オンダ・バガ インタビュー

今年のフジロックで8回もプレイしたアルゼンチンの5人組に聞く

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オンダ・バガ インタビュー

今年のフジロックで大活躍した新たなヒーローはオンダ・バガに違いない。はるばるアルゼンチンからやって来た5人組は、このフジロックの期間中合計8回(前夜祭前に、アンオフィシャルに行ったキャンプサイトでのプレイもカウントすれば9回)ものライブをこなした。タイムアウト編集部は、大御所フォーク歌手の加藤登紀子も飛び入り参加し、今や伝説となった苗場食堂でのステージ終了直後、スペイン語が母国語のバンド内でも英語が堪能なナチョ・ロドリゲスに話を聞いた。

― 最初にお名前をお願いします。

ナチョ(以下N):ナチョだよ。

― オンダ・バガでの担当を教えてください。

ナチョ:クアトロ担当だよ。これはベネズエラの楽器で、4弦の小さなギターといったところかな。

― 今回はどういった経緯でフジロックに参加となりましたか?

ナチョ:以前バルセロナで開催された『Primavera Sound』というフェスに参加したんだ。そこでジェイソンというプロモーターと出会って…えーと…ごめん、あんまり英語は得意じゃないんだ。それで、僕らのスペインのプロモーターもその場には来ていてね。彼は以前、他のバンドを連れて日本にも行ったことがあるんだ。そこで彼とジェイソンが出会ったわけ。彼は以前日本に行ったときにもジェイソンとは会っていて、そのときに僕らの話もしてくれていたようなんだ。ジェイソンもそのことを覚えていて、その場で僕らを日本に連れていくと約束してくれた。それから、日本のレーベル、UNCLEOWENを紹介してもらって、全てが繋がったんだ。おもしろい流れだよ。

― (今回のフジロックでは前夜祭から一日に何度もライブを行っていますが)今までこんなにも忙しいスケジュールを組んだことはありますか?それともこれがあなたたちにとっては普通なことなんですか?

ナチョ:この状態?普通じゃないね。1日に2、3回プレイするなんてこと今までなかったよ。

― まるでマラソンですね。

ナチョ:まさにその通り。

― 今のところどのステージが一番印象に残っていますか?

ナチョ:どうだろう、たぶんここ(苗場食堂)かな?ステージを重ねる毎にライブは良くなって来ていると思う。お客さんの放つエネルギーがどんどん広がっていって、本当にすごいんだ。嬉しいと同時にびっくりもしてる。

― 日本に来る前から、この盛り上がりは予想していましたか?

ナチョ:まさか。来日が決まったときは、「マジで!」って感じだったし。だからこの盛り上がりは予想外。僕らはブエノスアイレスという地球の反対側からやって来たんだ。ものすごい時間を掛けて、とてつもない距離をね。

― どのくらいかかりました?

ナチョ:分からないな。世界地図を見ればどれくらいの距離か分かるよ。

― 日本に来て最もクレイジーだったことは何ですか?

ナチョ:ここにいること。山でのフェスなんて初めてだよ。すごくオーガニックな感じでいいよね。みんなとても親切だし。親切な人にしか会ってないよ。日本に来てからずっと感謝し続けているね。「ありがとう、ありがとう、ありがとう」って。すばらしいことだと思う。

― 毎ステージ同じセットリストをプレイするのですか?

ナチョ:いや、毎回変えるようにしてる。そうすればやってても飽きないし。お客さんの好きな定番の何曲かは毎回やるけど、4、5曲はライブごとに変えてる。

― 曲を作るにあたって、一番インスピレーションを受けることは何ですか?

ナチョ:分からないな…メンバー全員(5人)がそれぞれ曲を作るから。僕の場合は、自分の頭の中にあること、愛だったり…人生についてだね。

― 僕はアルゼンチンの音楽シーンについて良くは知りませんが、あなたたちはその中でもノーマルな存在なのですか?それとも奇抜なバンドの部類に入るのでしょうか?

ナチョ:奇抜な方だろうね。5人のシンガーがいるバンドはなかなかいない。クアトロはアルゼンチンでもそんなにメジャーな楽器ではないし。僕たちはポップなバンドではあるけど、アコースティック編成っていうのが珍しいんだ。バンドを始めた当初はマイクどころか、電気も一切使わない完全なるアコースティック編成だったんだ。小さな場所で、ステージすらないところでプレイしてた。既存のルールをぶち壊してやろうって。アルゼンチンでは、2004年12月30日に「クロマニョン・ファイアー」という恐ろしい悲劇(レプブリカ・デ・クロマニョンというクラブで起きた火災。当時客席にいた約5,000人のお客さんのうち、約200名が死亡、700名以上が怪我を負った)が起きたんだ。その事故でとても多くの人が命を落とした。法律も一層厳しくなって、多くのミュージシャンを締め付けたんだ。あの時期は辛かったよ。演奏出来る場所が一気に減ってしまった。そこで僕たちはマイクを始めとする、電気を使う楽器を使うのをやめて、ステージに上がって歌うのもやめた。そしたらいつでもどこででもプレイ出来るから。どんな小さな場所でも、パーティー会場でも、家の中でも、路上でも。法律が厳しくなって、ミュージシャンを締め付け、ライブ活動に支障が出だした頃から、僕らは今のスタイルになったんだ。そうすれば、誰も文句言わないだろ(笑)。そこから状況はだんだんと良くなっていった。

― 今まで演奏した場所で一番変わった場所は?

ナチョ:ここだろうね。ものすごく遠く離れた国なのに、僕らのライブでみんなとてもハッピーになってくれて…本当にびっくりしてる。心からすばらしいと思う。

― 木曜の夜にあなたのバンド・メンバーが日本人の女の子をナンパしようとして、そこに居合わせた僕が通訳をするハメになったのですが、良くあることなんですか?

ナチョ:僕らにとって?ああ、いつものことだよ(笑)。



インタビュー ジェイムズ・ハッドフィールド
※掲載されている情報は公開当時のものです。

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