インタビュー:アイ・ウェイウェイ [前編]

拘束前にタイムアウト香港に語った、中国ジャスミン革命やアートについての思い

インタビュー:アイ・ウェイウェイ [前編]

中国で最も有名な現代アーティスト、アイ・ウェイウェイは、秘密警察によって24時間監視されている。タイムアウト香港は北京にあるアイのアトリエを訪れ『ジャスミン革命』やその他、彼の信念について聞いた。

北京郊外の北東周縁部にある、アイ・ウェイウェイのアトリエはあまり目立たない。どこにでもあるレンガ壁と、小さく「FAKE」と書かれた文字、シンプルな青いドア。中に入ると、むき出しのコンクリート、中庭には竹が植えられ、10数匹の猫が冬の太陽の陽を浴びて寝そべっている。この平和な空間が、中国で最も物議を醸す活動家でありアーティストのアトリエだとは、誰も思いはしないだろう。だが振り返って、入り口の壁に大きく書かれた「FUCK」の文字を見て、理解できた。アイはようやく姿を現し、静かにこう聞いた。「北京はどう?」(彼は他の多くのアーティストと違って目をそらさない)「偏執的ですね」と我々は応えた。アイは無関心そうに手を動かしながら、「大きな会議があるからな」と言った。

会議とは人民大会堂で行われる全国人民代表大会のこと。中国政府による『第12次5ヶ年計画』が発表されるのだ。彼はこうした事柄にまったく興味がないそぶりを見せるが、事実は明らかに違う。過去2年の間に、アイのアートと人生は切り離せないものになっている。アイの作品は、政治に強く影響されている。これまでにも、メディアにより叩きのめされ、盗聴され、監視され、言論統制され、屋内軟禁され、上海のアトリエはブルドーザーで潰された。彼の発言はそれほど重要視されており、国家政策へのコメントは(彼は熱心なTwitterユーザーで、国外サーバーを使ってサイトにアクセスしている)即座に国際的な報道機関のネタになる。最近ではロンドンのコラムニストが、アイの国際的な価値は、アレクサンダー・ソルジェニーツイン(旧ソ連反体制派のノーベル賞受賞作家)のそれと同等だとコメントしたほどだ。

彼の言葉や作品への大きなリアクションは、情熱的な勇気に対しての驚嘆の現れだろう。アイはそれをよく知っている。過去60年間にわたり、パワフルな中国共産党に疑問を投げかけた知識層たちは、起訴され、投獄され、処刑され、消息を絶ったものも少なくはない。アイの父親で詩人のアイ・チンも、毛沢東を批判したため26年間も政治的に追放された。アイは中国社会でのこうした行動の結末をよく知っているのだ。我々のインタビューは、こうした困難な議題から始まった。

今日あなたを取材すると知った、香港やヨーロッパにいる私の同僚たちは、あなたの暮らしを心配しています。まずは今の状況をお聞かせください。

アイ:その質問に答えるのがだんだんと難しくなってきている。私の状況というのは、いま暮らしているアトリエと同じだ。常にどこかで問題が発生しているが、同時に平和的でもあり、危機的でもある。例えば、あっちにある車の駐車場から、数週間にもわたって日中夜監視されていた。雪のときでさえ2人が車から見張っていたよ。


監視はどのくらいの距離で行われるのですか?

アイ:車が1台のときもあれば、3台のときもある。私服警察だ。馬鹿げた状況だよ。北京市内中心部を歩いてみれば、人々は誰も危機感なく居心地が良さそうに見えるが、問題はまだまだ山積みだと思う。


ここ数日間のあなたの安全面はいかがですか?

アイ:私は安全だよ。秘密警察を監視していれば、大丈夫。彼らは何も起きていないことを確認している。同時に全てが彼らの管理下に置かれているということを、リマインドしてくるよ。この時期は全国人民代表大会が開かれるし、ジャスミン革命もあったら、誰もがナーバスになっているんだ。


『ジャスミン革命』はインターネットから生まれた運動なのでしょうか?

