2011年05月25日 (水) 掲載
1950年代は最高だった。みんなが兵役につかなくてはならかったが、それをしなかったものはどんな理由があろうと不適格者とされた。すべての奇人変人はソーホーをぶらついたものだった。私は最近、女房のアルフィとつれだってぶらりとそこへ出かけてみたんだが、胸が痛いぐらいにノスタルジックだった。幽霊でいっぱいだったよ。私は、幽霊が大好きだけどね。
クリント・イーストウッドは、「アメリカが世界の文化に貢献したものは、わずかに2つだけで、ひとつは“ジャズ”で、もうひとつは“西部劇(時代劇)”だと言った。私は、西部劇(時代劇)は、日本が最初に、より良いものをやったと思っているから、そこにはジャズだけが残されるということになる。アメリカ人たちはみな当然のことのように言うんだが、ジョン・コルトレーンやチャールズ・ミンガスのようなジャズの偉人たちは、“神のような”というのを超えた何かがあるんだよ。
ジミは本当にラブリーで、とても礼儀正しくてシャイだった。私たちは、ただ見習いのバンドとして一緒に合衆国を練り歩き、1968年の一年間、彼らの前座を務めた。私は週に200ドルもらっていたが、それじゃ外であまり遊ぶこともできなかったから、ミッチ(ジョン・ミッチェル)とノエル(ノエル・レディング)、そしてジミが、いつも彼らの仲間に入れてくれた。それは信じられないぐらいの特権だったんだ。
私はすべての宗教が嫌いだってわけじゃない。だけど、地中海東岸の3つ、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教との間では、多くの問題を抱えてきた。私は自分自身で少し落胆しているところがあってね。なぜなら、あまねく慈悲深くなったと思っていたからなんだ。しかし、最近のローマ法王の訪問に際して、私は、完全にリチャード・ドーキンス(無神論者として知られる)と化しはじめた。私は、多くの宗教家を知っているし尊敬もしている。しかし、尊大な態度を示すことは、無礼な振る舞いだと思うんだ。
私は、ヒゲを育てたことはないんだよ。単純にヒゲを剃るのをやめたんだ。それは主張じゃなかった。私は、自分の口のためにカットして“穴”をあけ続けなきゃならないことは分かっているが、それがまぁ手入れというわけだ。顕示欲はたっぷりと持っているんだけど、それを外見で表現することはない。それは私のレコードに収録されているんだ。
私は、あきらめる気はないし、私自身が喫煙者であることに腹立たしいんだ。妻は、目に軽い病があって、それは喫煙によって悪化している。だから彼女は私がやり遂げるまで諦めることができないんだ。私は10年前の誕生日プレゼントに彼女が禁煙できるよう私もやめると言ったんだが、10年経過しても私たちはぷかぷかやっている。彼女を裏切ってしまった気分だよ。
2巻とも本当に素晴らしいんだ。特に語源についての側面が気に入っている。驚くほど多くの言葉の起源がマレー語である、とかね。
“フォーク”という言葉の使われ方に対する私の異論は、アイリッシュパブ的なものから回避できないということと、部分的には、イングランドには本当の意味で、農夫はいないということからなんだよ。南フランスには、例えば、農夫の伝統があって、だからこそ彼らはワインとチーズをたゆまず育て続けている。私たちは、産業革命を非常に早い時期に徹底的に行ったことで、農業としてのイングランドは、ほとんど完全に破壊されてしまったんだ。
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