な“一番高い所”へつながる(つながってほしい)という可能性。透明ビニールの上にアクリル絵の具で描いた『ビニール・ペインティング』では、作家が意識的に描いた何かが、アクリルを弾くビニール(作家にとっての無意識)によって別種のものに生まれ変わるという可能性。無数の可能性に開かれた扉。ひとつの行為が無限大に直結する。透明の虹。“Aでないものをつくる”ことが表現のオリジナリティとして賞賛されるのであれば、それは「新しく星を発見する事に似て」「限りなく自由に近い不自由である」(ともにステートメントより)。しかし、いやそうであるならなおさら、Aから離れていくという行為こそ(もしくは思考でさえも)が表現として成立するのだと言えまいか。そのとき作品は、あらゆる非Aの存在にアクセス可能になるのだから。

何かにおける主流が成立しづらく、したがって反主流が失効し、あらゆる亜流や伏流が併存して全体として汎流(宇野常寛のいう「島宇宙」)を形成する時代。だから広告的なマーケティングなんか成立しないのは当たり前だし、何かへの帰属意識が薄くなるのも当たり前だし、アートとは何か?なんて質問することにも意味はない。落合多武はそれをよく分かっていて、だけどそれでもアートをやる人間として、真剣に、そして軽やかに遊戯的に、表現の可能性を試みる覚悟と自覚がある。だからきっと、こんな時代の今なら落合多武を歓迎できる。

落合多武 展『スパイと失敗とその登場について』
場所:ワタリウム美術館(地図などの詳細はこちら
会期:2010年8月8日(日)まで
展覧会情報ページ:watarium.co.jp/exhibition/1005tamu/

テキスト 岡澤浩太郎
※掲載されている情報は公開当時のものです。

この記事へのつぶやき

コメント

Copyright © 2014 Time Out Tokyo