アイ:そうだ。中国はインターネットを規制し、この社会を変えようとする意見を厳しく取り締まろうとしている。この2週間で100人以上が逮捕された。昔からの作家、知識人、弁護士だけでなく、「どこそこの角で、道で会おう」と呼びかけた学生たちですら。とてもきつい取り締まりだ。大学では学生にデモに参加しないよう呼びかけている。教授たちの元に、学生たちにそう呼びかけないと、自身または大学に被害が及ぶという手紙が届けられているんだ。国は非常に厳しく取り締まっている。この18日間での大学への締め付けは、過去最大のものだ。政府はこの革命を起こさせるわけにはいかない。だが、変化を強く望む人々が、過去最大に必要とされている時期でもある。


“ジャスミン” という言葉がネット上で規制されました。胡錦濤国家主席が“ジャスミン”を歌った映像はもう見られません。外国のジャーナリストは、道に立っているだけで蹴られ殴られるほどです。実体のないデモに対する警察の動きはどのようなものですか?

アイ:まず、中国のインターネットでは“明日”という文字が入っている文章は検索できないようになっている。“明日”という言葉自体が、規制対象になったのだ。


なぜですか?

アイ:なぜって、人々が「明日、王府井(中国ジャスミン革命が起こっている北京市内の中心のエリア)を行進しよう」などと言うからだろう。“今日” という言葉も検索できないようになっている。コンピューターは“今日”という文字が入っているすべてを規制しているんだ(笑)。“明日”と“今日”が使えない状況というのは、すごいことだよ。彼らがどれだけ脅かされているかわかるだろう。議論や知性ある話し合いや討論の予知は皆無だ。昔の中国人の親みたいなものだ。子供は、一切反抗せずに親の言うことをきかなければいけない。経済と政治に意見を持つことは許されていないのだ。これは非常に悲惨なことだ。この国では過去100年において何も創造されていない。


不思議ですね。経済と芸術の急成長は連動しているはずですが。中国の文化ではそれが起こっていない。なぜでしょうか。

アイ:経済的成長の発生元が軍事と暴力だからだよ。権力を握っている層は、精神性での自由、個人や言論の自由を信じていない。軍事政策が嫌悪する言葉だ。数年おきに、同じ人間たちまたは血縁者たちによって同じ権力が制定される。しかし、私に言わせれば、彼らは権力コントロールの仕方を知らないのだ。


ですがパーシー・ビッシュ・シェリーも「無秩序の仮面」で言ったように「汝らは多数、彼らは少数」です。なぜ民衆は反乱しないのでしょうか。

アイ:なぜなら、過去60年、特に最初の40年の残虐なまでの取り締まりで、反対意見を持つ知識人が根こそぎやられてしまったからだ。彼らは罰を受け、投獄され殺された。だから他にはやり方がないに等しい。最後の運動は天安門事件(1989年)だ。そこで民衆は、政府はどんな方法を使ってでも自由を踏みつぶしてくるということを目の当たりにした。


しかし、それでも中国人は団結すると力強いと思いますが…。

アイ:そうだが、それはそれで恐るべきことでもある。中国の土地そのものが理由だ。毎年、干ばつか、洪水が起きる。その中間はなく、数滴の雨か大洪水かどちらかだ。数百年もこの状態で、社会の多様な需要が事態を悪化させている。資本主義の原理に注目が集まっているが、これまでは労働者かリーダーか二通りしかなかったわけで、非常に困難だ。


温家宝首相が今月、政府当局に「自らが幸福になることで人民を幸福にしよう」と発言しましたが、これは侮辱ととらえますか?

アイ:あの人はやや心配していて、自身も不幸なのであろう。彼が首相になって以来、物事は悪化の一方だ。“良い人”だったと歴史や人々の記憶に残りたいのだろう。


彼は“良い人”でしたか?

アイ:彼は偉人にはなれなかったので、少なくとも“良い人”になりたいのだろう。だが、中国人は発言ではなく、起こした改革によってその人物を覚えているので、これも不可能だろう。彼は変化は起こせなかった。それどころか、破綻し始めている。


ある中国人ジャーナリストが「アイ・ウェイウェイにインタビューするならば、反政府であった方がいいぞ」と忠告してきました。興味深い台詞ですが、不思議に思いますか?

アイ:そうだね。私の発言を注意深く聞いていれば、誰もが同じ結論に達するはずだから。この社会からは議論と率直さが欠乏していて、メディア規制が厳しいのもそのせいだ。異なる意見を唱えることすらできないのだから。問題を避けるためによく「私は関係ない」と言い訳するものもいる。だが、私は政府と真逆ではない。世界のどんな国でも、国家の問題は国民や個人によって分析されなければ。批評は正常なのだ。


先月、北京の中国人の若者が、路上に白い花を置いたという罪で逮捕され投獄されましたね。北京オリンピックから3年後、北京の路上に花を置いただけで捕まるというのは馬鹿げたことだと思いますか?

アイ:あなたにとっては馬鹿げているかもしれないが、我々にはこれが日常。Twitterに書き込むだけで罰せられるところだ。インターネットは議論や意見の交換場所としてデザインされてきたのに、60年も権力を握り続けてきた政府がそれに少しだけでも賛同できないものかね?彼らは異なる意見や視点を認めず、民主主義からどんどん離れていっている。一見、オリンピックや上海万博といった華美なイベントで通常に見えるが、上海は私のアトリエを一晩で破壊した。彼らは金を使って作り、金を払って破壊したんだ。


辛い体験でしたか、それともブルドーザー自体がアートとなりましたか?

アイ:私はアーティストだから、痛みや喜びとは自ら向き合うことができる。この破壊行為は、新しい可能性だと捉えた。誰にとっても辛い体験になりうるが、アートを結論だと捉えるならば破壊行為しか存在しない。もしアートを開始と捉えるならば、行為は次のステップへ進み、そこに意味ができる。起きたことへの対処は簡単ではなかったが、政府がブルドーザーでアトリエを潰すという行為は、人々の目に自らの政府の姿をありありと見せつけることになっただろう。


とても象徴的でした。

アイ:そうだ、非常に。


2月の北京ユーレンス現代美術センターでは何が起こりましたか?(アイの予定されていた中国国内最大の個展は、開催直前になってキャンセルされた)期間内に製作が間に合わなかったというのが正式発表された理由でしたが。

アイ:我々は準備に一年半かけて、作品は全て完成していた。私が聞いたのは「上海がアトリエを破壊したことで、(あなたについて)の議論が高まりすぎていることを、我々は懸念している」という内容だった。彼らは展示によって何か被害を受けると思ったんだろう。だが、これは自粛行為なのか、政府からの指示だったのかは明言しなかった。


誰からの指示だったかを明らかにしなかったのですか?

アイ:それを教えてくれることはないだろう。私が予測するに、上海の時と同様、政府高官からの命令だったのだろう。


上海の時もそうだったのですか?

アイ:そうだ。上海市政府からの命令で、地域の役所のものではない。行政が「何が起こったかわかるだろう。これはお前の政治活動への見せしめだ」と言ってきた。彼らは本当にそう言ったんだ。だが、もちろん誰がどうやって命令を下したかについては一切口をつぐむ。ユーレンスでも同じことが起きたんだ。 まず、彼らは展示を中止した。そして、盛大なオークションが控えていたので、面倒にならないよう対立を避けようとしたんだろう(ユーレンス・コレクションによる『The Nascence of Avant-Garde China』オークションは4月3日に香港サザビーズが主催し、想定価値約14億円)。


ユーレンス氏も当局に対していらだちをつのらせていましたか?

アイ:もちろん、非常に。彼は政府に何年も目をつけられている様々なグループの展示を実現させるために奔走していた。だから、難癖がつく前に私の展示を中止したのかもしれない。だが、心配しすぎな気もする。作品は全て検問済みだった。例えば、ミュンヘンで展示した四川大地震についての作品は展示できないといわれ、それは了承した。「かまわないです」と言ったんだ。この土地のルールに従って展示をしようと思ったんだ。だが、それさえ無理だった。私の中国での個展は目に見えない力でいまだに延期され続けているよ。


[続き] アイ・ウェイウェイのインタビュー後編を読む

テキスト ジェイク・ハミルトン
撮影 カルヴィン・シト
翻訳 佐藤環
※掲載されている情報は公開当時のものです。

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